電話交換手

燃えるゴミの日。いつもより少し早く家を出られた。

急に戸締まりが不安になって家に引き返す。

鍵はちゃんとかかっていた。少し早く出た分、余計なことが気になるんだろう。

それでもまだ少し早いので、普段と違う道を通って駅に向かう。

オリーブの植木を売っている。ちょっと欲しいが、僭越な気もする。

朝顔が今シーズン最後の花を辛うじて咲かせたという風情。

お尻を上げた妙な姿勢の猫を見かけた。

朝はドトールで。今シーズン初のホットコーヒー。

昼はまぐろの刺身。この店で刺身のランチは初めて。なかなか宜しい。赤身の旨さを再認識する。大海原の気を集めた血と肉を口にしているという感じがする。

夜は所用の後、鍼を打ってもらう。施術は二度目。鍼を打たれながら、ふと、昔の電話交換手がプラグを抜き差ししている様子を思い浮かべる。身体の中に線を繋いで、信号を通しているようなものかと思う。線が繋がった時と切れる時には、独特のぬるりとした感覚があるのは、前回同様。

お目汚しで恐縮だが、鍼が刺さったふくらはぎの写真。施術中はうつ伏せになっているから、自分の身体に鍼が打たれた様子は自分では見えない。背中の写真も見せてもらったが、打たれている時の感覚だと、もっとびっしり刺さっているのかと思っていたのに、案外そうでもなかった。

鍼を打った穴から水が入るといけないので(そんなことはありません)、今夜は風呂はパス。8,044歩。

休業中

出掛けに椿の鉢に水を少しやった。

朝はドトールの持ち帰り。昼はコンビニのサンドイッチ等で済ます。

所用はなく、寄り道するにも中途半端な時間になってしまって、そのまま帰宅。行きたい銭湯が休業中では、夜の散歩に出る気にもならない。写真の整理等をしているうちにいい時間になって就寝。7,299歩。

藝術

午前中はだらだら寝て過ごしてしまった。

午後から外出。直やさんのところの軒下作家さんが滞在しているというので様子を見に行ったが、まだ来られていなかった。途中でヒガムコのマスターに会ったので、コーヒーを飲みながら少し待ってもいいかなと思ったけど、お店の前に客が並んでいるし、直やさんのところもヒガムコもまたの機会に。

隅田川沿いをぶらぶら歩いて、まずは浅草へ向かう。

少年野球場の隣にクレヨンしんちゃん仕様の水陸両用バスが停まっている。試合後の子供たちが乗り込むようだ。というか団体でのバス移動も普通に解禁してるんだな。王選手は一本足で何を思うか。

コスモスの時期になった。

隅田公園の人混みを横目に、リバーウォークを渡る。

小腹が空いたので、浅草駅地下街の文殊で春菊天そば、卵のせ。地下鉄で上野へ。

休日の上野公園は親子連れの姿が目立つ。噴水広場は、以前の週末なら何かしら催し物のテントが出ていたが、そこだけぽっかり空いているのはコロナ以後ならではの状況と言えようか。

金属の筒は何かと思ったら放水銃。

門柱には「旧東京音樂学校奏樂堂」とある。細かいことだが、どうして「樂」だけ正字で書くのか。正字を使いたいのなら、「舊東京音樂學校奏樂堂」と正字で揃えるのが筋ではないか。さもなければ、「旧東京音楽学校奏楽堂」と、すべて新字にして何の不都合もない。

乗りかかった船だから漢字表記の話を続けるけれど、上の写真の門柱に「東京藝術大學」とあるのは、「藝」も「學」も正字で表示されている点で、正しい(細かな書体の違いは措く)。しかし一般には「東京藝術大学」の表記をよく見るし、上の写真の中でも「東京藝術大学図書館」と表示されている。早稲田大学を「早稻田大学」と書くようなものだろう。慶應義塾大学は微妙だが、「慶應義塾」で一つの固有名詞と言えなくもない。「藝術」は固有名詞でも何でもない。この正字と新字の混用に疑問をもつ藝大(芸大)関係者はいないのだろうか。

話が長くなった。藝大(面倒くさいので人口に膾炙している表記で行く)の先端芸術表現科の20周年と、伊藤俊治教授退任記念を兼ねた展示を見に行く。伊藤俊治氏といえば、私が学生だった1990年代はメディア論の気鋭の批評家として活動していた。私も氏の著書を手にしたことは何度となくある。そうか、藝大の先生だったのか、というのと、もう退任される御年なのか、という二つの感慨があった。

