日曜日に買ってきたしめかざりを家の玄関に掛けた。近所を見回しても、まだ飾っている家は見当たらないので、少々早いのだろうが、やむを得ない。

正月に向けて街の景色が少し変わっている。

家にいても気が乗らないので、年賀状は外で書くことにした。どこか喫茶店にでも居座ろうという魂胆である。そして、投函したらその足で帰省しようと思う。

その前にコンビニに寄る。今年は市販の年賀状を買ってきて、住所氏名だけ絵柄の上から印刷することにした。それもコンビニプリントで。家のプリンタを出すのはやめた。マルチコピー機の前で少々手間取って、後から来たおじさんには申し訳ない。

曳舟駅構内のカフェに陣取って、コーヒー二杯飲むうちに書き終えたので、そろそろ出ようと思う。

ポストを探して歩いて、結局向島郵便局で投函した。

曳舟から浅草、乗り換えて上野駅へ。地下鉄に乗っている間に、えきねっとで指定席を予約した。

予約してしまえば発車時刻まで何もすることはない。手持ち無沙汰なので駅構内を眺め回す。

こんな銅像があったのか。銘板を見ると朝倉文夫の作品らしい。

昭和33年の上野駅開設75周年の式典に列席した朝倉文夫が、自身の誕生年と駅の開設年が同じ明治16年であることを知って、記念に制作したものとある。

ま、今なら裸体の女性像を公共の場所に置こうとすると、ひと議論起きるかも知れない。

ところで、天井から吊られているこのオブジェ?は何だろう。特に説明も見当たらず。

啄木の歌碑。

しかし、普段通り過ぎるだけの駅構内だが、立ち止まって見ればいろいろ面白いものがありますな。

新幹線ホームに向かう地下階も閑散としている。いつもならこのあたりに売店があったように思うが、そうか、あの売店は仮設の店舗だったのか。この状況では店を出しても仕方ないのだろう。

無事定刻の新幹線に乗車した。

ところで、今回初めて、えきねっとの新幹線eチケットというのを利用した。紙の切符が発券されず、チケットの情報を手持ちのICカードに登録するというもの。昔の人間からすれば味気なさもあるが、便利さが勝る。電車の中で、あれ、切符どこにやったかな、と焦ったことも少なからずあったので。決済はビューカードで、登録先は普段使いのPASMOに、ということもできるのもよい。

黒部宇奈月温泉駅で降りるのに、勘違いして、ひと駅前の糸魚川駅で席を立ってしまった。通路に出てそのことに気づいたが、私の席が三列シートの窓際の席で、中央の席の客の前を失礼して通路に出たので、今さら戻るのもきまりが悪い。そこで、一旦糸魚川駅でホームに出てから、改めて自由席車両に乗って、ひと駅間だけ座って行った。

ともあれ帰りついた。4,684歩。

スター

平日だが休み。部屋の片付けに手をつけるが、到底追い付かない。

今年の初めまでは月いちくらいで近所の人たちを家に呼んで、何か適当な口実をつけて飲み食いしていた。誰か人が来るならそれに向けて掃除しようという気にもなる。しかしコロナ禍以後はそういう機会を設けられていないので、今年は例年以上に家の中が片付いていない。

年賀状を出さなければならないが、去年届いた年賀状を見ながら宛名書きをしようと思っていた。ところが、去年の年賀状の束が見当たらない。慌てて部屋の中をあちこち探して、辛うじて見つけることができた。これだけでひと仕事したような気分になる。

お昼をずいぶん過ぎて、遅昼というよりは、もう早い晩飯の時間だが、二階の食堂に。お昼の定食は終わっているから、単品であれこれ頼んで食べた。

曳舟から清澄白河で大江戸線に乗り換えて、六本木へ。

森美術館のSTARS展に。1月3日までの会期だから、今日見ておかないと見逃す可能性が高い。森美術館は平日でも夜まで開いているし、会期も長いので、いつでも行けると思っているうちに終期が迫って、慌てて出かけることになる。

