初天神

新宿末広亭の深夜寄席を覗いてきた。
今回の深夜寄席は落語協会の順番で、出演した噺家さんは、出番の順に三遊亭歌彦、柳家小太郎、桂才紫、そして三遊亭天どんの4人。
まず三遊亭円歌門下、歌彦さんの演目は「阿武松」。
能登の国から出てきたお相撲さんが、飯を食いすぎるということで破門になり、川に身を投げようとして・・・、という人情噺。
この噺は、もう1年ほど前になるけども、ねぎし三平堂で林家錦平さんの演じるのを聞いて、ほろっとするところと笑わせるところと、古典的な感覚と現代的な感覚とが絶妙なバランスで、落語初心者のぼくは、いやあ落語って面白いもんだなあとすっかり感じ入ってしまったことがある。
たぶん難しいだろうこの噺を、歌彦さんは無難にこなしていたように思う。
次は柳家さん喬門下、小太郎さん。演目は「愛宕山」。
なんといっても幇間の表情がいい。独特の雰囲気のある人。
桂才賀門下、才紫さんは「雛鍔」。とてもいい声をしている人。
さて、「阿武松」、「愛宕山」と大ネタが続いていることからも察しのように、三人目の才紫さんのネタが終わったところで、時刻はすでに10時50分。
この深夜寄席はいつも11時で終わりなので、あれ、今日はこの三人でおしまいなのかな、と思うと、さにあらず。最後は三遊亭円丈門下、天どんさん。
普通だったら寄席のトリを取るのはとてもうれしいことなのだけど、深夜寄席に限っては、始めのほうの人が大ネタをやってしまうと時間がどんどん押してしまうので、あんまりありがたくないそうです。出番もアミダで決めるようなことを言っていたけど、本当なのかな。
天どんさんのネタは「初天神」。
前の才紫さんが「雛鍔」という子供の出てくる噺をやった後で、また子供の出てくる噺をするのは普通は恥ずかしいそうなのだけど、ご本人曰く、そこをあえてやってしまうということ。
どうなるのかと思ったら、まず時間がないということを逆手にとって、話が横道にそれては戻り、戻ってはそれ。また「雛鍔」だけでなく、その前のネタもどんどん引用して、臨機応変に噺を変形していく。最後に出てきて一番笑いを取っていた。
円丈さんの弟子が古典をやると、ああいう感じになるのかな。なるほど。いや、でも面白かった。
ということで、終演は予定を若干押して、11時10分。
ところで落語といえば、このあいだ谷中カフェで立川こしらさんの落語を聞いてきた話を書いたけれど、いまタワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンで、スケッチ・ショウとドラゴンの3人が店先に並んでせんべいを食っているせんべい屋さん、あそこって谷中カフェのお向かいあたりにある店ですな。今度行ったとき食べてみよう。
NO MUSIC, NO LIFE.
http://www.bounce.com/article/article.php/1228/

マイ・マイ、ヘイ・ヘイ

東京オペラシティアートギャラリーの「タイム・オブ・マイ・ライフ ─ 永遠の少年たち 」展を見てきた。
展示作品のひとつ、奈良美智のインスタレーション「S.M.L.」の「M」のほうの部屋に入ったら、この部屋の中には奈良の描きかけの作品や落書きのようなメモなどがたくさん散らばっていて、まるで作家のアトリエみたいな感じなのだけど、ちょうどラジカセでニール・ヤングの「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ」が掛かっていて、おお、いいなあと思ってしばらく聴いていた。
それで、その曲が入っているアルバム「ラスト・ネヴァー・スリープス」をアマゾンで取り寄せていたのが届いたので、週末から繰り返し聞いているところ。
と、書いたけれど、実は順番がちょっと違っていて、正直言うと、最初はこの曲がニール・ヤングということは知らなかった。
インスタレーションの中で聴いているときに、ひょっとしてこの声はニール・ヤングじゃないかな、と思って、うちに帰ってからgoogleで「ニール・ヤング」という言葉と歌詞の文句を組み合わせていろいろ検索して調べたら、やっぱりそうだった。
その昔。今から10年以上前になりますか。
テレビ東京でモグラネグラという音楽番組を深夜の時間に帯で放送していて、何曜日だったか忘れたけれど、ある曜日の司会が、プライベーツの延原達治とフェビアンの古賀森男だった。って懐かしいなー。
この文章を書くまでは、ご両人の名前もバンド名も、申し訳ないけど10年以上頭の中からすっかり消えてましたよ。
それで、ある時、番組の冒頭で、延原氏と古賀氏の二人がギターの弾き語りで歌っていたのが、この「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ」だった。それが非常に印象的で。
確かその回は、高橋幸宏氏がゲストで、それでビデオに撮って見ていたという記憶がある。そのビデオも実家に帰れば残っているのかな。
ともあれ、それ以来しばらく、この曲のメロディーや歌詞が頭の中から離れなくて、でも、その頃はインターネットなんてなかったし、ニール・ヤングも「ハーヴェスト」しか持っていなかったから、ずっと誰の曲だか知らないままだった。
それが、もう10何年かかって、奈良氏のおかげで再会することができたという話。