ご多分に漏れず鑑賞は予約制で、少し早く着いたから、藝大美術館でコレクション展と、アートプラザで猫展というのを見て時間をつぶした。

この20年のうちに先端芸術表現科に在籍した作家の展示だが、私の趣味的には、ここに掲げたような、物理現象と芸術表現が重なる作品に惹かれる。上は栗山斉氏の『真空トンネル』、下は赤松音呂氏の『Chozumaki』。

帰りは谷中墓地を抜けて、日暮里駅へ。

人懐っこい黒猫が寄ってきた。

この後は月いちの高田馬場へ。終わって寄り道せず曳舟で降りると、雨が降り出した。速足で濡れて帰る。13,856歩。

手の人

icou(旧TABULAE)に寄ってストリートピアノのチラシの補充。その後近所を少し散歩。

雨に濡れた時期外れの朝顔が美しい。

ヒガムコに寄ってチラシの減り具合の確認がてらコーヒーで休憩。マスターとカウンターの相客との雑談が思いの外弾んで、気がついたらいい時間。

次の予定の豊洲シビックセンターは初めて行く場所で、江東区だから隣の区だろうとたかをくくっていたら、案外時間がかかることに気づいて冷や汗。曳舟からだと、曳舟→清澄白河→月島→豊洲、と地下鉄を二回乗り換えて1時間近くかかる。同じ江東区でも亀戸あたりとは全然違う。

なんとか間に合った。もし曳舟で一本遅い電車に乗っていたら遅刻していたかも知れない。

今日は手妻。手妻(和妻とも言う)は和風のマジックで、私は寄席演芸の色物のひとつとしての手妻は見たことがあるけれど、手妻が主役のホール公演というのは初めて。

藤山大樹さんという人は知らなかったが、師匠筋をたどると、寄席に出演している松旭斎の屋号のマジシャンともつながりがあるようだ。着物の袖のような袋から卵を取り出したり、紙の蝶を飛ばしたりするマジックは、寄席でも見たことがあるが、邦楽器を取り入れたバンドの生演奏をバックに、次々に和傘を取り出したり、扇子を開いて松羽目に見立てたりするマジックは、ホールならではのスケールの演目だろう。大きな扇子や傘が手許からどうやって出てくるのか、目を凝らしていても、まったくわからない。寄席で見るマジックと基本の技術は同じなのだろうが、見せ方でずいぶん印象が違うものだと思うと同時に、逆に寄席でマジックが色物扱いされているのがもったいないという気もしてくる。

次々に面を付け替えていく演目があった。瞬く間に白拍子が老女に相貌を変える様を見て、先日の文楽の一場面を思い出した。『嫗山姥』の中で、桐竹勘十郎さんが操る遊女八重垣のかしらが、「娘」から「角なしのガブ」に変わるのだが、どんなふうにかしらを付け替えているのか、まったくわからなかった。

言ってみれば、文楽も歌舞伎も「見世物」であるという点では、手妻と変わらない。今のようにジャンルが確立する前には、未分化な時代があったのだろう。

舞台上で大樹さんが言っていた「妖怪手品」という用語は知らなかったが、江戸期にあった妖獣等を出現させる見世物のことらしい。確かに怪談物の芝居等で見られるスペクタクルは、マジックやイリュージョンと地続きだろうと思う。

豊洲から銀座一丁目で一旦外に出て、銀座線に乗り換え、浅草へ。

浅草から対岸の隅田公園に行くのに、近頃鉄橋に沿ってできた、すみだリバーウォークを通って行ってみようと思うのだが、浅草側の入口がわかりにくい。

ようやく入口を示す看板を見つけた。あまりにも地味な看板なので見落としていた。余程浅草からスカイツリー方面に観光客を逃がしたくないのだろうと勘ぐってしまう。

隅田公園には映画の野外上映を見に来たのだが、上映時刻までまだ1時間余りある。地元の店が飲食のブースを出していると聞いていたので、飲み食いしながら待っていようと思っていたのだが、この雨では芝生にも座れないし、屋根のある場所もない。やむを得ず一時離脱。近くの直やさんのお店「キセカエ」に初めて伺って、しばし雑談。

