空き缶を出し、荷物を受け取る。午前中はだらだらと過ごす。
午後から外出。半蔵門へ。駅上のサンマルクカフェで昼飯。
国立劇場へ。前庭のヤマモミジが紅葉していた。見たところ前庭の紅葉はこの一本だけのよう。
12月歌舞伎公演の第一部は「三人吉三巴白浪」で、第二部には「天衣紛上野初花-河内山-」が上演される。いずれも河竹黙阿弥の作。昨日向島百花園で黙阿弥の石碑が目に留まったが、こういう偶然も面白い。
今日はまず第二部を見る。前から二列目の席で、一列目は開放していないから、実質最前列ということになる。
「天衣紛上野初花」は歌舞伎ファンには馴染みの演目ということだが、さあ、私は今まで見たことがあるかな。歌舞伎を見るようになってそれなりに経つが、定番の演目を案外見ていないのは、国立劇場の歌舞伎公演ばかり見ているからだ。ところが、このコロナ禍のために長時間の通しの上演が難しくなったせいもあるだろう、再開以後の国立劇場では、定番の演目から選んで上演してくれているようで有難い。
河内山相俊を演じるのは松本白鸚丈。舞台が近いので、質屋の店先で煙管を吸う相俊の口から出る煙まで見える。本当に煙草を吸っているのか、それとも何か仕掛けがあるのかな。相俊は「でえみょう」だの「しゃくりょう」だのと、江戸っ子口調である。
質屋の娘、腰元浪路は中村莟玉演。これなら殿様が妾にしたいと思うのももっともの美しさである。殿様は中村梅玉丈。この殿様は悪人ではないということだが、わがままでご無体で、臣下の諫言も耳に入らない。ふと、「志村けんのバカ殿様」での白塗りのバカ殿キャラは、こういう殿様の姿を思いっきり下品に振ったところから生まれたのではないかと思ったりもする。
相俊は江戸っ子からがらりと威儀を正し、上野寛永寺からの使いの僧を騙って殿様の屋敷を訪問する。寛永寺門主である宮様の碁の相手を務める骨董商が浪路の縁者で、宮様がその骨董商から悩みを聞いたということにして浪路を救い出そうとするが、しかし、市井のいち商人と宮様が碁敵という設定は、初演当時もっともらしく聞こえたものなのだろうか。正直、にわかに信じがたいのだが。
身分を超えた碁敵ということでは、落語に「柳田格之進」があるが、これは浪々の身の武士と商人だから、ありそうな気はする。あるいは、当時の囲碁は、相手が侍だろうが宮様だろうが、身分を超える道具立てとして機能していたのだろうか?
黙阿弥が本作を書いたのは明治14年という。この話は公武合体的な感じがする。
続いて歌舞伎舞踊の「鶴亀」と「雪の石橋」。舞踊は舞台から近い席で見ると、さすがの迫力である。
「鶴亀」の女帝役は中村福助丈。さあ、倒れられる前の福助さんは、何かで見ていたんだろうが、正直舞台の記憶はない。今回は甥に当たる福之助、歌之助との共演。
「雪の石橋」の獅子は市川染五郎。染五郎さんは、先月の歌舞伎座の「義経千本桜 川連法眼館」で義経を演じているのを見たが、こう言っては何だが、台詞回しの拙さに驚いた。義経に引きずられて、他の役者まで損をしているように思えたくらいだったが、今回は台詞はないので、安心して踊りを堪能した。
帰宅したらSCOTから鈴木忠志さんの本が届いていた。特に注文していないんだけどな。あるいは去年シアター・オリンピックスを見に行った客全員に送っているのだろうか。特に送り状も付いていないので、趣旨がわからない。太っ腹な演劇祭なのだと思っておく。
夜は書類の整理などして過ごす。6,791歩。