昼酒

2週間分の空き缶を出せてスッキリ。午前中は宅配便を3個受け取り。ひとつは散歩用のスニーカー。今履いているのが具合がいいので、その色違い。

吾妻橋まで歩きがてら、甘夏書店さんとikkAに寄って、先週持ち込んだチラシの様子を確認するなど。

ついでにikkAさんでお昼。お茶づくしランチプレート。

時間読みが甘くて、実はこの後タクシーに乗ってしまった。

吾妻橋の東橋詰付近の堤防で、「カミソリ堤防BAR」のイベントに参加。

一杯目は「ムーンドロップ」というオリジナルカクテル。なんでもバーテンダーの大会で2位を取ったカクテルとか。爽やかでいい。ショートカクテルだがそんなに強さは感じなかったですね。

二杯目はハイボールに。

いつ雨が落ちてきてもおかしくない曇り空だったが、隅田川を背にして出ずっぱりのバーテンダーのお二人には、むしろこのくらいの天気でよかったのかも知れない。快晴だと首筋に西日が当たって大変だっただろう。

このイベントは、決して形だけのなんちゃってバーではなく、地元のオーセンティック・バーに協力を仰いで、一流のバーテンダーが作る本格的なカクテルを、手軽な値段でいただけるのだから有難い。しかもこんな場所で。

隅田川の堤防でバーをやりたいという話は、この企画の首謀者から、ずいぶん前から折に触れて聞いていたので、長年の熱意とバーテンダーとの信頼関係があって実現できた企画であることは、よく分かる。

続いて、かつて隅田川のこのあたりにあったという「竹町の渡し」を再現しようという企画。当初は手漕ぎの船を使おうという案もあったらしいが、水上タクシーを手配しての実現となった。

渡しというなら、隅田川を向こう岸まで渡って、戻ってきておしまいとなるところだが、吾妻橋のたもとから出航して、桜橋を過ぎるあたりまで行って引き返してくる、結構な遊覧航行となった。これまで水上バスや屋形船には乗ったことがあるが、この水上タクシーは、船が小さい分、水との距離が近い。

吾妻橋から都バスに乗って、錦糸町に。所用の後、すみだ珈琲さんで休憩がてら、ストリートピアノのチラシ置き依頼。

楽天地に行ったら、ビルの間の通り抜けになっているところで古本市をやっていた。この場所で古本市を見るのは私は初めて。映画のパンフレットがたくさん出ているのは、映画館のある場所柄を狙ったのかな。映画関係の書籍や、美術、音楽関係も多い。つられて3冊購入。パルコの3階でもやってるようだから、今度来たら覗いてみよう。

楽天地スパに。今日は1時間コースではなく、ゆっくりで。1時間コースだと慌ただしい分、濃密な時間になるが、ゆっくりのコースだと、どうしても薄味の過ごし方になる。同じ施設じゃないみたいに心構えが違う。

地下鉄のエスカレーターの降り口に卵が割れていた。

6,644歩。一ヶ月ぶりの少なさだが、昼間から飲んじゃったし、致し方ない。

予感と事件

昨夜は蒸し暑かった。なかなか寝つけず、だらだらとYouTubeを見ていたせいで、寝不足の朝。

朝はドトールの持ち帰り。大豆ミートのサンドイッチというのを初めて。ゆっくり、じっくり味わえば普通の肉との違いも分かるのかも知れないけど、慌てて食べる分には正直どちらでも構わない。

昼は鯖塩焼き。二日連続だが流れでこうなった。食後は河岸を変えてコーヒーを飲みつつ、ストリートピアノのチラシ置き依頼。

アートトレイスギャラリーへ。

展示作家のひとりの岡本羽衣さんは、何年か前、今の文華連邦の場所がドマトココという名前だった頃に、展示を見に行って、言葉も交わしたことがあるはずだが、どんな作品だったか、もう思い出せない(というか、ドマトココの名前も、にわかに思い出せなかった)。