一本目は『SECTION 1-2-3』。この映画は前にも見たはずだが、すっかり内容を忘れていて、そうだったと思い出しながら見ていた。この映画は、2007年の向島の風景を記録しているとともに、当時の実際の向島とも少し違う、ある種の並行世界を描いていると思う。そして、制作から10年余りが経って、映画の終わり近くのSF的な描写と、その後の現実の世界との間で、新しいズレが生じている。要するに、映画の見立てよりも急速に社会の衰退が進んだことで、近い過去から見た、もう実現しないだろう未来のイメージがスクリーンに映し出されることになった。

二本目は『人生フルーツ』。劇場で見逃していたので、今回の上映はいい機会だった。登場する老建築家は東大出のインテリだが、とにかく自分の手を動かす人だ。自宅を設計し、畑を耕し、軽妙なイラストも描く。もともとは航空機の技術者だったらしいが、エンジニアというより、アルチザンという趣さえある。90年余りの人生の間には、当然戦争体験がある。映画の中に台湾の近現代史がこのように織り込まれているとは思わなかったが、老夫婦のほのぼのとした日常の描写に留まらない深みをこの映画に与えている。ただし、それ以上政治的、思想的な問題に立ち入らないのは、やはりこの人が手の人だからだろう。昔の人は本当によく手が動いた。ふと、私の祖父を思い出す。この映画の老建築家より一回り程上で、教育も境遇もまったく違うけれど、手の人だったという点では、懐かしく思った。

幸い、上映中は雨が落ちてこなかった。久し振りにビールを何本も飲んで気が緩んで、ラーメン屋に寄って帰った。11,894歩。

雨空

既定の巣ごもり日。雨の朝。ゴミ出しついでに、せめて近くのコンビニまで散歩。

所用を済ませて夜の散歩。白鬚橋から汐入公園に。相変わらず天気は怪しいが、大降りにはならないだろうと思って、傘を持たずに出掛ける。

水神大橋に近づくあたりで小雨になってきた。いよいよ本格的に怪しくなりそうなので引き返す。

首都高の高架下を歩いて戻るうちに、また雨は上がったようだが、今日はここまでにして、銭湯はパス。

10,065歩。雨空の巣ごもり日にしてはまずまずでしょう。

白濁

結果的に今回の台風は東京にはそれほど近づかなかったけれど、念のためということで、今日も巣ごもり日になった。

台風といえば、去年の今時分は、大きな台風が2個(という数え方でいいのだろうか)東京に近づいて、屋根が吹き飛ばされるんじゃないかと肝を冷やしていたのだった。

今年は時間の流れ方が奇妙だ。もう十分秋なのに、まだ夏のとば口くらいにいる感じがする。

所用を済ませた後、雨が止んでいる間に、夜の散歩がてら銭湯に。念のためビニール傘を持って出かける。

公園に見慣れないものが置いてあるなと思ったら土嚢だった。台風に備えたのだろうが、使われなくて何より。

豆乳風呂というのをやっていた。お湯の色はやや白濁しているが、においや肌触りに特に豆乳を感じさせるものはない。

ここの銭湯では湯船のひとつが変わり湯になっていて、毎日何かしら色や香りのついたお湯が入っている。それも入浴剤だけじゃなくて、例えばレモン湯なら、本物のレモンがお湯に浮かんでいたりする。

残念ながら、豆乳風呂に大豆は浮かんでいなかったが。しかし、お風呂の中に飲食物をあれこれ入れる風習は、ほかの国にもあるのだろうか。

来週は休業だから忘れないようにしないと。しかし、もう一軒のいきつけの銭湯と休みが重なるのは少々困る。

猫カフェ?の窓から猫が顔を覗かせていた。散歩の時間には閉店しているので、店の中の様子はよく分からない。

雨に降られる前に帰ってきた。スーパーにも寄って、8,226歩。

肌寒

巣ごもり日。あまり早起きはできなかったけど、幸い雨が止んでいたので、少しの間だけでもと朝の散歩に。ついにTシャツ姿で外に出ると肌寒く感じる季節になった。

コンビニでサンドイッチとアイスコーヒーを買って帰って、朝ごはん。

結局この後は家から一歩も外に出ずに過ごす。朝少しでも歩いておいてよかった。台風の接近を気にしつつ。3,598歩。

馬から落ちて落馬

昨夜は少し横になるだけのつもりで、結局そのまま寝入ってしまった。今朝はさすがによく寝た。燃えるゴミを出してから、遅くならないうちに外出。

半蔵門へ。駅を出たところにあるサンマルクカフェで朝飯がてら、今日の演目をざっと予習してから、国立劇場に。

9月文楽公演の千秋楽。第一部は「寿二人三番叟」から。思えば、今月の公演はコロナ後初の文楽公演で、その皮切りに劇場の再開を寿ぐのがこの演目。楽日に見るのは順序が逆になってしまったか。

二人の三番叟の後ろ姿に、両袖から肩にかけて見えるのは羽を広げた鷹だろうか。ダイエーホークスの鷹ジャンを思い出す。

ふと、先日のOriHimeに三番叟をやらせたらどうかな?