突発的本所居酒屋紀行・二軒目

(承前)一軒目と書いたということは、二軒目もある。
今の店は中途半端な気分で出ることになったので、もう少し飲みたい。
実はあと一軒、自転車で前を通るたびに気になっていた店がある。
さっきよりずっと吾妻橋のほうに近い場所で、といっても、自転車ではわけもない距離だ。
あっという間に店の前に到着。看板には「もつ焼き」とある。
自転車にまたがったまま白い暖簾の隙間から中を覗くと、きれいな白木のカウンターが見える。というより、店全体のつくりがまだ新しそうだ。
入ろうか、どうしようか逡巡して、一旦そのまま店の前を通り過ぎる。
ちょっとその辺を一回りして呼吸を整えようと思い(別にそんな必要もないんだけど)、何気なく路地に入ると、そこにも、もう一軒「もつ焼き」の文字の店があった。
しかしこの店は、いま通り過ぎてきた店とは対照的に、時代を感じさせる、というと言葉がきれい過ぎで、もう店全体を煙と脂でいぶしたような感じだ。
が、暗い路地の中にぼんやりと浮かび上がる店の明かりが、なんともいえず魅惑的で、急に方針を変更して、吸い込まれるようにこの店に入った。
戸を開けると、目の前にL字型のカウンターがあって、中で主人らしき初老の男性が串を焼いている。他にも2、3人の若い店員が仕事をしているようだ。
カウンターでは、4、5人連れの若い男女のグループが酒を飲んでいる。
店内を見回すと、思いのほかお座敷が広くて、2、30人くらいは余裕で入れそうだ。
その席がほぼ満員で、こちらにまで客の熱気が伝わってくる。
客層は、お座敷の手前のほうのテーブルで、背広姿の4、5人連れ。その隣におばちゃんが2、3人。
そして、壁を背にした奥のテーブルでは、20人くらいの宴会をしているのだけど、老若男女、それも明らかに外国人らしい姿の人も半分くらい混じっている。これはちょっと謎の集団だ。
さて、何を頼もうか。
さっきの店でお酒を飲んでいたから、お酒を続けてもよかったのだけど、初めての店で勝手がわからないから、様子見に瓶ビールを注文。
すると店の若い店員が、
「すいません、アサヒがもう終わっちゃったんで、サッポロでもいいですか」
と聞いてくる。
そうか、このあたりでは、ビールとくれば何を措いてもまずアサヒなんだな。この店からあとほんの少し行くと、浅草通りに出る。ここは吾妻橋のアサヒビール本社のお膝元だ。
料理は、何を注文しようか迷うときの定番、もつ煮込みを頼む。
程なくビールと煮込みが到着。
この煮込みは、こちらの期待通りのもつ煮込みで、豚もつと牛蒡やニンジンがあっさり目に煮込まれていて、上にネギがたっぷりとかかっている。こういうのが一番好きなパターン。
しばらく飲んでいると、奥の外国人連れの集団から、ひとりおじさんがカウンターのほうにやってきて(この人は明らかに日本人)、中の主人に、店の中で歌ってもいいかどうか聞いている。お酒が入って興に乗って、それでは一曲歌ってみようというのだろう。
話を漏れ聞くと、どうやらフランス人のグループを案内してきているらしい。
店の主人は快諾、ほかのお客さんも異存ないようだ。
おじさんがそれを仲間に伝えると、まず背の高い黒人の男性がひとり立ち上がって、にわかに歌い出した。
カラオケなどの設備はないから、もちろんアカペラだ。
聞いたこともあるようなシャンソンなのだけど、曲名とかまでは知らない。でも、テンポのいい曲で、ほかのお客さんも一緒になって、手拍子を叩いて盛り上がる。
その後も、フランス語、日本語入り混じって、何人かの独唱が続いた。
日本人のまだ若い女性だろうが、「さくらさくら」を歌っている。上品できれいな声なのだが、どことなくもの悲しい。季節的には確かに合っているけど、少なくともこの場所には似合わない感じだ。
しかしそう考えると、日本の歌で、最近のヒット曲ではなく、老若男女の誰もが知っていて、かつ宴会で盛り上がって歌えるようなアップテンポの曲というと、どんな曲になるのだろうか。
ヨーロッパだと、シャンソンにしてもカンツォーネにしても、昔からの伝統的な曲であっても、若い人も違和感なく盛り上がって歌えるような感じで、やはりうらやましい。
ご主人から「何か焼きますか」と聞かれたので、焼き鳥を焼いてもらう。2本で240円。焼きたてもあるのだろうが、この肉が、ぷりぷりとしてうまい。
ビールからお銚子に替えて、いい感じで酔っ払ってきた。
瓶ビール、お酒、煮込み、焼き鳥で、やはり1,600円くらいだったか。
このへんになると、合計金額の記憶が少し怪しい。
一軒目は小料理屋ふう、二軒目は大衆居酒屋ふうと、雰囲気はそれぞれ全然違うけれど、どれも魅力的な店だ。平日からお客さんが結構入っていることからも分かる。特に二軒目の店など、今すぐにでも、もう一回行きたいところだ。
それに、この本所界隈も、ぼくが越してきたここ3年くらいで見ても、どんどん新しいマンションやビルが建っているが、それでもこうした昔ながらの古い木造の居酒屋が、鉄筋のビルの間に生き残っているというのがうれしい。
しばらくは目標を北の方角に定めて、個人活動していこうか。