思えば森美術館に来るのもコロナ後初めて。チケット売り場など閑散として、張り巡らされた誘導用のロープが手持ち無沙汰のようである。

本展では、村上隆、李禹煥、草間彌生、宮島達男、奈良美智、杉本博司(展示順)という6名の作家について、過去作から近作まで、数点ずつが展示されている。それぞれの仕事の全容を回顧するにはさすがに規模が小さいが、だいたいこういう人だよ、と言える程度にはまとめられている。

6人の出展作家は世代もスタイルもまちまちで、共通項は日本の現代美術の「スター」として海外の美術界でも名前が通っている人たちということのようだ。出展作家の年表からは、特に海外において彼らが受容されてきた履歴を辿ることができる。さらに、戦後に海外で開催された日本の現代美術を扱った美術展の記録が一覧できるアーカイブ展示も併設されているので、海外(特に欧米だろうが)での日本の現代美術の受容史の上に本展を位置づける意図もあるのだろう。

本展が、とりわけ海外から見たスター作家を選んでいるのは、日本の現代美術の状況をひとつの視点から海外に紹介するというよりは、欧米における日本の現代美術の受容の状況を国内に写し返す趣旨なのだろうか。また、6人の中で一番若い村上隆でさえもう58歳なのも気になった。もっとも、それより若い世代に「スター」がいないということなのかも知れないけど。

ちょっと面白いなと思ったのは、村上隆と杉本博司の、どちらも近作の映像作品。村上氏はアイロニカル、杉本氏はスノッブだけど、どちらも観衆に対してそれをストレートに出してしまったことへの照れを感じる。

全体に、なぜか展示室の雰囲気が仮設っぽく感じられた。美術館というより、イベント会場みたいな。前からこんなふうだったかな。それに引きずられて展示されている作品まで安っぽく見えてしまうように思えた。

個人的には、私が現代美術を見る動機がどんどん薄れていくことへの感慨もあった。もう、現代美術、見なくていいんじゃない?という思い。

ところで、森美術館行きのエレベーターの床面を見ると、social distanceではなく、physical distanceと書かれている。確かに社会的距離と言うよりは物理的距離と言ったほうが明解に思える。

六本木から日比谷線で入谷へ。金美館通りを千束へ歩いて、いつもの銭湯に。

この銭湯に入るのも今年の納め。年末だからか、時間のせいか、ずいぶん客が入っている。変わり湯はラベンダー湯。

銭湯を出て、11時を回っているから、もう飲み屋は開いていない。横目で通り過ぎて帰宅。11,302歩。

串柿

目が覚めて少し頭が重い。洗濯するかどうか迷って、結局しない。

そろそろ年賀状を書かなければならない。沢山出すわけではない。相手は古い知人が多いが、近年は年賀状だけの付き合いになってしまった人もいる。だから出したほうがいいとも言えるし、余計に筆が進まないとも言える。

帰省もしなければならない。上京してこのかた、お盆と正月は必ず帰省していたが、今年は初めてお盆に帰らなかった。正月はどうするか。もともと帰省には気乗りがしないが、帰省する、しないを考えるのも、また面倒で気乗りがしない。

家にいても仕方がないので、駅まで出た。軽く飯でも食うか、と思ったところで、駅頭で知り合いの母子に会った。どこかお出かけですかと聞かれたので、ええ、まあ、とお茶を濁して、改札の中に入った。

三軒茶屋へ。さすがに腹が減った。キャロットタワー下の駅そば屋に。ここに入るのは初めてだと思う。舞茸天そば、卵入り。

生活工房で、しめかざり展を見る。会期は今日まで。

日本各地の正月のしめかざりが写真と実物の展示で紹介されている。縄の形に種類があるのは知らなかったが、中には想像を超える形や大きさのものもある。

おそらく日本じゅうのどの家も、自分の家のしめかざりが当たり前だと思って住み暮らしていることだろう。

さて、私の富山の家のしめかざりはどうだったか。子供の頃のしめかざりを思い出そうとするが、縄の形も、縄と一緒に飾られていたものも、最早記憶は漠然としている。

わが家では、おそらく昔は、近所にあった農協の小売店舗でしめかざりを買っていたのだろうと思う。ということは、市内の農家が片手間に作っていたのだろうか。それが、ずいぶん前にその店舗はなくなり、近年はどこかスーパーでパッケージに入った商品然としたものを買ってくるようになったが、子供の頃のしめかざりとは違うなあと思いながら、最近のしめかざりを見ていた。