四竿の三味線のアンサンブルと人形遣いの足踏みの太いリズムに身をゆだねていると、次第に腹の底から高揚感が沸き上がってくる。

続いて「嫗山姥」。源頼光の四天王のひとり、坂田金時の生誕にまつわる物語。讒言を受けて行方不明となった頼光の許婚、沢瀉姫の無聊を慰めるために姫の館に召された煙草屋源七、実は坂田時行とその妻である遊女の八重桐が予期せぬ再会。二人の浅葱色をあしらった衣装が目に鮮やかに映る。

切腹した時行の情念を受けて鬼女と化した八重桐が、姫を奪いに来た敵方を追い払う。この八重桐の人形のかしらが、立ち回りの途中で「娘」から「角なしのガブ」に変わるのだが、結構目を凝らして見ていたのに、どんな仕掛けでかしらが入れ替わるのか、まったくわからなかった。まさに人が鬼に変身、変化するように、かしらが変わった(桐竹勘十郎演)。実は、その前にも顔貌が変わったように見えた一瞬があったのだが、すぐに娘の顔に戻っていたから、私の見間違えなのだろう。いや、それとも、その時も一瞬だけかしらを替えていた?わからない。

一部と二部の間に、小劇場二階の食堂に行ってみた。実はこの食堂に入るのは初めて。せっかく文楽を見に来てるんだから、ここは大阪ふうに、きつねうどん。まあ、大阪の味とは違うだろうけど、気分だけでも。

しかし食堂はガラガラ。こんなに客が来なくて商売がやっていけるのか心配になるほど。劇場の客入れを通常より減らしているせいもあるだろうが、多分それ以上に、団体客が来ていないんだろうな。空いているお陰で、ゆっくりしても気兼ねが要らないのは有難いが。

第二部は「鑓の権三重帷子」。「鑓の権三」と呼ばれる鑓(やり)の名手で、美男子として評判の笹野権三が、茶道の師匠である浅香市之進の妻、おさゐとの間で不義をはたらいたとして、おさゐと共に追われ、最後は盂蘭盆会で賑わう京の伏見の橋の下で、市之進らに討ち果たされる。実はこの不義は無実なのだが、一旦は立身出世に近づいたと見えた権三が、運命を転げ落ちるように死に向かっていく。

物語の設定では、権三は数えの25歳、おさゐはその一回り上の37歳。市之進はおさゐのさらに一回り上の49歳。そして市之進とおさゐの娘、お菊は権三の一回り下の13歳。ちなみに、ここに挙げた全員が同じ酉年生まれ。

この浄瑠璃を原作にした篠田正浩監督の1986年公開の映画『鑓の権三』では、権三は郷ひろみ、おさゐは岩下志麻が演じたのだとか。ああ、なるほど。34年前の郷ひろみと岩下志麻の姿を想像すると、この物語の権三とおさゐの関係が腹に落ちる気がする。映画も機会があれば見てみたい。

権三と言い交わした仲の娘、お雪がオレンジ色の着物に身を包んで現れる。この色は目に新しい。お雪から二人の紋を刺繍した帯を受け取る時に、さりげなくお雪の肩に手をまわす権三の所作。いかにも女慣れした風情。

お雪の兄、伴之丞と権三が馬比べをして伴之丞は落馬。「馬から落ちて落馬」という言い回しは、「頭痛が痛い」と並んで、よく知られた重言だけど、そうか、この浄瑠璃が原典だったのか。

自身の娘お菊を権三と添わせようと考えていたおさゐ、権三に言い交わした仲の娘がいることを知った時の目が実に怖い。

市之進の留守の間に、茶の湯の秘伝の巻物を見せてもらおうと、夜更けの数寄屋におさゐを訪ねる権三。しかし、よりによって、どうしてこんな時に、お雪から渡された帯を締めてくるかね。