突発的本所居酒屋紀行

ここでは基本的に、時局論評のようなことではなくて、自分が直接体験したり、見聞きしたりしたことを書こうと思っている。
そうなると、どうしてもお酒を飲んだとか飯を食ったとかいう話が多くなってしまうが、まあそういう生活を送っているということで、ご容赦願いたい。
よく、自分のサイトに飲み歩きの体験記を掲載されている人がいるが、店の名前はもちろんのこと、注文した酒や肴の種類や金額まで克明に書き残されていることに驚く。
ぼくの場合、何という店で何と何を飲み食いしたということは、あまりはっきりと書かないことが多いけれど、それは、あえて明記していないというよりは、まず自分が無頓着でそうことをあまり気に留めていないということと、酔っ払ってしまって結局よく覚えていないということでしかない。
例えば、最近何度か書いている、うちの近所にあるおばあさんが一人でやっている居酒屋、その店の名前さえ、正直言ってよく覚えていない。看板は出ているから、店の前に行けば、ああそうだったということになると思うのだが。
ということで、今朝も少し前夜のお酒が残った頭でキーを叩いている。
帰り際に会社でビールを2、3本飲んだら、勢いがついてしまうというか、うちに帰って着替える間も気もそぞろに、こうなったら今夜は飲むぞ、という気持ちになる。
さて、これまで近所で飲むとなったら、あまり深く考えずに両国や錦糸町のあたりに出かけていたのだけど、そういえば吾妻橋のあたりにだってたくさん店はあるし、そんなに距離が違うわけでもない。むしろ近いくらいだ。
それで、今夜はうちを出て北のほうに向かうことにした。
一軒目、春日通り沿いにある古い木造の店。白い暖簾と赤い提灯が灯る。店の名前は、やはり覚えていない(すみません)。前からこの店のことは気になっていたけれど、入るのは初めてだ。
勇んでガラガラと玄関を開けると、いきなり店のおばちゃんから「定食はやってませんけど、いいですか」と聞かれた。なるほど、定食屋と間違えて入ってきたと思われたか。ということは、あまりふりのお客がひとりで酒を飲みにくるという店でもないのだろうか。ま、そのときはパーカーにジーンズというラフな格好だったし、スーツのまま行っていればまた違ったかもしれない。お酒をいただきますから、と答えて中に入る。
店内は8人掛けくらいのテーブルが二つ、それから小上がりのお座敷がある。厨房は店の奥で、カウンター席はない。店員はおばちゃんが二人で給仕をしている。厨房にはまだ誰かいるのかもしれない。
手前のほうのテーブルに腰を落ち着けた。テーブルの上には、前に座っていたお客さんのものか、お皿やとっくりがいくつかまだそのままになっている。
平日の夜というのに結構お客さんが入っていて、奥のテーブルには背広姿のおじさんが二人、もうかなりの数のお銚子を並べている。障子の陰でよく見えないが、小上がりにも二組ほどお客さんが入っているようだ。テレビでは巨人中日戦を流している。
まず瓶ビールを頼むと、「キリンでいいですか」と聞かれるので、咄嗟に、ええ、はい、と答える。
おばちゃんがテーブルの上のお皿を片付けて、ビールとお通しの柿ピーを持ってきた。
さあ料理だが、壁に品書きを書いた紙が張ってあり、きれいな白い紙だから、毎日か、少なくとも定期的に書き換えているのだろう。値段は高くもないが、さして安いわけでもない。例えば、肉豆腐が780円、菜の花の辛子和えが550円、といったところ。
肉豆腐780円というのは判断に迷うところだが、まあ無難な料理だろうと思って注文。
しばらくして、3人連れの客が入って来て合席になった。
ビールを三分の二ほど飲んだ頃に肉豆腐到着。丼鉢一杯に入っていて、思ったよりボリュームがある。これなら780円でも納得かもしれない。あと、この店の七味唐辛子はなんだか風味がいい。ビールが終わったのでお銚子を頼む。
小上がりの客が一組帰ったので、後から来た相客はそちらに移った。
店のおばちゃんと相客の会話。
「ビールはキリンとアサシ、どっちにする?」
「やっぱりアサシだろ、地元だから」
そうか、このあたりはアサヒビールの地元だった。
肉豆腐でお酒を飲んでいると、玄関が開いて、これから10人で来るが大丈夫か、という声が聞こえる。おばちゃんはゆっくり召し上がってください、と言うが、そろそろ潮時だろう。
お勘定をお願いすると、ビールとお銚子、肉豆腐で1,600円ほどだったか。