が、今回の稲垣美侑さんという人との二人展は好ましく見た。稲垣さんの作品の中で、塗り重ねられ、あるいは貼り重ねられた色彩や形が語り出して、さらに並べて展示してある岡本さんの作品とも会話が展開しながら、世界が広がっていくようだった。

近くの緑図書館で時間調整してから、アートトレイスギャラリーに戻ったけど、それでもまだ早い。手持ちぶさたにしていると、イベントの準備のためにいくつかの作品が一時的に場所を動かされていた。定位置で展示されていた時とは少し違って見える。なんだか作品が楽屋で休憩しているみたいだ。

永瀬恭一さんによる連続対談「私的占領、絵画の論理」の第三回に。第二回に続いての参加。今回の対談相手は辻可愛さん。辻さんは二年前にTABULAEで個展を拝見したことがあるが、それ以前の作品は、私の目には新しい。

今回の対談は「予感を描くことは可能か」と題されていたが、辻さんの初期の作品の、人体の一部とおぼしき物体を大きく描いた絵画は、確かに「今にも動き出しそう」と感じられるものだった。

一方で、永瀬氏からは「事件現場」という言葉も出ていた。投影された辻さんの作品には、一本の紐が無造作に置かれたさまを描いたものもあり、この状況はすでに起こってしまった事件ということなのだろう。

画面上に配置されたものから生じる気配が、時に予感として感じられたり、事件として感じられたりする。それは時間軸上のゆらぎなのだろうか。

何かが起きようとしていることと、何かが起こったこととの関係を片付けられないでいるうちに、さらに、何かを起こそうとしていること、が現れた。この三つをどう整理すればいいのかと、ぼんやり考えているうちに、対談の時間が終わった。

歩いて錦糸町へ。

1時間だけ、楽天地スパに。

かじめラーメンは一回食べただけで終了。こんなところからも9月の終わりが近づいているのを感じる。

8,240歩。表示上はそうだが、駅に着いたところで電池が切れたから、実際はプラス数百歩か。

通りがかり

朝はドトールの持ち帰り。昼は鯖塩焼き。ニシンの唐揚げカレー風味というのと迷ったが、安定志向に流れる。

夕方、錦糸町に。時間までオリナスのドトールで休憩。

所用を済ませて、錦糸町から両国へ。

30分もあれば歩いて行けるだろうと思っていたら、少々時間超過。駅の間なら30分で歩けただろうけど、錦糸町の北東の端から両国の南西の端までだから、余計に時間がかかった。

両国門天ホールで、ストリートピアノすみだ川2020のチラシを追加で受け取った。

ストリートピアノすみだ川は、例年両国橋の東側の橋詰で行われていたが、今年は微妙に場所が違うようだ。てっきり同じ場所なんだろうと思い込んでいた。

ストリートピアノは、どうしてこんなところにピアノが?という場所にピアノが置かれるのがいい。知らずに通りがかった人が、実はピアノの腕に覚えがあって、見事な演奏を聞かせてくれることがある。今は音楽をやっていなくても、子供の頃にはピアノを習ったという人は結構いるから、町には案外ピアノの弾き手が埋もれているものなのだ。そんな人たちが思いもよらない場所でピアノと再会して、かつての記憶を呼び覚ますというのは、ちょっと面白い。

その点では、今年はコロナ禍の影響で、演奏者が予約制になってしまって、通りがかりの人が演奏できないのは、少々残念ではある。

歩いて浅草橋へ。もういい時間なので、ほんの軽く、採り箸にも気を使いつつ。

浅草橋から浅草線に乗って、京成曳舟まで。13,529歩。

後朝の別れ

巣ごもり前の朝の散歩に。桜橋を渡って山谷堀公園に入る。

落語の「明烏」ではないが、江戸の頃なら今時分はこのあたりを朝帰りの客が通ったろうかと思う。ふと後朝の別れという言葉が思い浮かぶが、あれは平安時代の話だったか。でも江戸のことだから、案外吉原の遊びというのは、昔の貴族の通い婚の見立てだったのかも知れないな。

