SMっぽいの好き

ここしばらく、近所の歯医者に通って歯石を取ってもらっている。
先々週から通い始めて、これまで3回診てもらった。
最初は1、2回も診てもらえば済むかなと思っていたのだけど、前回の帰り際に、今度の予約はどうしますかなんて聞かれたということは、まだあと何回か来ないといけないのだろうか。
といっても、歯医者に行くのが別にイヤなわけじゃなくて、むしろもうしばらく歯医者通いを続けたいくらい。
実は、いま診てもらっている先生が女医さんで、そうねえ、年はぼくと同じくらいか。それで、その先生が、ぼく好みの、結構ぐっとくるタイプなのです。
当たり前なんだけど、歯はキレイ。そりゃ歯医者さんだし。
そういう素敵な人に、唇をぐいっと押し広げられて、奥の奥まで覗き込まれて。
誰にも見せたことのない部分が丸見えの写真まで撮られて(歯のレントゲンを撮られた)。
電気仕掛けの道具がギューンって音を出しながら敏感な箇所に押し当てられて。
あんまり激しくって血が出てきちゃった(歯ぐきが炎症を起こしていた)。
という、ほとんどSMじゃないかっていうくらいの勢いですが。
そうか、歯医者ってのはいいところなんだ、っていうのが、この年になってわかってきた。
この楽しみは、お子様にはわからないだろうなあ。
今度はいつ診てもらおうか、楽しみで楽しみで。
診察室で、もうひとりのおじさんの先生が出てきたら、急用ができたって言って帰ります。

飲み過ぎの夜、睡眠不足の朝

ゆうべは居酒屋で生中を3杯と酎ハイを1杯飲んだ。
二軒目のバーでジントニックとブラディーマリーとバーボンをロックで2、3杯飲んだ。
月曜にしてはいささか飲み過ぎである。
しかも、そのあと、うかつにも駅前でラーメンを食ってしまった。
おまけにコンビニでレトルトのスパゲティを買って食ってしまった。
あれだけ飲んだ後ラーメン屋に寄らないのが鉄則と書いておきながら、あっさりとラーメン食っちゃうんだからなあ。
激しく反省の朝なのである。
こうなったら今夜はエアロバイクを2時間漕がないと。
静かに決意の朝なのである。
一軒目の居酒屋は、店の雰囲気もよく料理もおいしいのだが、残念なことにお酒の種類があんまりない。お客はみんなビールかいいちこばかり飲んでいる。
これでお酒の揃いがよければ、居酒屋好きの皆さんにもお奨めできるんだけど。
酔っ払ってベッドに倒れこんで、気がついたら午前2時だった。
小雨交じりの、ならぬ、雨は降っていないが、大風が吹いている。
いつスイッチを入れたのか、ラジオがつけっぱなしになっている。
目を閉じて、半死半生ならぬ、半睡半醒の状況で聞いていた。
ラジオではくるりの3人が喋っている。初めて聞いたけど、結構好感持てる人たちですね。これは今夜の発見。
女性ボーカルで、メロディーは単調だけど勢い良くて、ニューウェーブっぽい曲がかかっている。いい感じだなあと思ったけど、なにぶん半睡半醒なもんだから、曲名もアーティスト名もさっぱり覚えていない。朝になってJ-Waveのサイトで昨日の選曲リストを見たけど、全然わからないぞ。
ということで、だらだらと聞くでも聞かないでもなくラジオがかかっていて、そのうちにくるりの番組も終わって、うとうととするうちに、いつの間にか鳥越さやかが喋っていて、またうとうととするうちに、ジョン・カビラに替わっている。
おいおい、こんな中途半端な寝の状態で会社に行くのかよ。
という、飲み過ぎの夜、睡眠不足の朝。

