野心

目が覚めたら8時前。辛うじて空き缶を出せた。しかし寒さと睡魔に勝てず二度寝。

洗濯物を干して灯油を買いに行く。

水戸街道と明治通りの交差点そばの、もと三菱UFJ銀行の建物で何か作業をしている。壊すのかな。建物の解体を最近よく見る気がする。

ガソリンスタンドで灯油を買って一旦帰宅し、すぐに出直す。

駅に向かっていたら、近くの隅田川高校の女子生徒の集団の後について歩く格好になった。全員がバックパックを背負っている。そうか、高校生の通学かばんは今はバックパックなんだな。そう思って、駅で出くわす高校生たちの背中を見ると、男女とも皆バックパックのようである。

さあ、私は高校時代どんな通学かばんを使っていたか、にわかに思い出せない。少なくともバックパックではなかった。ただし、当時はバックパックではなく、リュックサックと言っていたが。リュックサックがバックパックになったのは、いつ頃だったろうか?

かく言う私も、仕事用のバッグは、ここ何年も背中にかけられるタイプにしている。普段は縦にして背中にかけて出歩き、ちょっと人前に出る時などは横にして手に提げて持つ。コロナ以後、このバッグを使う機会もぐっと減ったけれど。

コロナ以後よく目にするようになったバックパックといえば、何といっても、ウーバーイーツなどのデリバリーの人が背中にかけている大きなバッグだろう。

駅ナカのベーカリーカフェで軽く朝昼兼用を済ませて、電車に乗った。清澄白河へ。

資料館通りを歩いて東京都現代美術館に。思えばここに来るのもコロナ以後初かも知れない。

まず「石岡瑛子 血が、汗が、浪だがデザインできるか」展から。

結構お客が入っていて驚く。若い客もいるが、比較的年配の客も多いのは、この美術館では珍しい光景ではないか。資生堂の前田美波里のポスターを前に、美波里ちゃんでしょ、などと言い合っている年長の女性二人組がいた。同時代にパルコの仕事を見てきた客も多いことだろう。

展示室内に石岡瑛子のインタビュー音声が流れている。ほとんどの展示室で彼女の声が聞こえていたのではないか。まるで常に本人がそこにいて客を鼓舞しているようである。

しかし、この時期にこれだけの客を集めるというのは、デザインというのは大衆と関わる仕事なんだなと思う。一方で、石岡瑛子が1980年代初頭に日本を離れたということの意味も考えてみたくなる。

後年に彼女が手掛けた映画や舞台の仕事は、グラフィックデザイナーという枠では到底語れないし、正直、壮大すぎて私にはついていけないところがある。

また、グラフィックデザインという平面の仕事をしてきた人が、衣装や舞台美術といった立体の仕事に容易に対応できるとも思えない。

こう言うと作家の仕事を矮小化するようだけれど、時代と環境に恵まれた人だったとは思う。その恵まれた条件を存分に活かして、貪欲に自分を大きくしようとした人なんだろうなと思った。その意志の強さは凡人には及びつかない。

北京オリンピックでの自身の仕事を振り返って、「クリエーターとしての野心は20%も実現できなかった」という言葉がキャプションに引用されていた。この「野心」というものを、晩年まで抱き続けた人だったんだろうという感がある。

この野心を育み、世界に向かって発露させた時代と時代の精神を辿る、今回の展示は、まさに「えこの一代記」だった。

続いて「MOT ANUUUAL 2020 透明な力たち」展に。

私好みの展示で楽しかった。

帰りは電車に乗らず歩いて帰宅した。都現美から家まで歩くのは初めてかな?

1時間余りで歩けた。案外歩けるものだと思う。15,119歩。今日はこのまま在宅。

叫び

今日は人間ドックの日。まずまず起き出した。当然朝飯は省略。出がけにゴミ出し。

行き先の都合上、京成曳舟から電車に乗る。通り慣れたはずの道も時間帯が違えば新鮮に見える。ご近所の知り合いを見かけたので挨拶。なんだか気分がいい。

駅まで来たところで健康保険証と診察券を忘れてきたことに気づいた。まるでサザエさんみたいである。このところ、あるいはずっとそうなのかも知れないが、どこか抜けている。

ともあれ指定の時間前に到着。保険証等は忘れても何とかなりそうで安心。

いつもなら待合室や検査フロアの廊下に置かれている新聞雑誌が見当たらない。目立たないところにかためて置かれていた。腹部超音波検査でお腹に塗られるゼリーが温かかった。