休業中の銭湯の様子を見に行く。営業再開はまだ先のよう。

泥酔の定義が明らかになった。

玉姫稲荷、橋場不動尊に寄って、白鬚橋を渡って帰宅。

巣ごもりは却って疲れる。夜の散歩に。

看板の多い料理店。

汐入公園から墨堤通りに入って、北千住まで。

先週初めて行った銭湯に、今度は歩いて来た。自宅からの最短ルートではないと思うけど、1時間20分程かな。

表に出たらぱらぱらと雨が降ってきた。雨模様だし、これから一時間歩く気もしなくて、北千住から電車に乗って帰る。

散歩スタイルで、人通りの多い街を歩いたり、電車に乗ったりするのは、何だか恥ずかしい。誰も見ていないのは分かってはいるけど。19,267歩。

相対性理論

さすがによく寝た。洗濯とゴミ出しをして外出。朝はドトールのテイクアウトで。

昼はパスタ。自家製ベーコンと野菜のスパゲッティー。

夕刻、錦糸町へ。コーヒーで時間調整がてら休憩。

所用を済ませて、パルコ2階のスタバに。ここは初めてかも。

店を出ようと思ったら、出口にテープが張られていて焦った。21時を過ぎるとパルコの店内には出られなくなるんだな。裏手のエレベーターで降りることになる。

というわけで、エレベーターで1階に降りてから、別のエレベーターに乗り換えて9階へ。

楽天地スパに60分コースで入館。

サウナ室の中で、ぼけっとしながら12分計を見ていると、数分はあっという間に経つ。それなのに、水風呂に入って時計の秒針を見ていると、案外時間が経つのが遅い。時間は均等に流れない。こういうのを相対性理論というのだろうか。

電車の向かいの客を見るでもなく見る。

マスク美女が増えたと言われる。私もそう思う。一方で、男はそう感じない。マスク姿のカップルを見ても、なんでこの男と女がくっついてるのかなあと思うばかりである。同じようにマスクをしても、及ぼす効果が均等ではない。こういうのもある種の相対性理論なのか。

8,066歩。

葉焼け

前夜の寝つきが悪くて、寝不足でふらふら。二度寝すると危険だから、早めに身支度を済ませて外出したが、頭がぼおっとして、あんまり朝の記憶がない。そういえば玄関を出たところで不燃物を出すお向かいさんに出くわした。

椿の若い葉が葉焼けを起こしてしまった。というか、葉焼けという言葉もこの鉢植えを預かってから初めて知ったのだが。

椿の鉢を受け取ってしばらくは、ずっと家の中に置いていた。ところが、9月になったばかりの日、写真を撮る必要があって、朝方に鉢を表に出した後、そのまま外出して、翌朝か、もう次の日だったか、何枚かの若い葉の一部が茶色く変色しているのに気づいた。慌てて鉢を家の中に戻したが、取り返しのつかないことをしたと思った。

厚く成長した濃い緑の葉は、夏の強い日射しにも耐えた。若い葉は、脆弱なものなんだな。

朝ドトールに寄ったことも記憶が判然としない。昼もコンビニでサンドイッチなどを買って済ます。

まっすぐ家に帰って、お腹がくちくなるまで食べて、すぐに寝た。7,613歩。

芋を洗う

目が覚めて又寝、又寝の繰り返し。結局寝床から起き出たのは10時前。

ストリートピアノのチラシ行脚の続き。まず近場から、もとTABULAE、今はicouというのか、ここが軒下プロジェクトのインフォメーションセンターになっているそうなので、在廊していた軒下アーティストの清水みさよさんに話して、チラシを置かせてもらう。