縄の形もそうだが、縄と一緒に何が飾られていたか、はっきりと思い出せないのがもどかしい。みかん(だいだい?)はあった。裏白にホンダワラ。串柿も飾られていたように思うが、今回の展示を見る限り、しめかざりに串柿を飾っている例は、奈良県の写真しか見つけることができなかった。

あるいは串柿の記憶は、しめかざりではなく鏡餅の正月飾りと混同しているのだろうか。鏡餅も、かつては自宅でついた餅に裏白やホンダワラなどを添えて飾っていたものだが、近年はスーパーで買ってきたパックの餅を置くだけになってしまった。

ともあれ、玄関のしめかざりと鏡餅の正月飾り、それに神棚のしめ縄は境界領域にあるのだろうと思う。

縄の結び目を見ていて緊縛を思い出した。あれには民俗的なルーツはあるんだろうか。今度機会があったら緊縛師の方に聞いてみよう。

三軒茶屋を出て錦糸町へ。ロフトの一階の花屋でしめかざりを売っていたので東京の自宅用に買った。むろん、子供の頃のしめかざりとはまったく違う代物ではある。

帰宅してそのまま在宅。適当に有り合わせで飯を食って、ぼけっとしているうちに眠くなって寝た。5,504歩。

追加

だらだらと朝寝して資源ごみを出せず。これで空き缶は越年決定。

いい天気。駐車場で猫がひなたぼっこしている。

半蔵門へ。国立劇場十二月歌舞伎公演に。今日は楽日。

第一部の「三人吉三巴白波」を見るのは今月二度目。前回は一階席、今日は三階席から見る。

一幕目、大川端庚申塚の場で、一階席からはよく見えなかった隅田川の川面の表現や、おとせがお嬢吉三から突き落とされて川波の中に姿を消す仕掛けがよく分かる。

おとせから奪った百両を争って、お嬢とお坊が白刃を交える中に和尚が現れる。和尚が投げた半纏が、切り結ぶ剣先を包んで剣戟が止まる。動から静への転換。中央に和尚と百両の財布、左右にお嬢、お坊とそれぞれの白刃を配置したシンメトリカルな造形美が舞台上に現れる。この三角形はまさに巴型をなしていると思う。

上手にはける三人を覆うように常式幕が引かれていく景色が目に残った。

二幕目、巣鴨在吉祥院本堂の場から裏手墓地の場への転換。舞台が回りながら暗転し、再び明かりが点くと、中央に包丁を手にした和尚、左右に血を流すおとせと十三の姿が目に映る。すでに和尚はおとせと十三を手にかけたところだったか。舞台上にはここでも三角形が現れている。

和尚とおとせは兄妹、そしておとせと十三もきょうだいだが、二人はそれを知らない。苦しむ二人に和尚は井戸の水を飲ませ、自分もその水を飲み干す。そうか、これも対称になっているのか。三人の吉三は血の盃を交わして義兄弟となり、実の三兄弟は末期の水を交わして永遠の別れとなる。

大詰、本郷火の見櫓の場。お嬢が火の見櫓に登って関を開ける太鼓を鳴らそうとするところで、櫓がせりになって上下するが、三階から見ると動きがよく見えるとはいえ、この効果の趣旨はちょっとよく解らなかった。

合流した三人は刀と百両を八百屋久兵衛に託し、最後の三角形を観客の目に残して幕が引かれる。

この芝居が今年の観劇の納めとなった。 

遅い昼飯に永田町駅の駅ナカで蕎麦を食べた。案外食べでがある。

有楽町線に乗り換えて東池袋へ。タイムズ スパ・レスタに。

結構入っているが、気になる程ではない。

ところで、レスタは楽天地スパと比べて客層が若いと思う。えてして若い客は数人連れで来ているのは同様だが、なぜかレスタでは客同士の会話がさほど気にならない。

理由を考えてみると、レスタでは浴室での話し声がジェットバスの水音でかき消されるのではないか。また、露天風呂があるので、外の音が入りやすいのだろう。逆に、楽天地スパは浴室内に声が響きやすいと思う。