さあ、行かなきゃ

自分ちにいると、どうも読書が進まない。
それで、近所のジョナサンに出かけてお茶でも飲みながら本でも読もうかと思ったら、思わず生ビールを頼んでしまって、そのうちにもう一杯お代わりしてしまって、結局全然はかどらなかった。
しょうがないのでとりあえずジョナサンは出たが、なんとなく飲み足りない気になって、近くのサンクスでもう少しビールを買って帰って、うちに帰って飲み直している始末。
それで、今朝になって後悔しているのです。なんだろうなあ。
さて、ここで平日の私の朝のスケジュールを書きますと(こんなこと書いても誰も興味ないだろうけど)、まず目覚まし時計が6時前に鳴ります。
ベッドから手を伸ばして目覚ましを止めて、目をこすりながら起き出し、PCとラジオのスイッチを入れる。
PCではメールをチェックしたり、スポニチのサイト(ここは毎朝6時に更新する)でスポーツ記事を読んだりする。
ラジオは、ここしばらくはずっとJ-WAVEにしている。というのは、この部屋の中では全然AMが入らないから。
それで、眠いときはもう一回布団の中に戻って、ラジオを聞きながらまたウトウトとして、こりゃそろそろ起きなきゃヤバイ、となって、もう一度起き出すという次第。
今朝なんかは、又寝しないでずっと目が覚めています。
これまでJ-WAVEは、朝5時台はモーニングボヤージ、6時からジョン・カビラのグッドモーニング・トーキョーという時間割だったのだが、4月の改編でグッドモーニング・トーキョーが7時開始に変わり、5時〜7時の新番組、ロハス・モーニングが始まった。
ということで、私の朝のスケジュールでいうと、6時前にラジオを付けると、ロハス・モーニングの途中という、ちょっと中途半端なことになった。
が、それも今日で二日目。
でも、まあ慣れの問題ですね、昨日はナビゲーターの鳥越さやかの声や口調にいまいち耳慣れなかったけど、今朝聞いたらまあこれはこれでいいかなという感じになってきた。
それに、J-WAVEのサイトで鳥越さやかのプロフィールを見てみたら、なんと私と生年月日がほんの一日違いじゃないですか。
なんだかそういうことで妙に親近感が沸く。
ちなみにこの人はどうやら鳥越俊太郎の娘らしい(という話を聞いた気がするのだが、今、googleで「鳥越俊太郎 鳥越さやか」で検索しても全然それらしいページにヒットしないぞ)。
ということで、この話には全然オチがありません。さあ、行かなきゃ。

