初台のICCにライヴ「∞(Open End)」というのを見に行ってきた。
「ICC開館10周年記念セッション・シリーズ」の第5回にして最終回ということらしいが、前の4回は全部見逃しているよ。われながら腰の重たかったことだ。
ICCに着くまで、なんとなく今回の会場を、よくライヴとかトークイヴェントとかをやっている4階の広い場所かと思い込んでいたのだが、ワンフロア上のギャラリーAなのか。しかもオールスタンディングだし。
木場公園から
乃木坂から
国立新美術館の「アーティスト・ファイル2008」を見てきたので覚え書きをしておく。
竹村京。展示室をぐるりと見回すと、壁を大きく使ったスケール感のある展示。面白そう。
ある作品のキャプションの書き方が、「イタリア製合成繊維、日本製絹糸、ドイツ製/日本製ピン・・・」と、どうして素材の出身国を明記してあるんだろう。
今の日本の中学生女子が作った刺繍と、1900年頃のドレスデンの同年輩の少女が作った刺繍を対比する作品。時代の違い、国の、文化の違い、規範意識、制度性、なんだかいろんなことを思う。
さっきの作品の、キャプションであえて国籍を露出させているのと、どこか通じるような気がしないでもない。
神様、力をください
何とか部屋にたどり着いて、スーツをハンガーにかける余裕もなくベッドに倒れこんで、すぐに気を失うみたいに寝た。
夜中に突然ブーンという音で目が覚めて、一体何事かと思うと、もう何年も使っているUSB接続のアンプから異音が出ていて止まらない。
とりあえず電源だけ切って、またベッドに戻って、泥のように寝た。
高円寺から
高円寺の「抱瓶」にシカラムータを見に行ってきた。
ライブを聞きながら泡盛をあおっていると、調子に乗ってピッチがどんどん上がり、思ったより回ってしまって翌朝は大変なことになってしまった。
むろん、これはただぼくひとりの問題であり、抱瓶のせいでも、むろんシカラムータが悪いわけでもありません。しかし久しぶりのかなり本格的な二日酔いの朝だったな今日は。いやはや。
「わたしいまめまいしたわ」のメモ帳から
「〈わたし〉は〈わたし〉である」という命題を見て、もし〈わたし〉が、本当に完全無欠に同一の〈わたし〉だったら、そんなふうに自分自身を突き放して見比べる視点など持ちようがないだろうに。むしろ、これは「〈わたし〉は〈わたし〉なのか?」と疑問形に変えたほうがおさまりがいい。
河原温の電報に打たれた文字「I AM STILL ALIVE ON KAWARA」。一瞬、このONを作家の名前じゃなくて英文の前置詞と勘違いして意味を考えてしまった。我、いまだ生きて河原に在り、と。
世界の果ての彼女のために
去年、森美術館に「六本木クロッシング」展を見に行ったとき、冨谷悦子さんという作家の版画作品に魅了されて、もう顔をくっつけるようにして壁に掲げられた作品を次から次に見ていったことを思い出す。
その時、売店に行ったら彼女の作品をカバーアートに使ったCDを置いていたので、展示室の上気のままにジャケ買いしたのがworld’s end girlfriendだった。
が、この人の音楽はとっくの昔からその筋では評価の高いものだったようだから、今さらぼくが見つけたかのごとく言うことはないのだよね。
東中野から
音楽のworld’s end girlfriendを目当てに出かけたのだが、これが結構な拾いものだった。
ドキュメントでなく、あくまでフィクション、劇映画として成立させているところがいい。
障害者が出てくる映画というと、それだけで構えてしまって、見に行く前に腰が引けてしまうことが多いのだけど、これは、障害者の映画であって、そうでない。
主演の住田雅清氏がas himselfで登場しながら、それでいて、あくまで役を演じていることで、相対化している。それだけでなく、ある種の普遍性を獲得していると思った。
新宿から
本日のベルク
生ビール
ソーセージ&ポテト
ギネス1パイント
レバー・ハーブ・パテ
臥龍梅純米吟醸
桜木町から
桜木町の創造空間9001に行ってきた。
廃止になった東急東横線桜木町駅の駅舎跡に昨年できたイベントスペースで、思えばこの駅から最終電車が出た夜、ぼくは野毛飲兵衛ラリーで飲み歩いたついでに、まさにこの場所で身動きできないほどの喧騒を体験していたのだ。
今回の「パフォーマンスの複数次元vol.2」と題されたイベント、4組のパフォーマーが出演するとのことだが、とりあえずぼくは音楽家/パフォーマーの足立智美さんを目当てに出かけた。彼のパフォーマンスを生で見るのはこれで3回目ということになる。足立さん以外は全員初見。