検査は順調に捗って、午前中にはすべて終了してしまった。病院のレストランで昼飯を食べた。

思いの外早く出られた。天気はいいし、歩いて竹橋へ。

何か訴えかけるような口調の声が聞こえてきた。ところどころに区長選のポスターが掲示してあるのを見ていたので、選挙の街宣かなと思ったら、公園の前に大きなキャリーバッグを持った女性が立っていて、誰かに盗聴されているがそれが誰かは分かっている、というようなことをひとりで延々と叫び続けているのだった。

東京国立近代美術館の「眠り」展に。

森村泰昌氏の「なにものかへのレクイエム」で、映像の終盤でカメラはのどかな公園の様子を写すが、公園に集う人々は誰も森村=「三島」に関心を払う様子はない。この場面を指して、キャプションの説明文は「政治に無関心な市民への痛烈な皮肉と言えよう」と結んでいるが、私には同時に「芸術に無関心な市民への痛烈な皮肉」でもあろうと思えたが、いずれにせよ、芸術家の声に耳を傾ける市民はいない。美術館への行きがけに見かけた女性の叫びを、聞いて聞かぬふりをして通り過ぎるように。

16時に美術館を出て、九段下方向に歩いた。

そうか、早稲田通りというのは、九段から発しているのか。通りの途中区間は長年折に触れて行ったり来たりしているが、起点というのは考えたことがなかった。

早稲田通りを飯田橋へ。外堀通りに入り、市ヶ谷方向に向かう途中で折れて、逢坂という勾配のきつい坂を上った。坂の途中にアンスティテュ・フランセへの入口がある。フランス語を話す母子連れたちを追い越した。

√K Contemporaryというギャラリーには初めて来た。聞くと、去年の三月に開廊したのだとか。

梅津庸一氏の監修になる「絵画の見かた reprise」という展示を見に来た。受付で美術手帖の2020年12月号を購入。昨晩ネット書店を見たら、本号はどこも売り切れで、古書にずいぶん高い値段がついているので驚いた。

ギャラリーを出て、高級そうな住宅街をうねうねと歩いたら神楽坂に出た。

飯田橋から総武線で錦糸町へ。楽天地スパに入館。

休憩室の椅子に座ったら、程なく眠気が襲ってきた。

11時頃に退館して帰宅。19,345歩。

12日目

今日もコンビニまで朝飯を買いに。

近所の建物がすっかり取り壊された。更地までもうすぐか。

昼間抜け出した。今にも雨が降りそうな空である。今日も昼飯は持ち帰りにすることにして、百花園近くのパン屋に行ってみた。

なんと木曜は定休日だった。よく調べなかったこちらが悪いのだが。なになに、営業日は火・水・金・土か。今度は間違って来ないように、ここに覚え書きしておこう。

では昼飯はどうするかと考えていると、お弁当と書かれたのぼりが目に入った。地蔵坂から少し入ったところにある肉屋さんである。ここではずいぶん前に一度か二度、肉を買ったことはあるけれど、お弁当をやっているとは知らなかった。

からあげ弁当を注文すると、油を温めて目の前でからあげを揚げてくれた。店先で少々待つが、この程度の時間は気にならないし、むしろ有難い。

お弁当を待っている間に雨が降ってきた。せっかくの揚げたてが冷めないよう寄り道せず帰宅。

からあげの下に敷かれたたっぷりのキャベツが嬉しい。

夕刊を取りに出たら、向かいの車のフードがうっすらと雪化粧していた。

夕刻、ちょっとばたばたしたが、所用を済ませて、買い物に。出来合いで早々に晩飯を済ませた。雨でもあるし、夜の散歩その他は省略。

3,449歩。連続1万歩が12日目で途切れたが、仕方ない。11日間続けて外を歩くなんて、この時期の日本海側だと有り得ないだろう。

刺青客

近所で古い建物を解体している現場。ずいぶん進捗したようだ。

昨日は離れ離れに落ちていた手袋が揃えて置いてある。誰かが拾ったのだろう。私も写真など撮らずに拾ってあげるべきだったか。

コンビニで朝飯を買って帰宅。

尾籠な話だが、朝からお腹の具合があまりよくない。昨日変なものでも食べたかな。そんなことはないと思うのだけど。念のため慎重を期して、今日のお昼は持ち帰りにしようと思う。