週末の飲み食いのこと

昨日、今日と、暖かかったり寒かったり、どうも落ち着かないですな。
今日なんかは、なんだか冬が戻ってきたような寒さでした。
「今年の四月はまだ寒くて 春が来てない」なんて歌を口ずさんだりしています。
とはいえ、寒かろうが暑かろうが飲み食いしているわけです。
金曜日は高田馬場で飲んでいた。
久しぶりにさかえ通りの鳥やすに入って、まずは煮込みと瓶ビール、その後は焼き鳥とぬる目の燗酒。
馬場もどんどん新しい店ができたり古い店が消えたりしているが、鳥やすは昔から変わらないのがいい。メニューは新しいのが増えているみたいだけど、まあそういうのはあまり頼まない。地酒ふうの高い冷酒もここでは飲まない。
愚直に、煮込みとビールと焼き鳥と普通のお酒ばかり頼んでいます。
前にも確か書いたが、ここの煮込みは大根、人参といった根菜と鶏の手羽とつくねを、あっさりと鶏のスープで煮込んである。
あまり居酒屋を知らなかった学生時代、煮込みといえば鳥やすの煮込みのようなものだと思っていたから、いろいろな店に行き出してから、ひとことで煮込みといっても店ごとにそれぞれ個性があるのに驚いた。
金曜日は、すきっ腹だったこともあってか思いのほかお酒が回り、ビール2本とお酒2杯でおしまい。馬場あたりでもう一軒行きたいなとも思っていたけど、結局そのままどこにも寄らず、うちに帰って着替えも適当にバタンと寝てしまった。
土曜は春の陽気にさそわれて両国界隈をぶらぶらと歩き回る。
洋服屋さんを冷やかしたりしながら、北斎通りを行ったり来たり(この通りにはカジュアル物の卸し兼小売みたいな店が案外多い)。
この界隈は、もちろんぼくの近所だけど、同行者ふたりには、ほとんど初めての場所だ。
知らない街を歩くのもいい。だけどこれでライカでも提げていたらまるでトマソンだね、という話になる。
少し遅めのお昼を亀戸ぎょうざ両国店で食べる。
まずはビールと餃子、その後でひとりが堅焼きそばを頼んだので、ぼくはソース焼きそばを。もうひとりは肉ニラ炒めを食べていた。
その後、一杯気分で江戸東京博物館の常設を見る。
ちょっと酒が入ったところでこういう展示を見て回るのもいいものだ。くだらないことを言ったりしながら、どうせ真剣に見てやしない。
しかし昼間のビールは効くね。お酒を飲んで歩き回るから、随分と酔いが回る。
閉館時間になったので江戸博を出て、晩飯には時間が早いので、まだ明るいし、もう少し両国のあたりを歩く。
隅田川のテラスで、ベンチに腰掛けてぼんやりと屋形船が行き過ぎるのを見ていた。
川面には上流から花びらが帯のように流れてくる。
いい頃合になったので、両国に戻り、焼肉屋に入って、生ビールで乾杯。
それぞれビールを2、3杯飲んで、焼肉も結構食べて、それでも3人で8千円ちょっとだから、結構安い。
もう少し飲もうということになって、駅近くのソウルバーへ。
両国のショットバーというと、駅のホームからも見えるこの店くらいしか知らない。他にいい店があったらお教え願いたい。
ともあれ、そこでカクテルを飲んでさっぱりする。ぼくは3杯作ってもらった。
ここで同行者2名は帰る。
ぼくはもう少し飲み足りない気分で(悪い癖だな)、といっても、前にも書いたように、この時間になると駅近くでこれはという店は開いていない。
結局、これも前に書いた店だが、うちの近くの、おばあさんが一人でやっている居酒屋に入る。
相客のおじさんのひとりは、どうやら三つ目通りとの角にあるお鮨屋さんのご主人らしい。ふーん、ここで飲んでるんだ。
ビール1本飲んだら、だいぶいい加減になってきて、さすがにおとなしく帰った。
日曜は、江戸東京博物館のイベント広場で「両国にぎわい春祭り」というのをやっているから、そこで屋台のトムヤムラーメンやらちゃんこ鍋を食べて、やっぱりビールを飲んだ。
こう書くと、食べたり飲んだりしてばかりみたいですね。