さらに、レスタではサウナ室のテレビが常に消音されているので、客も憚って静かにしているように思う。サウナ室内のテレビの有無はしばしば議論になるが、消音されていれば、見たくない時は目を閉じていればいい。

これが今年の納めのサウナになるかな。 

遅くならないうちに上がって、池袋から山手線で鶯谷に。鶯谷から歩いて入谷、そして千束に。いつもの銭湯を横目に通り過ぎて、飲み屋に。

生ビールから始めて生ハイボールに。ここでトークンがなくなったので、12枚追加。ということは、また来年もこの店に来ないといけない。

多分、よいお年を、と言って辞去。13,167歩。

ばったり

寝坊してゴミ出せず。

巣ごもり日。コーヒーを淹れようとしたら、紙フィルターをつけずに豆を入れてしまった。ボケか。

某氏からメールで瀧口修造さんのお墓への行き方を聞かれる。26日から富山入りとか。呉羽駅からタクシーに乗るのがよいのではと答えた。上手く辿り着かれればよいのだが。

二階の食堂でお昼。金曜の日替わりはスパゲッティーだが、昨日の昼もパスタだったので今日は回避。柚子胡椒のグリーンカレーに。ちょっと面白い味。

昼飯の帰り、水戸街道でこれから出勤する某某さんにばったり出くわす。しばらく一緒に歩きながら近況を聞くなど。

一日じゅう座っているとお尻が冷える。椅子の上に座布団を敷いたり、電気膝掛けを使ったりするが、どうもお尻の位置が決まらない。

夜は某オンラインイベントに参加するつもりだったが、昨日のやりとりで、申し込んだつもりで正しく受け付けられていなかったことが判明。ぽっかり空いてしまった。

特に予定もないので灯油を買いにいく。

近所の店に晩飯を買いに出たら某某某さんとばったり。実は昨晩もばったり会ったところ。よいお年を、と言いつつ、もしかしたら年内にまた近所でばったり会うような気もする。

最近家では飲まないのだが、久し振りにビールのロング缶を空けたら、面倒くさくなって、そのまま在宅。3,362歩。

生姜

背中の具合はまあまあ。洗濯。朝は持ち帰りサンドイッチ。

昼はパスタ。小柱ときのこのペンネ。チーズの香りが宜しい。シェフの好意で浜田港で上がった鮮魚のフリット。デザートは栗のアイスクリーム。

夕刻、錦糸町へ。パルコの鯛ラーメンの店で鮪ラーメンを食べた。

楽天地スパに。12月の木曜日は生姜風呂というのをやっているというので、一度試してみたかったが、これまで予定が合わず、今日が最後の機会。

赤みの強いお湯の色に戸惑ったが、肌触りは悪くない。生姜を小さく切ったものがネットに入って浮かんでいるが、香りはあまり感じなかった。独特の辛味成分が微かに肌を刺激するようだが、そう思わなければ分からない程度ではある。

水風呂の温度がいつもより少し低めに設定してあるよう。水温計の目視で14~15℃かな?

あ、生姜風呂の日はスチームサウナの温度を上げているというのを試すのを忘れた。

サウナ室のドアに、会話を止めるよう促す張り紙があった。その効き目があったか、今夜は概してお客のマナーは宜しい。若者のグループ客を見なかったからかも知れないが。

私が帰るのと行き違いに若い客がぞろぞろと入ってきた。メリークリスマス。8,298歩。

背中

目が覚めたら背中の肩甲骨のあたりに違和感がある。寝ている間にひねったか、姿勢が悪かったか。内臓から来ている痛みではないとは思うが、いい気分はしない。

巣ごもり日。朝の散歩は省略。コーヒーを入れて、インスタントラーメンを作る。思い立って、ほうれん草を茹でてラーメンの具にする。

昼は二階の食堂の日替わりランチ。今日は、さばのトマトみそ煮。

朝からの背中の違和感のせいで集中力を欠く一日。

夕刻になって、新しいスマホの設定に手をつけた。新しい、と言っても型落ちの中古品だが、箱や付属品もついているし、一見して中古とは分からない。

今まで使っていたスマホが、次第に電池の持ちが悪くなってきてはいたが、先週位から、表示上はまだ25%程残量があるのに、突然電源が落ちるようになった。もう限界だろうと買い換えることにした。