万国博覧会の美術

そもそも、万博で工芸品や美術品の展示というのがピンとこなかった。
万博と聞いてまず思い浮かべるのは、とりあえず1970年の大阪万博を挙げておくけれど、もっとも、ぼくはまだ生まれていない。それでも、生まれてからの後付けの知識が、ぼくなりの大阪万博像を構成している。最近でいうと、去年ICCでやっていたEAT展で、大阪万博で展示されていた作品を再現していたのが印象的だった。
実際に足を運んだ博覧会というと、82年の神戸ポートピア、85年の筑波科学万博というあたりからで、もちろん、どちらもまだ子供のころの話だけど、実際には、このふたつの博覧会の印象が、ぼくの万博イメージのかなりの部分を占めている。
つまり、万博というと、だだっ広い敷地に民間企業や各国政府のパビリオンが建ち並んで、その中では大掛かりなCGやロボットのショウなどが見られるというもの。
そういうイメージが植えつけられてしまっているので、万博の展示品として(どれだけスゴイ品物かはともかくとして)陶器やら漆器やらが並んでいるのを見ると、どうしても違和感があって、万博というより、むしろ見本市とか物産展という感じもする。
まあ、工芸品は昔は日本の一大輸出品だったわけだから、もしかすると、今でいったら車とか電気製品が展示されているようなものかも知れない。とすると、見本市とか物産展みたいという印象も、あながち間違っていないのかも知れないけど。
ただ、今度は工芸品を美術品扱いさせようっていう話になってくるわけでしょう。
工芸品が美術品の範疇に入らないというんだったら、強引に額縁をつけて美術品扱いさせてしまえ、それだったら万博に展示しても文句ないだろ、ということも、シカゴ万博ではあったらしい。
工芸品が美術品なのかどうかというのは別にして、そのエピソード自体は、当時の日本と西洋近代の間の美術概念のズレを示していて、とても興味深いんですが、もうひとつ、ぼくの中では、そうか、万博って美術品を展示するところだったんだ、という再認識というか、軽い驚きがあったわけです。
要するに、万博が美術品を展示する装置として機能していて、しかもそれが美術界にとって一定の権威を持っていたというのが、どうもぼくの万博イメージと合わない。
今回の展覧会でも、その後のブースに行くと、当時の万博に出展されていたヨーロッパの絵画作品が展示してあるけど、逆に、展示から漏れた人たちが、わざわざ万博会場の近くで個展やってたりする。でも、それって、万博をすごく意識してるってことでしょう。
いや、よく考えれば、やっぱり今も昔も万博に美術って不可欠なのか。それこそ、最初に書いた大阪万博でのEATの作品もそうだし。
それでもまだ、万博と美術の関係について、どこか違和感があるのは、多分、万博が、出展企業や政府の扱っている商品の売らんかなの場になっている(というイメージがある)からじゃないかと思う。
つまり、パビリオンの中に入っているモノは売り物で、それに対して、美術品というのは、あくまで美術館の中に入っているモノで、かつ基本的にそれは売り物じゃないよ、という思い込みが(少なくともぼくの中に)あるんじゃないか。
例えば大阪万博でも愛知万博でもいいけど、そこに何か美術作品が展示してあったとしても、それはその美術作品そのものを押してるわけじゃなくて、ほかに展示してある商品を売るための補助的な効果として機能しているという見方になっちゃうんじゃないですか。大阪万博のEATの作品だって、そういう意味では、ペプシ館の、ペプシコーラを売るための範囲内で機能するものだったわけでしょう、きっと。
ちょっと展覧会の本題と違ったかもしれないけど、どうでしょうか。
東京国立博物館 平成館
「世紀の祭典 万国博覧会の美術 〜パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品〜」
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=4

新しいカメラ

新しいカメラを買ってしまった。パナソニックのLUMIX DMC-FX7。
きのう、錦糸町のテルミナの中の本屋に月刊ホークスを買いに行くついでに(余談だが、この本屋には毎月必ず月刊ホークスが置いてあるのでエライ)、1階のヨドバシのカメラ売場に寄ってみた。
最初は、発売日が明日だと聞いていたし、入荷状況と値段だけでも教えてもらおうかな程度の気持ちだったのだけど、応対した店員さんが、
「いま来たトラックで入荷したかもしれませんので、少しお待ちください」
と言うものだから、待たざるを得ないではないですか。
で、店員さんがさっそくトラックから持ってきた段ボール箱を目の前で開けてくれて。
まだ店頭にも展示していないのに。
結局、その日のうちに現物をもらって帰ってきた。
4年ぶりのデジカメ購入ということになる。
しばらく前からそろそろ買い替えをしたいなあと思っていて、いろんなサイトのレビューを見ていると、この機種の前評判が高かったんでね。
さっそく箱を開けてみた。
うーむ小さい。
うしろの液晶モニタがでかい。
このへんのことは、どこの記事にも書いてあることですよね。
実は、まだ1枚も撮っていません。ゆうべは手にとってじろじろと眺め回すくらいで。
このカメラのひとつ気になることは、ファインダーがないことで、今まで結構ぼくは、液晶モニタ付きのデジカメでもファインダーを覗いて写真を撮ることが多かったので、そのあたりの使い具合がどうなのかなという、若干の不安はあります。
まあでも、評判の手ブレ防止機能というのが、どの程度のものなのか。それを期待してる部分が大きいので、おいおい楽しみです。ということで。