畳屋の店先に吊られた飾り物が風を受けてくるくると回転している。わらで出来ているのかな。確かに畳屋なら、わら細工はお手の物だろう。

二階の食堂に。弁当ができるのを待っていたら、後から知り合い二人がやってきて久し振りに顔を合わせるなど。

知り合いの話に出てきたTOYAMAキラリというのはどこだろうと思ったら、西町のガラス美術館の建物のことをそういう言い方をするのか。実はまだ建物の中に入ったことがない。そんなことを言えば、新しい富山県美術館にも水墨美術館にも行ったことがない。富山市は高校時代に3年間通った街だが、その頃より後にできた建物には、なぜかよそよそしい感じがして、足を向けるのに躊躇してしまう。この感覚は何なのだろう。

青空がだいぶ顔を出してきた。

お弁当は豚の生姜焼きにした。

所用を終えて散歩に。夜の空が妙に明るい。

今日は入谷のほうまで歩いてみようと思う。入谷といえば、恐れ入谷の鬼子母神という地口だが、考えてみればこれまで鬼子母神に詣でたことがない。

一葉桜・小松橋通りから金美館通りに入って、鶯谷のほうに向かって歩いていくと、昭和通りに突き当たって、地下鉄入谷駅の入口がある。もう一方の地下鉄の入口が昭和通りと言問通りとの交差点近くにあって、鬼子母神があるのはこのあたりである。

入谷鬼子母神は、正式には真源寺というらしい。遅い時間だったけど、境内はまだ開いていたから有難い。

案外こぢんまりとしたお寺で、こう言ってはなんだけれど、少し拍子抜けした。明るい時間に来れば、また印象も変わるのかも知れないが。お寺の周りに観光客相手の店が建ち並んでいるということもない。隣は小学校である。有名なわりに観光地化されていないんだなと思った。もっとも、観光地化していたら私ももっと早く足を運んでいただろう。昭和通りと言問通りという大きな道路に囲まれているので、どうしても雰囲気がせわしない。場所柄で損をしているように思った。

鬼子母神には入谷七福神の福禄寿がおわすとか。しかし江戸の人は本当に七福神が好きなこと。

来た道を引き返して、少し裏道に入ったりしつつ、馴染みの銭湯に着いた。

ほぼ全身に刺青を入れた客が続けざまに入ってきた。

銭湯とサウナ施設の違いは、いろいろに挙げることができると思うけれど、こと客の視点から言えば、刺青を入れた相客がいるかどうかという違いは大きい(ここではオシャレタトゥーではなく倶梨伽羅紋々等の和柄の刺青をいうことにする)。

大抵のサウナ施設は刺青を入れた客の入館を禁止しているのに対して、銭湯ではそのような決まりを見たことがない。銭湯、すなわち公衆浴場は料金が公定された施設で、公共性が高いから、むやみやたらに客を選ぶわけにはいかないのだろう。

サウナ施設の環境を静寂に保つのは、基本的に客のマナーに任されている。かつては勝手の分かった大人のための施設だったのが、昨今のサウナブーム以降、若者がやってくるようになって、中には行儀のなっていない者もいる。そのために時に静寂が乱されるようになった。

銭湯も同様なのだが、ここで刺青を入れた客の存在が重しになっている。この銭湯の雰囲気が落ち着いていて、客層も大人に寄っているのは、刺青客のおかげではないかと思う。

というわけで、銭湯に行くなら刺青客の多いところがいい。

変わり湯は生姜湯。たっぷりとした水風呂で手足を伸ばすのは気持ちがいい。

帰りも少しだけ遠回りして帰った。15,756歩。

1,070円

あ、片手袋。

と思ったら、少し離れたところに、もう片方。

両方とも手袋を落としていくって、どういう状況なのかな。当人は気づいていないのか、気づいてはいたけど、何かの事情で拾えなかったのか。

コンビニで朝飯を買って帰る。

お昼は二階の食堂の弁当。鶏のから揚げ。

夕刻、所用を済ませて、夜の散歩に。山谷堀公園から千束通り経由、いつもの銭湯に。と思ったら、やってない。臨時休業?

しまった、今日は火曜日だった。火曜なら定休日だ。どういうわけか今日を水曜日と思い込んでいた。昨日もそうだけど、どうも抜けている。

幸いここから遠くない距離に銭湯は他にもあるので、慌てず移動。千束通りを引き返して、土手通りを越えて、YDBこと、S湯に。有名だから仮名を使うこともないか。湯どんぶり栄湯に。

流し場に妙齢の?女性が入ってきた。むろん裸ではない。親しげに話しかけている客もいる。店のスタッフの人かな?