続いて東向島珈琲店に。マスターや居合わせたお客さんと雑談しつつチラシ置きの了解をもらう。

恵比寿へ。

LIBRAIRIE6に。先週からの井桁裕子さんの展示を拝見がてら、チラシ置き依頼。オーナーの佐々木さんと、在廊されていた作家の井桁さんにもストリートピアノの説明をさせてもらう。とりあえず手持ちのチラシはここで終了。

原宿へ。新しい駅舎が不評と聞いていたが、何だか変わってないなと思ったら、竹下口のほうではなかった。本当はいい年して竹下通りなど歩きたくないのだが、やむを得ない。

思わずY字路の右側を上がってしまう。

BOOKSBUNNYというオシャレカフェで行われている、ハマジムのイベント、Cafeアキヒトに。

ドライカレーをいただく。

ハマジムの人たちとご縁ができたのは、5年前に曳舟でテレキャノの上映会を催した時だが、アキヒトさんは私などの名前も覚えてくれていて、さすが営業部長だなあと思う。

原宿駅の新しい駅舎はこちらのほうか。古いほうはどうなるんだろ。

錦糸町に戻って、楽天地スパに。

浴室に入ると、どの湯船も客で一杯で、まさに芋を洗うようだ。6月初めの営業再開当初の閑散とした浴室を思うと、わずか三ヶ月程で隔世の感がある。休日の午後ということもあるだろうが、客入りはコロナ前に戻ったのではないか。

とはいえ、日曜日は終夜営業がないから、夜になると急に空いてくる。そのままラストまで。12,257歩。

映像の今日

寝坊。一度6時過ぎに目が覚めて、時間だけ確認して二度寝。再び目が覚めたら9時過ぎ。溜まった空き缶を出せず。7時には目覚ましが鳴ったはずなのに、余程熟睡していたのだろうか。平日でなくてよかったと思うほかない。

新聞を取りに出たら郵便受けに黄色いキャプションが入っていた。早速貼り付けて傘を差しつつ撮影。

冷蔵庫の残り果物を朝飯代わりにして、ぼけっとしていたらいい時間。錦糸町経由、両国行き。

両国駅構内に千代の富士の優勝額が。最近設置されたらしいね。

回向院の仁王さんに睨まれながら、両国門天ホールに。今日は午後からのイベントのお手伝い。

「分身ロボット」OriHimeというのは知らなかったが、インターネットを介してスマホ等を使って操作できるロボットらしい。今日はこのOriHimeが3台門天ホールに持ち込まれた。鈴やマラカス等の楽器を手に持たせた(というか貼りつけた)OriHimeを、ホール内外の参加者数組が遠隔操作しながら、門天ホールのスタインウェイ・ピアノと合奏しようという趣向。

本番では、なかなか接続が上手くいかないこともあったが、試行錯誤、四苦八苦しつつも、なんとか合奏らしき状態に至ったのには、これは何かの第一歩なのではないかと思われた。

OriHimeの会社の人のプレゼンを見ると、この小さなロボットは福祉や教育の分野での利用を考えているらしい。例えば、肢体が不自由で外に出られない人が社会参加したり、不登校児が授業を受けたりといった具合。実際、ファーストフード店のカウンターにOriHimeを置いて、在宅しながら接客をする事例があるという。

まあ、私などはひねくれているので、社会参加というけど、このインターネット社会で困難になったのは、却って社会から外れることではないかと思ってしまう。不登校児にしても、このコロナ禍で、一時にせよ、いわばクラス全員が不登校児になったわけで、そうなると、無人の教室にOriHimeが何十台も並ぶことになるのか。いや、みんな揃って教室で授業を受けるというあり方自体が問い直されるべきでしょう。せっかくの新しい技術が、既存の価値観を補強するだけではつまらない。もっとも、このあたりは技術者の領分ではないのかも知れないが。

恐らく、新しい技術の産物のご多分に漏れず、このOriHimeも、開発者の想定外の用途に使われることで、可能性が広がるのだろうと思う。その点では、今回の門天ホールでの合奏なども、その一端と言えなくもない。