痩せ話 その12

ここまで偉そうに痩せ話を続けてきたけれど、一応、確認のために言っておきますが、痩せたといっても別にガリガリになったわけではなく、以前からみて体重がいくらか減ったという、それだけのことです。
世間の人並みからすれば、まあ、痩せてるとは、お世辞でも言えないでしょう。
だから、まだもう少しダイエットは続ける。せっかくの機会なので、できれば、あと5キロくらいは落としたい。
とはいえ、ダイエットを続けるのは、結構ツライことです。
そりゃあ、簡単に痩せられれば、それに越したことはないけれど、ダイエットに近道はない。王道ダイエットというのは、適切な食事制限と適度な運動をすることです。
これはまさに、言うは易く行うは難しで、まず意志が強くないと長続きしないし、痩せようという意志があっても、周りの環境がそれを許さないこともある。
この難しさ、ツラさを思えば、人に軽々しく「痩せろ」なんて言えなくなる。
それに、健康に差し迫った影響がないのなら、あまり神経質に体重を減らす必要もないんだろうしね。
それでも、いま太っている人が、これから痩せたいという気持ちがあるのなら、無理してまで痩せろとは言わないけれど、一回、努力してみる価値はあると思う。
痩せることで、あるいは痩せようと努力することで、見えてくるものもあるからだ。
これまでこの文章にお付き合いいただいた方には、わかっていただけるのではないかと思うけれど、ぼくはこの1年間、ダイエットを続けるうちに、自分や他者についての認識を新たにさせられることが何度かあった。
ダイエットというのは、体重が減ったり体型が小さくなったりと、体がいわば物理的に変化するだけのことではないのだ。自分の内面と外面とが相まって変容していくのを実感するのは、なかなか得がたい体験だと思う。
言い換えれば、極端に痩せたり太ったりするというのは、単なる体の問題ではなくて、その人の内面の状態と切り離すことはできないのだろう。
最近、街ですごく太った人を見かけると、その人の抱える心のひずみについて思いが及ぶようになった(大きなお世話だろうが)。
が、ぼくだってそうなのだ。今もまだ、そのひずみを無理矢理散らしているだけで、ひずみが解消されないままに、遠からずダイエットをやめれば、すぐにリバウンドしてしまうのかも知れない。
もしそうなったら、ぼくはここでまた、次の痩せ話を始めるのだろうが、それはそのときの話だ。

痩せ話 その10

夏休みを挟んで2週間ぶりにジムに行ったけど、案の定、少し体重が戻ってたなあ。
いちおう休み中も、毎日、犬の散歩程度の運動はしていたのだけど、それだけじゃ足りなかったか。
さて、長らく連載してまいりました痩せ話ですが、本当をいうと、夏休み前にあと1、2回続けて、それでこの話は終わりにしようと考えていた。
それが突然、例のダイエーの産業再生機構活用の話が出てきた関係で、そっちのほうにも触れておかないと気が済まないし、おかげですっかり予定が狂ってしまった。
前回から2週間も経って再開するのは、どうにも間が悪いのだけど、実は書きかけのまま残していた文章もあるので、もう少し痩せ話を続けたいと思う。今しばらく、こりずにお付き合いいただきたい。
体重がガクッと落ちて、まず困ったのは、着る物のことだ。
今年の5月だったか、そろそろ暑くなってきたので、去年作ったばかりの夏のスーツを出したら、ほんの1年前は普通に着ていたのに、もうブカブカで、全然着られたもんじゃない。それでも着てみたら、まるでコントみたいだ。
逆に、去年まではきつくて履けなかったパンツが余裕で履けるようになったし、無理矢理袖を通していたようなシャツが、嘘みたいにすっと袖が通るようになった。
お盆に実家に帰ったら、ちょうど10年前に就職活動をしているころに着ていたスーツが出てきたので、ためしに着てみたら、これが上も下もぴったりと収まる。
そうか、この1年間で、まさに10年前の体型に戻ったということなんだな。
ふと、これまでの10年間を思い起こして、この10年は自分にとって一体何だったんだろう、もしかすると、「失われた10年」というのはこういうことなのかな、などと思ったりする。
この10年間、体重や体型は大きくなる一方だったから、時間の経過イコール体重の増加みたいな思い込みがあったのだが、こうして急に10年前の体型に戻ってみると、なんだか自分が10歳若返ったような、10年前の自分に帰ったような、そんな錯覚がある。ダイエットによるタイムマシン効果とでもいうんですかね。なんだかよくわかりませんが。
そういえば、10年前はこんなことを考えていたなあ、とか、こんなことがやりたかったんだなあ。あれから10歳も年を取っちゃったけど、もしかすると、まだ間に合うこともあるのだろうか。折に触れて、そんなことを考えるようにもなった。
とはいえ、いくら1年間で大きく痩せたといっても、日々の変化はゆるやかなものだ。
朝起きて、自分の姿を鏡に映して見れば、鏡の中の自分はやっぱり昨日と同じ自分で、目に見えて外見が変わっているわけでもない。
それなのに、1年経つと、去年着ていた洋服は、まるで他人の洋服みたいにブカブカだし、久し振りの人に会えば、痩せただの、(これは大げさだけど)誰だかわからなかっただのと言われる。自分の中では、1年前も今も、相変わらずのぼくなのだが。
なんだか、自分が自分であって自分でないような、不思議な感じがする。