露天風呂に浸かっていたら、露天のフロアにその女性がやってきて、水風呂に入っている客や、縁台で小休憩している客に向けて、バスタオルで扇いで風を浴びせている。手慣れたバスタオル使いである。

そうか、レジェンドゆう、というのはこの人かと、ようやく気がついた。サウナ室内だけじゃなくて、外でもロウリュ(と言うのだろうか)をするんだね。

私は銭湯のサウナには基本的に入らないので、この人を目当てに湯どんぶりに来たこともない。今回はたまたまロウリュの時間に居合わせることになった。

まあでも、なんなら銭湯サウナに入ってもいい。番台で聞くと予約を勧められたから、結構な人気なんだな。

料金は、通常の入浴料470円とサウナ料金300円に加えて、ロウリュ券300円を購入する必要がある。都合1,070円。

考えてみましょう。12,617歩。

原点回帰

昨夜はなかなか眠れなかった。こういう時は無理に寝ようとしてもいけない、と思って、スマホで動画など見出したのもよくない。朝方の4時近くなって、ようやくウトウトとしてきた。3時間くらいは浅い眠りについただろうか。

寝は足りないが、致し方ない。コンビニに朝飯を買いに出た。雨は上がっているが、道路はまだじっとりと湿り気を残している。

片方だけの薄桃色の手袋と黒い手袋。この季節は片手袋が落ちているのをよく見る(そもそもこの季節しか手袋をしないけれど)。そういえば、伊集院光氏も片手袋を写真に撮っているとラジオで言っていたっけ。

本当はこの後、巣ごもりのはずだったのが、急に巣から抜け出すことになった。詳細は省くが、私の勘違いと思い込みが原因である。それもこれも今朝の寝が足りないのがいけない。

コーヒーとベーグルで休憩。さすがにこれだけでは昼飯にならない。

歩いて帰ることにした。まだ昨日の気分が残っているのか、道すがらパン屋を探して歩く。地図を見ると、案外このあたりにも知らないパン屋がいくつもある。帰り道から近いところに初めての店があったので入った。パンを選んでいると、ちょうど値引きの時間になった。

小さいのを3つほど買って家に帰って食べた。むろん美味しいが、美味しいものはほどほどにしておかないといけない。

歩いて帰ったら1万歩を過ぎたので、夜の散歩は省略。10,922歩。

朝刊にダイエーが全面広告を出していた。特に商品やセールの広告でもないようで、企業広告というやつだろうか。その中に、現行のロゴマークと並んで、かつてのマークも併記されていたのが目を引いた。私などの年代にはこのマークは馴染み深い。もっとも、ダイエーで買い物をしたことは多分数える程しかないと思うけど。

1999年に福岡ダイエーホークスが優勝したが、その前の年あたりからか、ケーブルテレビでなんとなくホークス戦の中継を見るようになって、そのうちに東京ドームのファイターズのホームゲーム(北海道移転前だった)でホークスが試合をする時にしばしば足を運ぶようになった。千葉マリンにも一度行ったことがあったっけ。

基本、スポーツ観戦の趣味はないほうだが、プロ野球に限らず、プロスポーツの特定のチームを応援した経験は、この頃のホークスだけである。

当時、母体のダイエーは経営危機で揺れていて、そちらのほうからの関心もあった。ホークスを応援していたのは、ダイエーに対するある種の判官贔屓的な思いもあったかも知れない。ダイエー本体や球団をめぐる人物模様がドラマを見るように面白かった。その後、球団がソフトバンクに売却されると、ホークスへの関心も薄れていった。

ダイエー本体も経営体制が変わり、イオン傘下になると、やはり関心が薄れた。ロゴマークが変わったせいもあるかも知れない。現在のロゴマークが制定されたのは2005年とか。16年前か。

そんなわけで、かつてのロゴマークをしみじみと眺めた。しかも、広告文には、中内功氏が掲げたキャッチフレーズ「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を」まで謳われている。

なぜこの時期にダイエーが原点回帰するような広告を出すのか、事情は知らないけれど、スーパーでは、イトーヨーカドーでも数年前に鈴木敏文氏が経営を離れてから、ハトのマークを再び打ち出すようになっているから、原点回帰の動きには通じるものがあるのだろうか。