Cafe la Cugo

立川こしらの落語会「Cafe la Cugo」に行ってきた。
この会は、谷中にある喫茶店「谷中カフェ」で毎月1回開催されているもので、これで8回目だそうだが、ぼくは今回が初めてだ。
立川こしらは、立川志らく門下の二つ目で、ということは談志の孫弟子になるわけだが、東京かわら版の「寄席演芸年鑑」によると、1975年生まれ。本人が噺のまくらで言っていたが、6年間の弟子修行を経て、二つ目に昇進して2年になるという。
立川流の噺家さんは、落語協会や芸術協会の人と違って、末広亭や浅草演芸ホールといった寄席には出てこないから(出られないから?)、ぼくはあまり見たことがない。この立川こしらという人も、どんな人だか全然知らなかったが、まあ世評高い志らくさんの弟子なら大丈夫だろうというつもりで出かけた(と書いたが、実は志らくさんの噺も聞いたことがない)。
さて、こしらさんを見るのが初めてなら、会場の谷中カフェというところも初めてで、行ってみると、これがなんとまあかわいい喫茶店なのだ。
かわいい、というのは、キュート、というのも少しあるけれど、とにかく小さい店で、通り沿いにあっても注意して歩かないと見逃してしまいそうなくらい間口も狭い。1階には小さな木のテーブルが三つほどあるだけで、全部で7、8人くらいしか座れないんじゃないかな。
最初、店に入って、こんな小さな店のどこで落語会などやるんだろうかと思った。
店の人に聞くと、2階が会場だという。そうか、それなら安心した。
1階でしばらくコーヒーなど飲んで時間をつぶし(余談だが、ここでコーヒーを注文すると、ミルクが普通の牛乳と豆乳のどちらがいいか聞かれる。勢いで豆乳を頼んだけど、うーん、次回は普通のミルクがいいかも)、開演20分ほど前になったので2階に上がった。
すると、まあ、2階は2階でやはり狭い。そうねえ、せいぜい6畳くらいなものか。
それでも、板敷きに座布団に座って見るから、ちゃんと詰めれば15、6人程度は座れそう。
正面に木箱を二つくらい並べたくらいの演台がしつらえてあって、こしらさんはそこに座って落語をするようだ。
開演が近づくにつれて、意外にも、と言ったら失礼だけど、客席はほぼ埋まってくる。まあ、満員といっても、さっき言ったように15、6人くらいのものだけど。
他のお客さんの会話をちょっと聞くと、お互い顔見知りの人も何人かいて、この会の常連さんも結構いるようだ。
自家製のピクルスをつまみながらビールを飲んで開演を待つ。
午後6時に開演。最初、事務所の人?の前説があって、その後でこしらさんが赤い着物姿で登場。着物を着ているほかは、いま風の若い人という感じだ。インターネットオークションや自分のこれまでのバイトの話などをまくらにして、落語に入る。演目は「あくび指南」。
まずここで、ちゃんと古典をやっているということに感心する。途中、ちょっと危なげなところもないではなかったけど、何よりも面白い。客いじりも適度、かつツボをついていて好ましい。
ここで休憩。今度は黒糖焼酎をロックで頼む。誰かの差し入れのどら焼きが配られる。
さて、休憩後の演目は「宮戸川」。この人はガンダム好きらしいのだけど、そういう細かいネタを挟み込んだりしつつ笑いを取っていく。
そして終演。期待していたより全然よかった。会場の雰囲気もいいし、こしらさんがちゃんと古典落語をやって、その上で自分の笑いを取っているのがいい。それに、お酒も飲めるしね。
今回改めて感じたのだが、二つ目さんくらいだと、まず古典落語を中心にして、その中に自分流の笑いを入れ込んでいくというほうが、聞いていて快い。例えば、新宿末広亭の深夜寄席でも二つ目さんの噺を聞く機会があるが、時折、自作の新作が余りにひとりよがりに聞こえることがあって、笑うよりも先に、落語というのは果たしてこういうものだったかと客席で考えさせられてしまうことさえあるのだ。
ともあれ、場所にしても噺家さんにしても、新しい魅力を発見した一日だった。

北斎がらみ

(きのうの話の続き)まあ北斎展の中身の話といっても、モンガイカンの私にたいしたことは書けません。
うちの近所に、北斎通りという名前の通りがあるということはきのうも書いたけど、墨田区と地元の人たちで「北斎通りまちづくり協議会」というのをやっていて、そこの主催でたまにイベントや講演会を開催しています。
これまで「北斎通りまちづくり講演会」というのを3回やったそうで、私はその一番最初のは聞き逃したが(ちなみに講師は海老名香葉子)、去年の第二回、それから今年2月の第三回の講演会はしっかり聞いています。
講演会といっても、ほんとに地元のヒマな人しか来てないような感じで、3、40人も集まっていればいいところなんだけど。
第二回の講演会では、法政大学の陣内秀信先生が、都市の公共空間の使い方みたいな話をイタリアとの比較でやってました。
まあ墨田区亀沢とイタリアを比べても仕方ないかなという気もしますが、でも話自体は面白かった記憶があります。
で、先日の第三回の講演会が、それがいよいよ本命、葛飾北斎についての講演だったわけなんですな。
ということで話はまた続く。