クールビューティー

しばらくお休みをいただいておりました。
この1週間はジムにも行かず、毎日極限までスイカを食べていた。おかげで少し太ったかも。
世間的にはオリンピックですが、最近ほとんど地上波のテレビを見なくなったぼくも、さすがに普段の3割増し程度にはテレビを見ている。
今朝は4時半くらいに目が覚めてしまった。と言っても、これはオリンピックとはあまり関係なく、ここのところ眠りが浅くて、夜中にたびたび目を覚ましてしまうことが多い。
とりあえずラジオのスイッチだけ入れて、またベッドにもぐりこむ。
こうして横になっているうちに、浅い眠りに戻る。
6時前に目覚ましが鳴って、止めてからまたウトウトする。そして7時半くらいになって、本格的に起き出す、というのがいつものパターン。
今朝も半分寝ながらJ-Waveのロハスモーニングを聞いていたら、体操の男子団体で日本が金メダルを取ったという速報が入った。
どれどれと目をこすりながらテレビをつけて、しばらく見ているうちに、寝直すタイミングを逸してしまって、結局、普段に増して寝が足りないまま出勤するハメになってしまった。
ただでさえ慢性的に寝が足りないのに、オリンピックのおかげで寝不足まで普段の3割増しになってしまう。よくないよくない。
オリンピックといえば、今回の開会式を見ていたら、確かアメリカの次くらいに日本の選手団が入ってきたでしょう。
入場はギリシャ文字のアルファベット順ということらしいけど、英語でいうとUSAの次がどうしてJAPANになるのか。
ローマ字のアルファベットとはだいぶ違うんだなあと思いつつ見ていた。
もうひとつ開会式でふーんと思ったのは、ギリシャ語でフランスって、ガリアなのね。
ガリア戦記だ。決して昔の言葉じゃなくて、今でも使ってるんだね。
オリンピックはそのくらいにして、少し前の話ですが、サッカーのアジアカップ。
表彰式でチャイナドレス姿の中国女がアシスタント役?を務めてましたが、なんだかわたしは、クールビューティーふうの彼女のたたずまいにかなりやられてしまった。
ああいう人に冷たくあしらわれてみたい。ちょっと変態ですかね。
いやあ、でもなんていう人なんだろう。モデルかな? 本気で情報希望です。
というわけでとりあえず、今日は閑話ばっかりで。