同時代

雨の朝。遅くならないうちに出る。

国立劇場の初春歌舞伎公演を見に行く。初芝居は「四天王御江戸鏑」。1月11日に続いて二度目の観劇。

こんな状況だから、コロナ禍のために急に公演が中止になることもありうる。ひと月弱の公演期間のうちに、できるだけ間を開けて二回見ることにしておけば、仮にどちらかが中止になっても安心…というのは冗談のようで、だんだん冗談にならなくなってきた。

電車に乗る前に、駅ナカのベーカリーカフェで朝飯がてら公演の予習。といっても、劇中で尾上菊之助丈はじめ役者連中が踊るダンスの元ネタを確認しておこうという程度である。NiziUという人たちが流行っている(いた?)ということさえ知らなかった。

ダンスの動画を見ていたせいで、国立劇場に着いたら案外いい時間になっていた。

しめ飾りはさすがに外されていたが、劇場のあちこちに初春の装いを残している。

前回は三階席から、今日は一階席から見る。客席から舞台への距離や角度が違えば見え方が全然違う。違うのはいいが、こんな席だったかな。事実上最前列ではあるが、この角度では却って舞台が見づらい。

開演。まず三番叟から。定式幕が引かれると、さらに紅白横縞の幕。縦縞ではない。このような幕を段幕というらしいが、半可通にはよく分からない。検索してもあまり出てこない。ネット情報を総合すると、道成寺のような舞踊劇で使うものらしい。そういえば木ノ下歌舞伎で、きたまりさんが娘道成寺を踊った時も紅白の幕を使っていた。が、あれは縦縞だったような気が。

三番叟を踊るのは、今回は尾上右近さん。これだけ舞台に近いとさすがの迫力である。気合も入っているのだろうが、こんなに声を張り上げるものなのかとも思う。見慣れていないから分からない。そういうものだったら失礼。

段幕が振り落とされると龍宮城の趣向。星鮫入道が腰に差す刀はネギだったか。

相馬御所に良門の伯母真柴(時蔵丈演)が現れ、唐突に(と感じられた)「繋馬の旗」を取り出す。正直、この時点では旗の意味がよく分からなかった。「内侍所の御鏡」をめぐる企みはよく分かるので、ここでもうひとつ意味ありげな品物を登場させる必要があるのかなと思った。が、後の場面でのこの旗の使われ方を思えば、どこかで出しておかなければならないのだろう。

花道からせり上がって土蜘蛛の精が登場。三階席からオペラグラス越しに見た時は、菊之助丈の美しさに息を呑んだが、この距離から肉眼では表情ははっきりとは伺えない。が、煙の中に浮かぶ姿もまた一興である。

女郎屋の座敷で、菊五郎丈の綱五郎が「お土砂」を撒くドタバタの場面。座敷の柱までが「お土砂」でぐにゃりとするのは、上から見た時は気づかなかったな。

菊五郎丈のコミカルな演技が楽しい。綱五郎と平井保昌が対面する場面、「面を見せい」と言われて、気をつけをする綱五郎。

行き方知れずの渡辺綱の身替わりに立てられることになった綱五郎だが、実は綱五郎こそが渡辺綱本人だったという。しかも配下の保昌にさえそのことを悟られないように綱五郎になりきってふるまい、さらに渡部綱の許嫁である弁の内侍の面前では綱五郎が一周戻って渡辺綱を演じるわけだから、考え出すとなかなかややこしい。このややこしさを感じさせず、軽々と客に見せてしまうのも菊五郎丈の明るさと大きさなのだろうか。

しかし、女郎屋で綱五郎と一緒に遊んでいた仲間たちはそのことを知らなかったのか、あるいは綱五郎だけでなく仲間たちも、良門方の目をくらますための渡辺綱による仕込みだったのか?

大詰、北野天満宮の場。帝の思し召しとはいえ、「繋馬の旗」をあっさりと良門に返してしまうのは、これでいいのかな、と思わなくもない。

休憩時間、吹き抜けのロビーにちりんちりんと鐘の音が響く。公演パンフレットに当たり券の入っていた人には手ぬぐいが貰えるのだとか。当たりが出る度に鐘を鳴らしているのだろうが、結構な頻度で鳴っている。残念ながら私ははずれだったらしい。

同じ芝居を席を変えて見たわけだが、歌舞伎を見る席は舞台から近ければいいというわけではない。むろん三階席が一番いいわけでもない。できれば三階席と舞台を結ぶ線の中間点あたりから見てみたい。空中に浮かびでもしない限り無理なことだが。あるいは「神の視座」というのは、このような場所なのだろうか。