話は飛んで京橋の場面。武芸の達者のはずの権三が、自ら刀を捨てて切られにかかった。そして先に倒れたおさゐの上に重なるように、権三も最期を迎える。そうか、外題の「重帷子」は、二人の衣服が重なるさまを指しているのか。

無実の不義といいながら、実は権三もおさゐに情があったんだろうか。それとも、二人の間に真情があったかのように見せるのは、市之進に面目を立たせるための、権三の武士としての最期の一念だったのだろうか。

半蔵門から一旦曳舟に戻り、プチパリジャンに寄って石川君にストリートピアノのチラシを託す。コーヒーを飲みつつしばし雑談の後、錦糸町に移動して所用。

楽天地で古本市を物色していたら、猫六のマスターに声をかけられた。

楽天地スパに。

サウナにいる間に雨が降り出したらしい。小雨に濡れながら帰った。8,514歩。

眠すぎ

寝起きがすっきりしない。寝不足気味の頭で、洗濯機を二回動かして干したり、朝飯とも言えないようなものを作って食べたりしているうちに午前中が過ぎる。

午後から外出。永田町で有楽町線乗り換え、中村橋へ。

練馬区立美術館も久し振り。一昨年の池田龍雄展以来か。2年位はあっという間に経つ。

緑地では子供たちが元気に遊んでいて、いかにも休日の公園という風情である。一方、美術館のロビーには鑑賞に疲れた大人たちが居眠りする姿が見えて、好対照を成している。もっとも、2時間後には私自身がこの大人たちに続くことになる。

「Re construction 再構築」展に。

開館35周年記念を謳う展示だが、当館の所蔵作品と、4人の現代作家による「所蔵作品を再構築した作品」を組み合わせた構成で、コロナ禍による制約もあろうが、この実直さは好ましい。

展示の冒頭はもっぱら所蔵作品による構成だったが、戦中、戦後の作品からは、制作された時代背景と作品との不可分性が静かに伝わってくる。難波田龍起の繊細な抽象画の前でしばらく佇んでいた。

所蔵作品の再解釈・再構築に携わった4人の作家の中では、流麻二果さんのアプローチが印象に残った。作家はもともと、既存の絵画を取り上げた作品のシリーズを制作しているというから、その手法と今回の展示の趣旨は親和性があったのかも知れない。

所蔵の日本画を取り上げて制作した自作と元の絵をそれぞれ並べて展示していたが、併置された作品の間から、元の絵に秘められた声が聞こえてくるようだった。それは文楽人形と太夫の関係を思わせた。

大小島真木さんの作品は何度か見たことがある。最近だと府中市美術館での公開制作か。人間と動物、植物の生が混淆する世界観とスケールの大きな作品には毎回目を奪われるが、生の中にあまり性を感じないように思う。あるいは私が見落としているのか。そのあたりは、少々物足りなくもある。

せっかく練馬まで来たので、東池袋で降りてレスタに寄ろうか迷ったけど、結局どこにも寄り道せず帰った。適当に夕飯を食べて、腹がふくれたので少し休んで、1時間程したら散歩がてら銭湯でも行くかと思って横になったら、気がついたら3時過ぎ。6時間位寝ていた。

眠すぎ。6,276歩。

宿命

二度寝、三度寝くらいしたのかな。起き出して朝飯代わりにいちじくを食う。

折り畳み傘をカバンに入れて出ようとしたら、もう雨が来そうだったのでビニール傘に替えた。

少々早昼で、こぐまの焼きカレー。近いのに滅多に来なくて申し訳ない。申し訳ないついでに、ストリートピアノのチラシを置かせてもらう。

靴郎堂本店さんの軒下プロジェクト参加作品。初めてちゃんと見た。

東向島珈琲店に寄ったら棟梁がいたので、前日のカミソリ堤防BAR等についてしばし雑談、というか棟梁礼賛。ストリートピアノのチラシはあんまり減ってなかった。

恵比寿へ。LIBRAIRIE6の井桁裕子さんの展示は本日最終日。前回はストリートピアノの説明ばかりしてしまって肝腎の作品をちゃんと見てなかったので、再見。

こちらはやきものはまったくの門外漢なので、在廊していた井桁さんに、頓珍漢なことをいろいろ伺ってしまう。球体関節人形の素材に使っている粘土は石粉粘土といって、やきものに使う粘土とは別なのだそうだ。