銀行団はホークスについてビジョンを示せ

ダイエーの産業再生機構入りって話になると、すぐに「福岡ロッテ・ホークス」誕生か、なんて話が出てくるだろ。
だからダメなんだ。
いや、最悪、ダイエーが産業再生機構送りされて解体されたって仕方ないと思ってるよ。
銀行団は、特にUFJだろうが、どうしてもそうしたいみたいだから。てゆうか、まあ、竹中平蔵だな。
ただね、ダイエー本社をつぶすのはいいけど、銀行団はホークスのことを責任もって面倒みてほしいよ。新しく買ってくれそうな会社を探してからにするとか。
さもなきゃ銀行団がホークスの支援企業になってくれ。ダイエー本社をつぶしたいんだったら、そのくらいの覚悟でやれ。
あるいは球団も本体と一緒に産業再生機構入りさせて、一時的に国有化しちゃうとか。いや、冗談じゃなくて、今のホークスだったら、うまくやれば、球団単独で利益が出るところまでもっていけるんじゃない。
それが、銀行団が、ろくに球団の買い手も探さずに、売却なんてことにすると、絶対にほかと合併、という流れになっちゃうから。
銀行団は、ホークスをどうするつもりなんだ。まず、そのビジョンを示してから、ダイエーを機構送りでもどうにでもしてくれ。
逆に、そのビジョンがないんだったら、あるいは球団合併につながる流れなんだったら、ダイエー本社の産業再生機構送りは絶対反対。

<緊急アピール>ホークス存続のために政府・金融機関は万全の体制をとれ

一部報道で株式会社ダイエーに対する産業再生機構の活用が取りざたされているが、これが事実とすると、株式会社ダイエーの子会社である株式会社福岡ダイエーホークスの経営にも重大な影響が及ぶことが懸念される。
政府及び金融機関は、プロ野球が国民的な文化であり、球団が公共財としての性格を強く有することを考慮して、ホークス球団の維持・存続のためにあらゆる策を講じ、もって球界システムの安定化を図るよう、ここに強く求めるものである。
また、状況に応じて、以下の方策を取ることを提言する。
・ホークス球団に対するダイエー本社からの資金援助が困難になった場合は、金融機関はホークス球団に対する緊急融資を速やかに実施すること
・ダイエー本社がホークス球団売却を余儀なくされる状況となった場合は、政府及び金融機関は、球団購入を希望する企業への斡旋を行い、かつ政府は球界への新規参入企業に対する規制を緩和するようプロ野球機構に対する行政指導を徹底すること
・上記の方策にかかわらず、適当なスポンサー企業が見つからず、ホークス球団の存続が危ぶまれる状況となった場合は、球団存続を最優先に、政府による資本注入や球団の一時国有化を実施すること   以上

痩せ話 その9

前はずいぶん不健康だったんだろうな、というのは、今だからこそ言えるので、本人はそれが当たり前の状態だと思っているから、よほどのことのない限り、積極的に生活を変えようとは思わない。
おそらく、体調にも閾値のようなものがあって、体が我慢できる限界を越えると、とたんに悲鳴を上げだすのかも知れない。ぼくの場合は、それが眼の痛みとして表れたということなのだろう。
別にぼくは、必ずしも健康づくりのためにスポーツクラブに通おうとか、ダイエットをしようとか思い立ったわけではなく、むしろもっと漠然とした考えから始めたことなのだが(とはいえ、前に書いたように、それは切実な要請でもあったわけだが)、いわば二次的な効果として、自分の体と積極的に向かい合うようにもなった。
そもそも、この1年間で20キロ痩せたと書いたけれど、それだって最初から明確な目標があったわけでは決してない。
スポーツクラブというところに通うのも初めてなら、運動らしい運動なんてここ何年もしたことがなかったわけで、果たしてどれくらい続けられるか、まったく自信がなかった。
それが、しばらく続けるうちに、通えば通っただけ効果が表れることがわかってきた。
毎回、トレーニングの前後には、必ず体重と血圧、脈拍を測って自分のカルテに記入することになっているのだけど、新しい用紙をもらうたびに、自分の体重がどんどん減っていくのがよくわかる。
ジム通いの回数と体重減のペースがほぼ比例していることに気づいてからは、自分なりにその折々の数値目標を立てて、それを目安にトレーニングをするようになった。例えば、年末までに体重を何キロにするとか、何月までに何キロやせるとかいったように。1年間で20キロ減を目標にしようと考えはじめたのは、今年の春先だったと思う。
このあたりで、ある心境の変化が起こった。
順調に体重が減っていくのを見るうちに、そうか、おれもやればできるんだな、という変な自信が湧いてきた。まあ、正確に言えば、やればできる、こともある、といった程度のことなのだが、それでも、自ら目標として立てた数字が自分の努力によって達成できたという充実感は、久しく忘れてしまっていたものだった。
むろん、世の中には、いくら努力したってどうにもならないこともたくさんあることくらいはわかっている。が、努力の積み重ねがそのまま成果につながることだってあるんだ、という認識は、ものすごく新鮮なことのように感じられた。