芝居がはねて、早々に半蔵門から大手町へ。電車を降りて、地下の連絡通路を東京駅方向に歩く。

東京ステーションギャラリーの河鍋暁斎展に。

本展は三部構成。最初のフロアには暁斎による写生・模写・席画等が集められている。席画というのは観客の前で即興的に描かれた絵。このような席は「書画会」と言われて、当時一種の興行として開催されていたという。一杯機嫌で行われているから、自ずと手も出るのだろう、他の書画家の「描き入れ」も散見される。書画会図の賑やかな様子を見ていると、時代も趣旨も違うけれど、こないだ読んだ『手鎖心中』の冒頭に出てくる、山東京伝のサロンに集う気鋭の文人たちの姿も、こんなだったのかなと思う。

次のフロアには下絵類が集められている。本展では暁斎の本画は展示されていない。本画というのは下絵を基に描かれた完成作品で、基本的に注文を受けて制作されるものだったようだ。ということは、これらの下絵に描かれている画題は、同時代の人々の生活や文化を反映していると考えることができるのではないだろうか。私などは、地獄極楽めぐり図からは落語の『地獄八景亡者戯』を思い浮かべてしまうし、太田道灌の山吹の里の絵からは、まさに落語の『道灌』で隠居が語る道灌の逸話を髣髴とするようだ。現代に伝わる古典落語の演目の多くが、江戸から明治にかけての時期に成立したとすれば、これらの絵から落語の世界と同じ空気を感じてもおかしくはない。

このフロアには明治12年に上演された河竹黙阿弥作の歌舞伎狂言『漂流奇譚西洋劇』の「行燈絵」の下絵も展示されている。そうか、暁斎と黙阿弥の接点もあったのか。

河鍋暁斎 天保2年(1831)~明治22年(1889)
河竹黙阿弥 文化13年(1816)~明治26年(1893)
三遊亭圓朝 天保10年(1839)~明治33年(1900)
山岡鉄舟 天保7年(1836)~明治21年(1888)

暁斎と黙阿弥に加えて、圓朝と鉄舟の生没年も並べてみた。本展には鉄舟が賛を記した席画も展示されている。いずれも幕末から明治にかけての同時代を生きた人と言っていいと思う。

最後のフロアは絵手本、つまり暁斎が弟子のための手本として描いた絵。狩野派の伝統的な学習法を身に着けていた暁斎は、門人の教育にも熱心だったとあるが、残念ながら大成した弟子は少なかったようだ。最も著名な暁斎の弟子は、建築家のジョサイア・コンドルということになるのだろう。

総武線快速で錦糸町に出て、楽天地スパに。日曜夜の楽天地スパは静かでいい。

休憩室のテレビで近視についての番組を放映している。出演者が近視、近視と言うたび、当代桂小文枝師を思い出して可笑しい。

帰り際、受付の人に、髪を切りましたねと声をかけた。

雨は上がったし、どうせなら1万歩にしたいので、駅からの道を遠回りしてから、家のまわりをぐるぐると歩いて到達。10,137歩。

空き缶と古新聞古雑誌を出すと、今にも降りそうな天気。顔にかすかに雨粒が当たるのを感じた。

なんだか今朝は疲れている。昨夜少し多めに歩いたせいか、それとも寒くなったせいか。予報では雪になるかもと言っている。

二度寝して、午前中はだらだらと過ごして、午後から抜け出した。雨が降っている。

電車に乗る前に駅ナカのベーカリーカフェで軽く、と思ったけど満席で断念。コロナ対策で席数を少なくしているから仕方ない。

半蔵門線で渋谷に。久し振りで出口に迷う。文化村通りを東急本店前で折れて山手通り方向に。

植え込みの中の「富山オリジナル」という立て札。隣には「スイートインプレッション」。何だろう?

チューリップの名前らしい。富山産の球根なのだろう。「スプリングサプライズ」というのもあった。チューリップの球根はこの時期から植えるんだっけ?