北斎展

ご近所シリーズ第二弾、今回は葛飾北斎です。
ま、というわけでもないですが、墨田区役所の隣にある、すみだリバーサイドホールというところで「北斎展」というのをやっていたので、ささっと自転車で見に行ってきた。
ここも、この前の江戸東京博物館ほど近くはないけれど、それでもうちから自転車で5、6分も走ればゆうに着ける場所です。
さて、なぜ墨田区で北斎かというと、葛飾北斎という人は、墨田区にかなり由来のある人だったらしくて、まず生まれたのが現在の墨田区亀沢。
このあたりに、今はすっかり埋められてますが、戦前くらいまでは南割下水という水道が東西に掘られていて、どうも北斎はこの界隈で生まれたらしい。
江戸東京博物館を両国駅と反対側に出て、清澄通りを渡ると、錦糸町の方向にまっすぐ続いている道があって、その通りの名前が北斎通り。しばらく前までは割下水通りと言っていたそうですが、北斎にちなんで名前を変えたみたいです。
清澄通りとの交差点から北斎通りを少し入ったところに、葛飾北斎生誕の地という小さな碑が建てられている。
生誕の地だけじゃなくて、北斎は生涯で93回も転居したと言われていますが、その多くが現在の墨田区の本所地域にあるそうです。
なるほどねえ。なんだかだんだん墨田区の観光ガイドみたいになってきたぞ。
ともあれ墨田区は、地域の生んだ世界的な画家である葛飾北斎の作品を収集していて、今回の「北斎展」で公開された作品もその一部なのです。
どうやら年に一回くらい、こういう形で区所蔵の北斎の作品を公開しているらしい。
さらに、北斎の作品を常設展示するための美術館、その名も「北斎館(仮称)」というのを建てる計画があって、墨田区はもうすでに建設用地も北斎通りから少し入った場所に確保しているのだけど、あいにくこの財政難で、いつまで経っても予算がつかない。
墨田区の人によると、全然着工の目途は立ってないそうです。
実はこの建設予定地というのが、実は私の勤め先の目と鼻の先なんですな。今は仮設の立体駐車場になってます。
それにしても北斎館(仮称)、一体いつになったらできるのか。
ということで今日の話はここまで。って、北斎展の中身の話には全然入れなかったぞ。

