2011年8月17日のこころのまとめ

  • コレクション癖というのはどこか病的な感じがするね(ハーブ&ドロシーの残響)。ま、それはお金のコレクション癖だって同様に病的であるという程度に病的であるということに過ぎない。往々にして子供はコレクターであるし、むしろ私は(あなたは)なぜコレクターでないのかを問うべきかもしれない。 #
  • 富山近美には生前の瀧口修造の書斎にあったコレクション品を展示する部屋がある。展示品は種々雑多。ミロから贈られたひょうたん(いわゆるひょうたん)とか、ジャスパー・ジョーンズが連絡先をメモったタバコの空箱とかも。東京ローズ・セラヴィの神話を信ずる者には霊験新たかな品々である。 #
  • 本当は書斎の主人の死とともにモノは居場所を失ったと考えるべきなのでしょう。むしろ瀧口さんの言うことを真に受けて、「流通価値のないものを、ある内的要請だけによっ て流通させるという不逞な考え」をいかに自分なりに実践するか。もう少し自分の部屋を片付けてから出直したほうがいいかな。 #
  • 「予告する光」の上映プログラムが日替りでAからUまで21通りある中で、ブラジルの蟻塚が出てくる作品「Na entrada da casa dos fogos (花火の家の入口で)」がA,N,Tの3プログラムで上映されるというのは、やっぱり狙ってのことですか。 #
  • gozoCineに岩のイメージが頻出しますね。忍路の岩、カルナックの岩、そして立石寺の岩。「閑さや岩にしみ入蝉の声」の吉増さんの解釈。閑けさや、が垂直の岩の上層、ここでは蝉の声は聞こえない。物の声はしない。そして、岩にしみ入、は蝉の層、生命の層。蝉の声が岩にしみ入り、したたる。 #
  • 「八戸、蟻塚」を見て思ったのだけど、この蟻塚も「岩」ではないですか。形の相似はともかく、何万の生命が充満した蟻塚と岩を同じように言うなんておかしく聞こえるかも知れないけど、むしろgozoCineに登場する岩が通常の岩ではなく、生命を内に秘めた、笑いにはじける岩ではないですか。 #
  • gozoCine「村への遊撃ー及川廣信」を見た感想。演劇あるいはダンスを観る体験をこのように拡張し、改竄し、共演することができるものかという驚き。そしてダンス映像として見ても独自の芸術性をもつ破格の作品といえるのではないか。 #
  • 二十日前にはこんなにgozoCineに深入りすることになるとは思っていませんでした。ここ最近の自分の心境にはまったんでしょうか。それに一度見ると次も見たくなる構成になっていた。きっかけや経緯はともかく、これからの自分にとって動かしがたい映画体験、詩的体験になってしまいました。 #

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