このあたりだったかな、と思ったところで曲がったら、そこに松濤美術館があった。

舟越桂展に。建物の外で名前と連絡先を紙片に書いてから、少し待って入館。

受付で「入館整理札」というのを渡された。鑑賞中は持って歩いて、帰りに返すことになる。滞在時間の目安は1時間、というのは係の人にも言われた。

美術館の地下一階には主に作家の知友などの人物をモデルにした初期作品が、二階にはスフィンクスをモチーフにした近作が並んだ。壁面には彫刻のためのドローイングが掛けられている。さらに、作家が子供たちのために端材で作った木製のおもちゃや、家族に宛てた季節のカード、父親である舟越保武や弟の直木の絵画作品までが集められた。作家のアトリエの一部を再現したと思しき一角もある。作家のこれまでの仕事がコンパクトに纏められ、芸術家一家の家族史までを概観する展示となっている。

地下一階の展示室に入ってしばらく、彫刻作品とその周りに佇む観客が混然となって見えた。やや猫背気味に傾いだ彫像に、そこに人がいるような息遣いを感じた。ひとつひとつの作品に物語があることをキャプションにしては長めの文章が伝えた。

展示室内を進むにつれて、彫像は次第に異形さを帯びていく。『山を包む私』という作品のタイトルは、作家が在学していた東京造形大学のある八王子の山容を見た時の体験から来ているらしいが、示唆的なエピソードだと思う。作家は対象物を作品とする時に、それを自分の中に包み込むような感覚を覚えるのだろうか。

ふと、「私の中にある泉」という展覧会のタイトルと、松涛美術館の建物の中に包み込まれた噴水とが重なる。

帰路、不動産屋の店先で鉢植えのチューリップが雨に濡れていた。この時期にもうチューリップは咲くのか。

チューリップの花を見ていたら、どこかから声をかけられた。ヘッドホンを着けていたのでよく聞こえなかったのだが、「ヒルナンデスというテレビ番組で紹介された…」などと言っている。どうやら道行く人に声をかけてはパンを売り歩いているらしい。この雨の中、大変だ。

渋谷から地下鉄で曳舟に引き返した。

電車の中でパンが気になって仕方がない。出がけに駅でパンを食べそびれたこともあるし、さっきの流しのパン屋の声もどこかに引っかかっていたのだろう。曳舟に着いたら旨いパンが食べたい。

スマホの地図を見ると、駅を出て明治通りを越えたあたりにパン屋の表示がある。ここには行ったことがない。外は雨だし、暗くなって寒いし、こんな日のこんな時間にわざわざ足を延ばすこともないのだが、やむを得ない。

こうなるんじゃないかなと思ってはいたけれど、営業していなかった。地図では営業時間中となっていたんだけどな。コロナ禍で臨時休業なのか、それとも売り切れで早じまいなのか。パン屋なら後者も十分有り得る。

ここまで来たら意地なので、もう一軒、ここは数日前の昼間にも出かけたパン屋に行ってみようと思う。ずいぶん遠回りだが、致し方ない。

案の定、営業していなかった。

実に馬鹿馬鹿しいのだけど、結局曳舟駅まで戻って、昼間食べ損ねたベーカリーカフェに入った。冷えた身体にホットコーヒーが有難い。

この雨では夜の散歩は省略かなと思っていたが、雨の中パン屋を探して歩いたおかげで捗った。11,281歩。

反省

ゴミ出しからのコンビニ。朝刊の一面トップはさすがに各紙とも大統領就任関係の記事である。つまんないの。日経と漫画ゴラクを買って帰る。

昼は二階の食堂のカレー弁当。カレーは種類があって迷うが、チキントマトカレーにした。

夕刻、所用の後、夜の散歩に。隅田川テラスから白鬚橋を渡って、汐入公園に。馴染みの散歩道。

汐入公園で何か声が聞こえると思ったら、キックボクシング?の練習をしている男女がいた。ちなみに蹴っているのが女性。

普段なら水神大橋で引き返すところだが、今日は気まぐれに汐入公園と団地の間の道を歩いてから、これまた何となく、べるぽうと、という郵便局やスーパーのあるビルの中に入ってみた。

赤いのは鬼だろうか。雪だるまは疲労困憊といった様子で、まるで駐車場で仮眠中の州兵のようである。

高専と瑞光橋公園の間の道を渡り、住宅地の中の道を歩いて、また隅田川沿いの道に出た。

白鬚橋のたもとで明治通りを渡って、台東区に入った。

今日はYDBことS湯に。

久し振りに入ったが、程なくして、しばらくご無沙汰していた理由を思い出した。ここは人気の銭湯だから、若い客も多い。そして、例に漏れず、二人連れ、三人連れでやって来て、ぺちゃくちゃ喋るのは、若い客である。