今度の10月10日・11日の「ストリートピアノすみだ川2020」でも、このOriHimeを使うらしいから、ここだけの話、そんな逸脱を楽しみにしている次第。

しかし、参加者が自宅からロボットを遠隔操作して、またその自宅の様子をZoomで同時中継するなど、大層な時代になったものだ。思い出すのは、私が高校三年生の時だが、当時の富山県立近代美術館で「映像の今日」と題されたメディア・アートの展覧会があって、その関連企画で、確か総曲輪通りと美術館とを繋いで、リアルタイムで映像を同期させるパフォーマンスをしていた。私は、美術館の中でその状況を胸を躍らせて見ていた。むろん、インターネット以前の時代である。今日の門天の様子を、高校生の私に見せたいものだ。

イベントが終わって、少々片付けも手伝って外に出たら、雨が上がっていたので、両国から歩いて帰ることにした。

せっかくなので、門天ホールで託されたストリートピアノのチラシを配りつつ、直やさんの「キセカエ」(実は初めて伺った)、そしてikkAさんと甘夏書店さんに寄り道して帰宅。ちなみに本稿のトップ写真は、甘夏書店さんのガチャガチャで買った、河童の土人形。

今日はこのまま在宅して早寝。10,220歩。

夏の名残

久しぶりに朝の散歩に出た。雲間から青空が顔を覗かせる天気。散歩には丁度よい。

貸切バスを仕立てているのは、このあたりの小学校のようだ。遠足か何か分からないけど、集団行動も旧に復しつつあるのか。

西の空は晴れてきたけれど、東の空は雲が朝の太陽を覆ってくれているのは、散歩者には有難い。

何の実か知らないけど、花の季節から実の季節に移ってきたのだと思う。

夏の名残の花たち。

雲間からの日射しが強くなってきた。これも夏の名残か。そろそろ引き返そう。

巣ごもり日だが、昼に所用で少し外出。稲荷寿司を買ってきた。

前のお客さんが稲荷寿司と梅巻きのセットにしていたのを、私も真似してしまった。干瓢巻きにするところだったが、目先が変わっていい。

夜の散歩は、白鬚橋を渡らずに、墨堤通りを防災団地を横目に直進。厚手のTシャツとスウェットパンツを来てきたせいか、ずいぶん蒸し暑く感じる。

水神大橋を渡って汐入公園に入った。川風に吹かれると幾分涼しくなって助かる。さっきの蒸し暑さは、防災団地が風を遮っていたせいもあるのだろう。団地の目的を考えれば、それももっともことだが、夏の散歩には向かないと思う。

帰りも白鬚橋は渡らず、リバーサイドデッキの台東区側を下る。

リバーサイドデッキでも、川辺の公園でも、若者の集まりを何組か見た。中には川面に黄色い声を響かせる若い女性のグループも。これもまあ、またひとつの夏の名残か。

山谷堀公園から千束通りに入って、お馴染みの銭湯に寄ってから帰宅。23,663歩。朝1万歩、夜2万歩余の計算。

昭和15年9月10日

猫におはよう。

雲が速く動く。

朝はドトール。

昼はパスタランチ。前菜代わりに肉をサービスしてくれた。木更津で飼育している水牛だそう。

パスタは浜田港で上がった鮮魚のラグーのスパゲッティー。

デザートのパンナコッタが絶品。

夜は新橋へ。

内幸町ホールに。

桂米二さんの会に。米二さんは米朝門下、京都在住のベテランの噺家さんで、東京でも年に三回程落語会を催されている。そのうち私が出かけるのは年一回程度かな。米二さんの落語は、米朝師仕込みの本格派だが、時に皮肉を効かせた、苦味を含んだ芸だ。迂闊に近づくとピシャリと来そうだから、こちらも弁えて、あまり近寄りすぎないようにする。それはシャイということの別表現かも知れないが。噺家に限らず、ミュージシャンでも他の芸事でも、芸界にそんな人は時々いる。私は自然とそういう芸人に引き付けられる傾向があるようだ。

