2011年8月1日のこころのまとめ

  • そうそう、昨夜遅く投稿した一連のtweetは、昨日現代美術製作所で見たドキュメンタリー映画「RADIOACTIVISTS」への自分の反響として書きました。 #
  • 今夜のおかずどうしようかなあ #
  • 今夜は外食にする #
  • そうそう、アトミックサイト展そのものの感想。レントゲン藝術研究所みたいだと思った。雰囲気がですよ。単に工場っぽい会場に放射能標識が多用されていたからかも知れぬ。。 #
  • 今日は寝が足りないことをすっかり忘れていたのです。でも吉増剛造さんの声を聞きながらウトウトできるというのもまたとない機会でしょう。 #
  • 今日はデュラスの(というかカルロス・ダレシオの)インディア・ソングが耳について離れないね。 #
  • ぼくが学生の頃にやりたかったこと、詩的なテクストの朗読とアンビエントな音楽を組み合わせて、カット・アップしたりエフェクトをかけたりして別の現実感を提示するようなこと、をgozoCineは軽々と、飄々とやっている。なんかすごく示唆を受けるし、刺激される。 #
  • gozoCineは全部吉増剛造さんひとりで撮っているのだそう。右手でカメラを持ち、左手にウォークマン(音出し用)、口からサヌカイトを下げて…。なんて忙しい!と思ったけど、詩はひとりで書くということと同じと聞いて納得。 #
  • gozoCineの中でしばしば語尾がどもったり、同じ言葉を繰り返したりするのを、吉増剛造さんはパウル・クレーの油彩転写の技法になぞらえて、「お手つき」のよごれだと言っていた。その伝でいえば、今日の一本目の作品でノイズが通奏してるのは、クレーの切断の技法みたいに思えた。 #
  • ギザギザに切り裂いた映像を、もう一度つなぎ合わせるようなね。その過程で避けがたくノイズが混入する。でもそうなるとクレーの切断とは違うか。。 #
  • 吉増剛造さんはWater Gazingって言い方をしていた。佃島あたりの隅田川の水面を写している、あのくだりの映像はちょっと衝撃的だった。少なくともそのへんの映画館でやってる商業映画であんな表現見たことない。しかもあのシンプルな機材と効果だけで、ひとりきりで。 #
  • モネの睡蓮がひたすら水面の表現を追求することで抽象絵画への入口を用意したように、来るべき抽象映画、みたいなものがあるとしたら、あるいはこういう表現から生まれるのではないかと思いました。というか、gozoCineにおいてすでに抽象映画は実現しているのかも知れないけど。 #
  • クレーの油彩転写の技法を竹橋で見たとき、あれをある種の版画ということはできないかと思ったんだ。吉増さん言うところの「お手つき」のよごれやにじみを孕みながらイメージが立ち現われる。それならgozoCineも光による版画。フィルムを光が透過するたびに、常に新しくイメージが励起する。 #

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