露天風呂に行ったら、若い二人連れの客が休憩用の縁台に座って、えんえんと喋っている。言葉から察するに上方の人間だろうか。

コロナ禍ということもあるが、そもそも露天風呂での会話は外に声が漏れるので近所迷惑である。会話を控えるように促す看板も立っている。

その二人連れは縁台を立つと、今度は壺湯に入って話を続けた。私は一旦屋内の流し場に退散して、顔を当たってから、また露天風呂に戻ったが、二人はまだ話している。

すると、30代前半位の年恰好か、私からすれば若者と言ってもいいけれど、ひとりの客が立ち上がって、二人に向かい、口に人差し指を当てて、ややへりくだった口調で「すみません」と言った。

二人は少し小声になって、二言、三言交わした後、決まりが悪くなったか、すごすごと露天風呂を出て行った。

私は、「すみません」の一言で、二人の会話を止めた客に感心し、同時に自分のことを反省した。注意すべき時には注意すべきなのだ。それは若い客のためにもなる。また、そこには、角の立たない注意の仕方というテクニックもある。

今度、銭湯やサウナの中で会話を止めない若い客を見かけたら、私はきちんと注意できるだろうか。そんなことを自問しつつ帰り道を歩いた。17,292歩。

公園

コンビニに朝飯を買いに出る。

今朝の一面の見出しは、さすがにどの一般紙もバイデン就任だなあ、と思ったら東京新聞だけ違った。

見出しにつられて日経を買って帰った。家で開いて気づいたが、紙面には大統領の就任演説もレディ・ガガもアマンダ・ゴーマンも出てこない。つい数時間前の出来事だから今日の朝刊には間に合っていないのだ。ツイッターでは見ていたからうっかりしていた。そんなことなら大見出しにしないでほしいと思う。その点、東京新聞の姿勢は立派である。

昼間、灯油を買いに。相変わらず減りが早い。

昼飯は鳩の街のこぐまで、ポークジンジャー丼。こぐまは拙宅から一番近い飲食店ということになるのに、あまり来られていなかった。今度から昼のローテーションに入れようかな。

夕刻。曳舟から亀戸線に乗って亀戸水神で降りた。

亀戸中央公園の間の道を歩いた。このあたりを歩くのは初めて。

松の木の幹にこも巻きをしているのを久し振りに見たと思う。そもそも松の木自体を久し振りに見たような気がする。

総武線の高架下をくぐって、そのうちに京葉道路に突き当たった。

亀戸アートセンターというところに初めて来た。たまたま東京アートビートのサイトでこの場所を知って、時間がある日に行ってみようと思っていた。今日がその日。

在廊していた女性が問わず語りするには、ここは夫婦で運営している場所で、二年程前から始めたとか。夫婦の片割れであるその女性も作家なのだそうだ。

展示作家の椋本真理子さんという人の作品は初めてかと思ったら、去年恵比寿のNADiffで展示を行っていたと聞いて、そういえば見た、見たと思い出した。ウィンドウギャラリーの中の展示はあまり覚えていなかったけど、「紙粘土ドローイング」という小さな作品群が並んで売られていたのは記憶の隅に残っている。

写真ではどう見えるかな、この展示スペースの入口を全開にして辛うじて入る程という大きさの作品。第一印象、ガリガリ君のような棒付きアイスを思ったが、それにしては棒の色が違う。

今回の展示作品にはどれもFountainというタイトルが付けられている。噴水の水が吹き上がった時の一瞬の形を留めたとも見えるし、どこか公園の噴水の前でぼんやりしている時の、永遠に続くかのような時間を封じ込めたものとも見える。

過去の作品の写真を見ていると、どことなくパブリック・アートのようである。必ずしも公共空間に置かれているわけではないようなので、作品のサイズが大きくなるとそう見えるのだろうか。あるいは作家が参照している噴水やダムが、そもそも屋外の公共財だからだろうか。

画廊を出て、来た道を引き返した。

亀戸中央公園はずいぶん広いようで、調べると元は日立の工場があった場所らしい。公園の真ん中に未整備のまま残っている一帯があった。

行きは時間の都合もあって電車に乗ったが、地図を見ると歩いて行けそうな距離である。帰りは電車に乗らずこのまま歩くことにした。

亀戸水神の駅を横目にひたすら歩くと、明治通りに突き当たった。そこから少し北に行くと、北十間川の向こうに花王の工場やオリンピックの看板が見える。ここまで来れば馴染みのある風景である。

拙宅まで1時間少々で歩けるのが分かった。11,098歩。