東中野から

自分は監督でもコーチでもない、現役のプレーヤーだと言う小三治さん。
そう言われてみると、野球の監督やコーチは現役を引退した選手がなるものだが(古田のような例外はあるけれど)、落語家の引退というのは聞いたことがない(これも、当代圓楽のような例外はあるけれど)。
落語家は、師匠と呼ばれるようになっても弟子を取っても、芸人としては現役のまま。いわば選手兼任監督というところか。
サラリーマンのぼくには、定年も引退もない落語家がうらやましく思えるときもあるけれど、死ぬまで現役として修羅を燃やして生きるのもつらいことだろう。

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六本木から

開演前に場内配布のプロフィールを見ていたら、「吾妻橋ダンスクロッシング」には全公演出演、とある。
吾妻橋は近所なおかげで、「吾妻橋ダンスクロッシング」(長いので以下ADXと略すが)は、多分2006年くらいからは大体見ていると思う。ということは、少なくともそれだけの回数、この人のパフォーマンスを見てきているのか。
今回の公演は、ソロパフォーマンス・ベスト・ライブ、というだけあって、これまでADXで見たことのあるものも多かった。

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東向島から

沖縄の風俗街で働く女の子、に化ける作家。
作家は相手の衣装をつけることで変身する。そして変身した姿を写真に撮らせる。
カメラのシャッターが降りる瞬間、作家が作家でなく、相手の女の子であるとしたら、ボタンを押す女の子はいったい誰なんだろう?
少女は作家に笑顔を見せていたという。でも写真の中の作家は無表情だ。もしかしたら、それが彼女たちの本当の表情なのかも知れないね。もちろん、そうじゃないかも知れないね。そうやってまた虚実皮膜の隙間に落ち込む。

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吾妻橋から

観客は会場のひとつ上のフロアから入って、ここで荷物とコートを置いていくように指示される。そして、特別の白い衣装を着せられる。
こういうふうに書くと、なんだか「注文の多い料理店」みたいだ。
この場では、演じる者も、見る者同士も、外見上の有意な差は消滅することになる。
全員にまったく同じ衣装を着せることで、観客と演者との境界を徹底して攪乱させるつもりなのだろう。

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竹橋から

高梨豊氏は大辻清司の直接の弟子筋だったのか・・・。寡聞にして知らなかった。
どうりで瀧口修造を撮った写真に、時折氏のキャプションを見つけるわけだ。
オリーブの茂る枝の下で、視線を上方に漂わせて腰をかがめ気味に佇む詩人の写真は、高梨氏のものだ。
カタログに収められている写真家の文章の中に、初めての個展の際に寄せられたという瀧口の文章の一節が引かれている。全文を読みたいと「コレクション瀧口修造」の何巻かを取り出して開くが、ちょっと見つからない。時を置いて探すか。

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上野から

鈴本演芸場 3月上席夜の部

落語 柳家喬之進「出来心」
紙切り 林家正楽
落語 柳亭左龍「初天神」
落語 柳亭燕路「粗忽長屋」
漫才 大空遊平・大空かほり
落語 古今亭志ん五「新聞記事」
落語 五街道雲助「ずっこけ」
仲入り
三味線漫談 柳家紫文
落語 柳家はん治「鯛」
太神楽曲芸 翁家和楽社中
落語 柳家さん喬「井戸の茶碗」

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両国から

大きなキャンバスいっぱいに描かれた寿司桶に、まず息を呑んだ。
寿司桶の中には、海老、イクラ、白身。ひとつが人の頭ほどもありそうな江戸前の握りが並ぶ。
画家は、セザンヌやマチスの絵が好きなのだと言う。
そんな泰西名画のタッチで、お寿司。
どこか、可笑しい。そして、画家もその可笑しさを意識しているのだろう、キャンバスの隣に、鮪の握りがひとつ。宙に浮かぶように、白い壁に写真を貼り付けている。
しかし、どうしてこの絵が可笑しいのだろうか。
併せて掲げられている、リンゴの静物画は、別段可笑しくない。

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