多くの作品では手が一本しか見えないのに気づく。それも、実際の人体を考えると、不自然な場所から手が現れている。ひとつは、造形上の自由度に係わるらしい。

もうひとつは、愛する二人が身体を寄せると、時に腕が邪魔になるということらしい。

新宿三丁目へ。KEN NAKAHASHIに松下まり子さんの展示を見に。予約した日時がすっかり頭から抜けていて、中橋さんには失礼した。

人間とも怪物ともつかない異形のひとがたが、こちらに向かって両手を広げて立っている。大きな掌に包み込まれるようである。何かを握りつぶしている手もある。人間に潜む怪物性の表れのようでもあるが、人間に対するペシミズムを突き詰めて、最後笑うしかなくなって、反転したようなポジティブさがある。また、そんな芸当ができる人を芸術家というのだろう。

半蔵門へ。国立劇場の9月文楽公演に。第三部と第四部は、もともと公演初日の9月5日に観劇する予定だったが、公演関係者に発熱の症状が出たということで、急遽その日の第二部以降の公演が中止になってしまった。慌てて今日のチケットを取り直した次第。

第三部は「絵本太功記」。尾田春長(史実の織田信長)を討った武智(明智)光秀が真柴久吉(豊臣秀吉)との対立に至る物語だが、そうか、今年の大河ドラマは明智光秀が主人公なんだ。普段テレビを見ないものだから、芝居を見ている時はそのことに思い至らなかった。

光秀が春永を討った後、都を逃れた光秀の母が隠れ住む尼崎の侘び住まい。近所の百姓たちが唱える南無妙法蓮華経の声がけたたましい。老母は夕顔の白い花にじょうろで水をやっている。そこに光秀の妻が息子の許婚とともに訪れる。居並ぶ三体の衣装が目に残る。母は辛子色、妻は藤色の衣装、そして娘は鮮やかな赤姫。三代の女の姿から、女の一生の諸相を一望するようである。

光秀の息子十次郎は、討死必至の初陣を前に、まだ祝言を挙げていない許婚の初菊と離縁しようと独りごつ。しかしそれを隠れ聞いた初菊曰く、「二世も三世も女夫ぢやと思うてゐるに情けない」、この二人は未だ「二世を結ぶの枕さへ、交わす間も」ないというのに。かくも自分にかかる宿命を我が事とできるのか。それが宿命というものか。

母の死を思い切るように、光秀は母が丹精していた夕顔の実を一刀のもとに切り落として、久吉との対決に向かう。光秀もまた抗えない宿命に引き寄せられていく。

第四部は「壺坂観音霊験記」。盲目の夫と信心深い妻の夫婦だが、夫は病をはかなんで谷底に身を投げ、夫の死を嘆く妻も後に続くが、観音菩薩の慈悲により夫婦は蘇生し、夫の目も見えるようになって、めでたしめでたしという話。登場人物は夫婦と観音様だけで、筋もシンプル。この物語を文楽で見るのは初めてかも。

まったくの個人のルサンチマンだけど、この物語のように、相思相愛の二人がハッピーエンドで終わる話というのは、見ていて胸にもやもやしたものが残る。できれば、特に美男美女のカップルは心中して終わってほしい。まあ、この二人は善人のようだし、先に苦労しているから、まだいいか、という程度である。

そんなわけで、せっかくだから見ておくか、という気軽な調子で見たのが却ってよかったのか、思いの外、打たれてしまった。とりわけ後半の「山の段」、谷底を見下ろす崖の上で身もだえするように死に向かう夫と妻の姿が胸に迫った。たまたま席を取った場所もよかったのだろう、舞台上には人形と、その背後で感情を押し殺すように操る人形遣い、そして床の上では、何かが憑依しているかのように迫力の形相で人形に感情を吹き込む竹本錣太夫さんと、その隣で表情を変えずに太棹を弾く竹澤宗助さん。この四者が、私の視界の中で、まるで惑星直列のように一列に並んで、渾然となった。

ふと思った。妻が夫を追って谷底に身を投げた後の話は、ひょっとすると、現世ではなく、来世での出来事ではないのだろうか。言うまでもなく、観音様が死者を蘇生させるなど、現実には有り得ない。が、現世での救われなさを思うと、そうとでも願わないとやりきれないだろう。こんなことを考えているうちに、胸のもやもやも消えた。

芝居の後は寄り道せず帰ったが、昼間行ったり来たりしているうちに案外歩いた。10,988歩。