桂團治郎「阿弥陀池」

東京版の「新聞記事」では、天婦羅屋の竹さんが挙げられた(実際には挙げられてないけれど)のはいつの時代のことかはっきりしないけれど、上方版の「阿弥陀池」では、物語の舞台は、少なくとも日露戦争の記憶が新しい時期だったんだろうと分かる。新聞に威光があった時代であると同時に、必ずしも多くの人が新聞を読んでいなかった時代だ。今はどうだろう。誰か「ネット記事」という新作落語でも作ったらどうか。

桂米二「代書」

米二さんの解説文にあるが、この演目は「代書屋」という題でも知られているけれど、米朝師が実在の司法書士や行政書士に憚って「代書」という題に改めたというのは知らなかった。もともとは米朝師の師匠である先代桂米團治師の作になる新作落語で、今では東京の寄席でも様々に演じられているが、米二さんは米朝直伝の「代書」である。

米二さんの「代書」では、落語の中の物語の期日が明らかになっている。昭和15年9月10日である。それは、代書屋が客の履歴書を書きながら代書日を口にするくだりがあるからだが、物語の年月日まで明白な落語というのも珍しいのではないか。それだけに、代書屋と次々現れる客たちのやり取りは、当時の時代背景を映していて興味深い。

笑福亭鶴瓶「妾馬」

あの鶴瓶さんである。さあ、鶴瓶さんの生の高座は、私は初めてではないか。ちよっと、わくわくしていた。富山の高校生だった頃、日曜日の深夜、大阪から雑音まぎれに流れてくる声を、家族に分からないようにボリュームを絞って聞いていたことを思い出す。鶴瓶さんと放送作家の新野新さんの二人が長く続けていたラジオ番組を、私が聞いていたのは、番組終盤の二、三年程の間だった。もう30年も前のことだ。その頃の鶴瓶さんの年齢を、今の私はとうに越してしまっている。

初めて聞く鶴瓶さんの古典落語は、こう言っては悪いが、それほどの感興はなかった。鶴瓶さんの「妾馬」は、江戸落語の舞台を上方に移したものだろうが、上方落語一本でやってきた米二さんに配慮して、あえて、このような演目を選んだのだろうか。江戸時代の大坂に大名の屋敷がどれくらいあったか知らないが、江戸よりは少ないだろう。大坂の空気でもなく、さりとて江戸の空気でもない、根っ子のない噺になってしまっているように感じた。

桂米二「遊山船」

江戸落語で大川といえば今の隅田川だが、上方落語では今の旧淀川か。橋の上から川面を行き来する屋形船の中を覗く喜六と清八の視点を通じて、往時の賑わいが彷彿とする。粋、なんて言うと江戸の専売特許のようだが、「もっちゃり」を嫌う上方の粋もあるのが分かる。噺の構成は、言ってみれば情景描写の連続で、やや単調に感じてしまったのは、こちらの集中力のせいかも知れないが。

鶴瓶さんの「妾馬」はともかく、「阿弥陀池」「代書」そして「遊山船」は、噺それぞれの時代背景がはっきりとして、こういう趣向も面白いと思った。

内幸町ホールからの帰りは、地下道で新橋駅へ。何度もこの場所には来ているのに、地下道を通るのは初めて。こんな道があったのか、今まで地上をずいぶん遠回りしていたような気がする。

新橋駅といえばサラリーマンがたむろする夜のSL広場だが、こんなに人がいないのも初めて見た。お約束のビデオカメラを担いだ取材陣も、どこか寂しそうでもある。

新橋から横須賀線、総武線快速で錦糸町に、そして半蔵門線に乗り換えて、寄り道せずに帰宅。

猫にこんばんは。8,482歩。