始め

昼過ぎに上野着。

年末に新幹線のeチケットのことを書いたが、ひとつ不便だなと思ったのが、紙の切符が発券されないので、乗車する時、切符に表示される座席番号を目当てにして座席の場所を探せないことである。当たり前ではあるのだが。

これは、購入時に予約内容をメール送信する設定にしておけば、スマホを見ながら座席を探すことができる。が、これがオプション設定になっているので、送信設定を忘れた場合は、えきねっとにログインして購入履歴から予約内容を確認する必要がある。今回は黒部宇奈月温泉駅のホームで慌ててログインして座席を調べることになった。

乗車時にそんなことを思っていたので、上野駅で「eチケット座席票発行機」なるものを見て、なるほどこれは便利だと思った。せっかくペーパーレスになったのに、また切符状のものをプリントするのは本末転倒のような気もするけれど。

上野から銀座線で浅草、東武線に乗り換えて曳舟下車。一旦帰宅。

少し休んでから外出。

しめかざりはまだ玄関に飾ったままでいいのだろうか。出がけに気になって近所を見渡すが、しめかざりを飾った家はほとんど見当たらない。一方、町会で配布された賀詞が書かれた紙(紙門松という言い方があるらしい。調べて初めて知った)を玄関に貼っている家は多い。

そうか、このあたりは、しめかざりを飾る習慣自体がないのかも知れない。富山の家では毎年必ずしめかざりを飾っていたから、てっきり、どの家でも飾るものかと思い込んでいた。

家々の玄関を気にしながら歩いてみると、やはりしめかざりはないか、あってもスーパーで売っているような、あるいはハンドクラフト然としたものばかりで、伝統的な様式と思しきものは少ない。

水戸街道から秋葉神社が見えたので、せっかくなので初詣とする。

通り沿いの料理屋の玄関に立派なしめかざりが見える。そうか、しめかざりをまったく飾らないわけでもないんだ。商売をしている家では飾る習慣があるのかも知れない。

そこで、向島の料亭街を歩いてみると、しめかざりは飾っている場合もあれば、飾っていない場合もある。ただし、どの料亭の玄関にも立派な門松が飾られていた。

とりあえずの結論。東京ではしめかざりを飾る習慣がないわけではないが、必須ではない。一方、門松や松飾りは、特に商家では必ず飾る。町会の紙門松も、その簡易版と考えてよいのではないか。

去年の三軒茶屋の生活工房でのしめかざり展を見た後、富山のしめかざりの形や装飾についてネットで調べていて、実はこれという情報は見当たらなかったのだけど、あるサイトに、富山では門松を飾る習慣がない、という記述があった。言われてみれば、少なくとも一般の民家では門松や松飾りを見た記憶がない。

正月の飾りつけひとつとっても、ある地域で当たり前だと思っていることが、別の地域ではそうではなかったりする。自分の見えている範囲というのは狭いものだと思う。

料亭街に来たついでに、弘福寺に初詣、そして小沢昭一さんのお墓にもお参り。

この足で錦糸町まで歩いた。

楽天地スパに60分コースで入館。今年のサウナ始め。

今日あたりはまだ正月休みのうちという人も多いのだろう。結構混んでいる。ちょうど正時に居合わせたので、ロウリュでも受けていこうかと思ったら、サウナ室が満員で断念。

総武線快速で新橋へ。ちょっと早いが、内幸町ホールに。

誘われて三遊亭竜楽さんの独演会に来た。今年の落語の聞き始め(ラジオは除く)。そして、竜楽さんを聞くのも今回が初めて。伺うと、新年はこの場所での公演が恒例なのだとか。

開口一番 立川幸吾「子ほめ」

芸協所属、談幸門下。今年9月の二ツ目昇進が決まっているという。口跡滑らかだが、滑りが良すぎるのか、活舌にこちらの耳が着いていけないところがあった。時間の制約もあったのかも知れないが、もう少しゆっくり喋るか、緩急があると有難いと思った。

お馴染みの「子ほめ」だが、こちらの耳に新しいフレーズがいくつかあった。私は立川流をあまり聞いていないのだが、あるいは立川流の型なのだろうか。お七夜よりまだ若い、赤ん坊だからおむつやだ、というサゲも初めて聞いたように思う。

竜楽「くしゃみ講釈」

竜楽師が林家小染師から教わったものとか。上方版の「くっしゃみ講釈」は何度か聞いたことがあるが、江戸落語に仕立て直したものは初めて聞いたと思う。上方だと、のぞきからくりの八百屋お七を接ぎ穂にして八百屋での買い物を思い出すことになるが、竜楽版ではのぞきからくりの設定はカット。東京の客には馴染みがないという配慮だろうか。一方、お七の名前が思い出せないために、八百屋のおかみさんが旦那の浮気相手の話と早合点するというアレンジを加えている。

俗曲 檜山うめ吉

うめ吉さんを聞くのも久し振り。お年の話も失礼だろうが、芸歴から拝察するに、もう中堅と言ってもよい域に達しておられると思うけれど、この方の雰囲気は初めて聞いた頃から変わらない。えてして芸歴を重ねた女性の音曲師の方は、すれっからしの姐御キャラになって、客を持ち上げたり落としたりするのが可笑しかったりするが、うめ吉さんはずっと娘キャラを保っている。吉原の唄を唄っているのだから、初心とかカマトトとかいうのとは違うのだろうが、だんだん不思議な境涯に至りつつある。

一旦袖に引っ込んでから、二枚の扇子の縁に鈴をあしらったものを獅子頭に見立てて、獅子の踊り。

竜楽「文七元結」

本寸法の演目をたっぷりと演じた。まくらで、鬼滅の刃の映画を見たという話から、強者が自分の力を自分のために使うのではなく、弱者を助けるために使うということが、江戸ッ子と通じる、という言い方だったかな、そこから文七元結に入ったのは、流行り物だから入れ込んだのだろうが、ちょっと繋がりが悪いように思えた。

これは素人のいち感想だが、吾妻橋上での左官の長兵衛さんの行動は江戸ッ子の美風として普遍化できるものなのだろうか。現代の価値観からみて違和感があるのは当然だが、むしろ違和感のあるまま提示して、それでも噺を聞いている間は、何故かもっともな行動であるかのように聞かされてしまう、というものであるようにも思う。

「くしゃみ講釈」では特にそうだけれど、竜楽さんは、稚気というと失礼かな、相貌の印象とは少し違って、お茶目なところのある方とお見受けした。さらに枯れられたら、「文七元結」も味わいを変えるのだろう。

SL広場は通行人の数よりカメラを抱えた取材者のほうが多いようだ。新橋で一盞の後帰宅。13,416歩。