坂道

今日は休み。午前中はだらだらと過ごす。

昼前に外出。駅ナカのベーカリーカフェで遅朝。案外時間がない。淹れたてのコーヒーが熱くて、もったいないが残して出る。

半蔵門に。駅前のコンビニでコーヒーを買った。少し飲み足りない気分もあったか。

国立演芸場の2月中席初日に。例年ならこの席は金原亭馬生一座の鹿芝居が見ものだが、今年はコロナの影響で鹿芝居の公演は無し。

開口一番 金原亭駒介「たらちね」

丸顔で童顔。噺家らしい風貌とは言える。大家さんが新婦となる人を連れてくるのを待つ間に、たわし売りの老女を追い払って、年寄りは大切にしなければと大家さんにたしなめられる。このくだりは初めて聞いたかも。紙に書いてもらった新婦の名前を読んで、これじゃお経だ、でサゲ。

金原亭馬久「厄払い」

与太郎がおじさんから元手の要らない商売と言われて始めたのが厄払い。口上を述べながら家々を回り、お金と豆をもらうというもの。さあ、現代で元手の要らない商売というと何だろう。

金原亭馬玉「紙入れ」

門の豆腐屋のおかみさんが建具屋の半公と間男しているという噂話を与太郎が耳にして…という小噺から「紙入れ」に入る。登場人物の輪郭が目に浮かぶようだ。

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たっぷりやっていた感。本人たちが舞台上で言っていたように、時間調整ということもあったのだろうか。なるほど、こうやってネタを繋げていくのかと思いつつ聞いていた。お姉さんのほうも、いつもよりよく喋っていたかも?

林家正雀「豊竹屋」

「音曲風呂」の小噺からの「豊竹屋」。文楽を見ていなかったら、この噺の義太夫節に三味線を合わせるということがピンと来ていなかっただろうなと思う。そう言えば、箒を手に口三味線をするのは「心中天網島」だったか。

噺の後、座布団を片付けて「松づくし」の踊り。立ったり座ったり、最後は片足立ちになって、もう片方の足の爪先に扇子を挟んで静止。結構膝に来る動きだと思うが、足腰の達者ぶりに感嘆。

古今亭菊春「片棒」

コロナ禍でのエコな生活がケチ、吝嗇となって「片棒」に。例年の鹿芝居の興行では噺家が獅子舞を演じて客席を回っていたが、今年は無し。次男の銀次郎にこの獅子舞を言わせていた。三男は登場せず。

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最後の大掛かりな仕掛けにちょっと驚き。

金原亭馬生「富久」

かつて年末の江戸には、大神宮様のお祓い、と言いながら、伊勢神宮の御札を配って家々をまわる人がいたそうな。今東京ではどうしているのか、そもそも神棚のない家も多いだろう。

私の田舎では年末になると新しい御札が届いていた。多分町内会経由だろう。神棚を掃除して御札を取り替えるのは、私の仕事ということになっている。

先に馬久さんが演った「厄払い」は節分の噺だが、このように家々を回って口上を述べる行事が、かつての江戸では折々に見られたようだ。いわば宗教行事ではあるのだろうが、門付芸としての一面も併せ持っていたのだろう。獅子舞や太神楽もそういうものだったのではないか。民衆の信仰と芸能が重なっていた江戸の空気が、落語や寄席演芸の中にタイムカプセルのように残っていると思う。

国立演芸場の後は半蔵門に戻るより永田町の駅のほうに行きたくなる。九段下乗り換え、高田馬場に。

コットンクラブの横の地下鉄出口から表に出たら、いかめしい風体をした数人の男が横断歩道の向こうに見える。サバゲー?

いや、背中にPOLICEと書いてある。最初はこれも何かの冗談かと思ったら、どうやら本物の機動隊のようだ。街のあちこちに警官や機動隊員の姿が見えて、道路には機動隊の輸送車が何台も停まっている。

一体何事だろうか。考えてみれば今日は建国記念の日だ。デモか何かが行われるのだろう。しかし、高田馬場でこれだけ大規模な警察の動員に出くわすのは初めてだと思う。

駅前のロータリーの中で日の丸の旗を掲げて街宣をしている人がいたが、大して人を集めているわけではない。これに対する警備にしては不釣り合いな規模である。

次の予定まで時間があるので、お茶でもして時間を潰したい。どうせならチェーン店より初めての店を、と喫茶店を探したが、結局これはという店には出会えず。

しかし、高田馬場に来ても、神田川のほうまで降りていく(という感覚だ)ことは少ない。歩いていて方向に迷ってしまった。

何とか早稲田通りに出た。

ふと、かつて「らんぶる」という喫茶店のあった跡を見ようと思う。

たまたま、少し前に読んでいた片岡義男のエッセイ集『珈琲が呼ぶ』の中の一篇で触れられていたのを思い出した。片岡氏は早大在学中にこの店に入ったことはなく、卒業してから30年程後に一度訪れたことがあるだけだという。

私の在学中にはまだ営業していたはずだが、やはり入ったことはなかった。そのうちに解体されて、片岡氏とは違い、一度も入らずじまいに終わった。

店の左側の坂道だけは、かつてと同じように残っている。どこかに抜けられるかなと思ったら、行き止まりだった。煉瓦の舗装からは、かつてのらんぶるの壁面を思い出すようである。

本当は、こんなふうに警官が大量動員されている時に、用もなく街を歩き回ったり写真を撮ったりするのは考えものである。

そのうちに結構な人数のデモ隊が警察に囲まれながら早稲田通りを進んでやってきた。これが先程来の警備の対象だったようだ。

デモ隊から遠ざかるように、某所で小用。

バスケットをやってそうだと言われた。驚天動地の発言で、私のどこからそんな誤解が生まれるのか。

通り沿いの定食屋で食事を済ませることにした。瓶ビールを1本付けた。外でアルコールを口にするのも久し振りである。もっとも、この頃は家でも飲むことはまずないが。

地下鉄で引き返して帰った。

帰宅したが、まだ夜は早い。しばらくしてから、少し散歩に出た。

いつもの銭湯に。

しかし、久し振りのアルコールの後の散歩と入浴は控えたほうがよかったようだ。長湯せずに早々に失礼した。

少し暖かくなってきたからか、また街中に猫の姿を見かけるようになった。17,183歩。