最新機種は5G対応なのだろうが、長らく私はスマホでのインターネット接続にWiMAXを使っていて、当面それを続けるつもりでいるから、Wi-Fiさえ繋がれば4Gの機種で構わない。

とは言え、もともとWiMAXは、スマホだけでなく、外出時にノートPCをインターネット接続するのに使うつもりだったのだけど、ここしばらくノートPCを外に持ち出していない。スマホで手頃なパケットプランがあれば、WiMAXを止めて乗り換えてもいいのだが、それを調べる元気もない。

新しいスマホを自宅のWi-Fiに繋いで、必要なアプリを入れ、各種アカウントを設定し、最後にSIMを移し替えた。まずまず大きなトラブルはなく移行終了。

ひと仕事終えて、夜の散歩がてら銭湯に。今日の変わり湯は濁り酒。

風呂から出たり入ったりしていたら、背中の具合もいくらか旧に復してきた気がする。8,925歩。

定休

持ち帰りサンドイッチの店に寄ったら臨時休業。仕方なく朝はコンビニのハンバーガーとコーヒー。

パスタランチ。バゲットは自家製になったそう。暖かいうちに食べるよう勧められる。

ブロッコリーとラグーのスパゲッティ。美味。

デザートにクレソンのプリンが付いてきた。

長らくこの店のホールのスタッフを務めてきた人が12月で退職とか。知らなかったのでちょっとショック。

夕刻、アートトレイスギャラリーに。

ギャラリーを出てぶらぶらと歩く。

本所を縦断し、吾妻橋を渡って、浅草へ。

神谷バーに限らず、火曜定休という店を途中いくつか見たように思う。

この時世だから人出は少ない。ただでさえ夜の早い浅草の街が余計に寂しい。

しかし、コロナ後に思うことだが、街に夜中まで人が溢れ、電車は常に満員、という状況のほうが異常だったのではないか。肩の力の抜けたような最近の東京の風景は好ましい。

寄席は毎日休みなし。せっかくなので覗いてもいいかなと思ったけど、またの機会にしましょう。

六区からひさご通りを抜けて、千束通りに。デンキヤホールでオムマキにコーヒーもいいかなと思ったけど、ちょうど店を閉める時間だった。

ゴボウの轢死体が落ちていた。

火曜日は馴染みの銭湯も、湯上りに寄る飲み屋も定休日。寄り道せず、このまま桜橋を渡って帰った。15,590歩。

巨人

気がついたら昨夜散歩に出た時のヒートテックの長袖を着たまま寝ていた。タイツのほうは辛うじて脱いで室内用のスウェットに着替えていたようだ。

もうラジオで生島ヒロシが喋っている時間である。

昨夜は外で飲んで、物足りない気がしたのでコンビニで缶ビールを買って帰った。そういう意地汚いことをするからこうなる。

昨日買ったクロワッサンをひとつ食べて外出。ひとつでも随分大きい。

昼はきしめんと思ったが、やむを得ずビーフストロガノフ風に変更。どこか調子が外れている。その後河岸を変えてコーヒー。

午後、少し熱っぽい気がする。体温を計ると、若干平熱よりは高いようだ。

毎年この時期は風邪をひいて、こじらせたりこじらせなかったりしているのに、今年はどうしてもコロナを疑ってしまう。

帰宅。これでもかと晩飯を食べたら、いつの間に熱っぽさは消えていた。

夜の散歩に。馴染みの銭湯は冬至のゆず湯。ヤクルトを貰って帰った。今夜は風がない分、昨日ほど寒さは感じない。14,189歩。

井上ひさし特集の「東京人」11月号が届いた。日曜日の午後に注文して翌日届くんだから早いね。

改めて氏の多芸多才ぶりに圧倒される。私など到底足元にも及ばない。凡人は巨人を前にして初めて自分の小ささに気づかされるようだ。

洗濯。午前のうちに少し遠くに出ようか迷ったが、だらだらしているうちに時間切れ。近所の散歩に変更。

待乳山聖天は正月支度の最中だった。

「奉献 文政三年庚辰秋九月 新吉原神楽講中」と読める。文政三年は1820年。神楽講中というのはよく分からなかったが、神楽が講(信徒集団か)を通じて受容されていたのだろうか。現代の東京が江戸と地続きだったことを思い出させる。