円山応挙展

やたら寒い日でしたな。
江戸東京博物館に円山応挙展を見に行ってきました。
もともと近現代の作品ばかり見ているのに、また日本画など旧弊なものと思い込んでいるくせに、今回応挙展に足を運んだのは、たまたま懸賞でタダ券が当たったからです。
ま、というわけだけでもないんですが。
わが家から江戸東京博物館まで、徒歩で10分、いや5分くらいかな。
そんな近くにあるのに、3年半前に引っ越して来てからこの方、博物館の中に入ったことがなかった。
ほぼ毎日のように、この巨大な、ホワイトベースみたいな建築物を見上げていたのに。
いつでも行けると思うと、いざ行こうとはなかなか決心がつかないものです。
しかしまあ、そういう尻込みや食べず嫌いは無用なものだと改めて感じました。
いやまず驚いたのは、応挙展のものすごい客入りですね。
会期も今日、明日で終わるということもあるのだろうけど、入場制限しなきゃいけないくらい、入口前に客の行列ができている。
テレビかなにかで宣伝してたんでしょうかねえ。
ようやく展示室に入っても、人がすごくて全然先に進まない。
おかげで、ひとつひとつの作品を時間をかけて見ることができたというケガの功名はあったわけだけど。
展示作品自体の感想については、控えることにします。恥ずかしいから。
応挙の作品がどうというより、すごい基本的なところに驚いたり感心したりするんですよね。
多分日本美術史とか日本画に詳しい人には笑われちゃうんだろうけど。
例えば鶏とか鶴とかを細密な彩色画で描いてるのと、雨に煙る竹林や雪の積もった梅を描いた墨画とは、作風が全然違うわけじゃないですか。
ああいうの、ひとりの作家の中で矛盾なく融合してたんだなあとか。
あと、襖絵なんかでも、襖自体の形が今の時代にないような縦横比だったり、最初襖に描かれてた梅の枝がどんどん伸びて、襖からはみ出て掛け軸になったり。
なんかその、媒体の使い方が野放図ですよね。
それから全然関心のポイントが応挙と関係ないんだけど、日本画って、襖絵とか、屏風とか、掛け軸とか、基本的に作品が移動可能でしょう。
西洋の古典絵画だと、壁画とか天井とか、その場所に固定したものが多いんじゃないの。
掛け軸だと、巻いてまたどこか別のところに掛けたりとか、モバイルだよね。
なんだっけ、今回の応挙の作品でも、掛け軸を5、6幅、それもかなり幅広の軸を使って、それ全体で巨大な波しぶきを描いているようなのがあったけど、あれを分割して掛け軸の作品にする意味というのが、よくわかんない。一枚の巨大な作品、という概念がないのかな。
逆にいえば、巨大な作品を掛け軸の形で移動可能にしているというのが、なんかすごいな。ポータブルな大作。モバイル絵画。
西洋画だと、そういう作品のありかたってないんじゃないのかねえ。
あと虎ね。
虎って、江戸時代の人って、実物を見たことは、まあないわけでしょう。
今回の作品のキャプションによると、長崎経由で入ってきた虎の毛皮なんかで毛並みを研究したらしいけど、虎の実際の動きや表情は想像で描いたわけなんでしょ。
だから、虎を描くのも龍を描くのも、江戸時代の人にとってはあまり距離がないことなんじゃないかな、とか。
実際、動きとか表情が、ぼくらのなんとなく知っている虎とは別なんですよね。
リアリズムというのが、今ぼくらの思うリアリズムとは違うと言おうか。要するに、動物や自然の動きを写真でパチリと撮ったのがリアリズムというのとは、ちょっと違う気がする。
鶴の一瞬の動きや滝の水しぶきを描いた作品を見て、写真もないのによくこれだけ描けるなあとか思ってしまうけれど、おそらくそれは話が逆で、江戸時代の人は写真というものが念頭にないところから出発しているわけだから、動きを写し取るということについて、今のぼくらとは違う考え方があるはずなんだ。
うまく言えないけど、観念としての動きを描いているみたいなところがあるんじゃないの。
で、それが見るものの持ってる観念とピタッと一致して、そこにリアリティや驚きの発生があるみたいな。
鶴にしても、いま写真に撮った鶴を見せられたら、案外応挙の描いた鶴と違ってるんじゃないか。それでも、絵と向き合っている分にはそこにリアルを感じるのは、ぼくらの持っている鶴の観念と応挙の時代の鶴の観念とは、あまり距離がないからだと思う。
ところが虎なんかはそこに距離ができてしまった例で、応挙が描いてる虎にしても、さっき言ったように姿勢とか表情とか目の色とかどこかヘンで、哺乳類というより爬虫類的に見えてしまうんだけど、今のぼくらは写真や映像で実際の虎のイメージをさんざん見ているからそう見えるのであって、江戸時代の人は、あれでものすごいリアリティが掻き立てられたんだろうと思う。
そういう意味では、鶴や鶏を描くのも、虎や龍を描くのも、あるいは幽霊を描くのも、どれもみんな写生で、並列なことなんだろうね。
うーん、でも日本画も見たら見たで面白いねえ。
現代の日本画だと、例えば平山郁夫とか聞くと、それだけで否定的なところから入っちゃうところがあるじゃないですか。
単に日本画の画材を使ってるってだけで、絵そのものはツマンナイだろとか。
でも、少なくとも江戸時代の日本画は面白いね。
今回の応挙とかが日本画の歴史的にひとつのピークだったのかもしれないけど。
あと芸大の日本画科卒で現代美術の作家やっている人って結構いますよね。村上隆とか。
それから日本画の手法っていうか、約束事を使っている人いますよね。山口晃とか。
こないだも、木場の現代美術館で山口晃の作品を見てきたんだけど、中西夏之の公開制作の様子を一枚の巻物絵みたいにしたのとか、完成作品とその下絵を対で展示してあるのとか、面白いねえ。
そういうことでいうと、いま手元に美術手帖の2月号があるんだけど、ここで紹介されてるローラ・オーウェンスの花鳥画? 彼らの作品のほうが、今のいわゆる日本画より、応挙との距離が近いように思える。
最後に、江戸東京博物館は、常設展示見ごたえあるねえ。
ものすごいボリューム。あれだったら、朝から入って、一旦外でお昼食べて、再入場して、それで一日じっくり楽しめるよ。
自分のごく身近にあんなものがあったとは。もうお腹いっぱいです。