イチョウ(銀杏)かと思うとイチヨウ(一葉)、桜のいち品種らしい。花の中心に一本の葉化した雌しべがあるのでこの名前が付いた、とある。

そうか、この通りの名前「一葉桜・小松橋通り」は、一葉桜が植えられているところから来ているのか。今年の桜の花の時期が終わってからこの通りを歩くようになったので、迂闊にも気がつかなかった。

てっきり、この通りの名前は樋口一葉に関係があるのかと思っていた。逆に樋口一葉の筆名の由来はこの桜だろうかと思うと、Wikipediaを見る限りは関係ないようだ。

通り沿いのカフェで朝飯がてら休憩。BLTサンドとコーヒー。この後向かいのパン屋でクロワッサン(普通のとチョコバナナクロワッサンというもの)を買った。

鳩の街通りのicou(旧TABULAE)が、この土日だけ展示している「泥深い川」というグループ展の会場のひとつになっているので、覗いてから帰宅。先程のクロワッサンを昼飯代わりにした。

再び外出。せっかくなので「泥深い川」のToken Art Center(実は初めて来た)と北條工務店となりの展示をちらりと見た。

東武博物館のホールへ。最初間違えて博物館の入口(グルメシティの向かいあたり)に来てしまったが、ホールの入口は別のところにあるという。なんだ、さっき気づかずに前を通り過ぎていた。

14時からの向島文化サロン「井上ひさしと江戸時代」の第1回「井上ひさしのパロディの世界」を聴講。講師は立教大学名誉教授の渡辺憲司氏。昨日慌てて井上ひさしの『手鎖心中』を読んだのは、今回のレクチャーで取り上げるというから。

レクチャーの中身は、雑誌「東京人」2020年11月号の井上ひさし特集に渡辺氏が寄せた文章をなぞったもの。ただ、余談と脱線が多かったかな。

『手鎖心中』は山東京伝の『江戸生艶気樺焼』のパロディだという。さらに「井上ひさしが戯作者の師と仰ぐ」平賀源内に通じる回路が作中に埋め込まれているらしい。

ユートリヤで「泥深い川」の展示を見た。ちょうど4時で、4階ドームの泉太郎作品に動きが発生するところに居合わせた。

この後、近くのRPSにも寄って、鈴木萌さんの写真展を見た。この作家にとって手製本を作ることが仕事の大きな部分となっているようだ。作家の父親は視力を失いつつあるという。この手製本は「失明への旅」に向かう父親に宛てて発行されたパスポートと言ってもよいだろうか。もっとも、そのパスポートを渡された者はすでに中身を見ることができないのだが。

作家の父親が視力を失いつつあるのは悲しいことだが、もし私もこの手製本のように自分の人生を娘に再構成してもらえたら、ある意味幸せだろうなと思う。むろん私にそんな娘はなく、私の人生は朽ちていくだけだが。むしろ私は20年前に死んだ私の父を蘇生させるべきだろうか。

夜の散歩に。白髭橋を渡って汐入公園まで歩くコース。

いつもの銭湯に。鮮やかな青地に「サウナ水風呂」と麗々と書かれた真新しいのぼり旗が立っていて、少々面映ゆいようである。

湯上りに飲み屋に寄ったら、店内のテレビでM1を流していた。普段テレビを見ないので、これまでM1というのをちゃんと見た記憶はない。チャンネルを変えましょうかと言われたけれど、特に見たい番組があるわけではなく、M1が見たくないわけでもない。杯を重ねながら見るでもなく見て、結局優勝が決まるまで店にいた。

優勝コンビが決まったが、決勝で彼らがどんなネタをやっていたか、ほんの数分か十数分前のことなのに思い出せない。その程度の関心、集中力だったということでしょう。

生ビールと水餃子。その後、生ハイボールとピクルスに替えて続けた。

マスターのお義父さんが帰って、客は私一人になった。10時を過ぎて、ほろ酔いで帰宅。桜橋から見上げる夜空に細長い雲が浮かんでいる。25,703歩。