西荻

午後から外出。錦糸町で総武線に乗り換え。電車の中で、井上ひさしの『手鎖心中』を読み出す。上りの総武線で座って本が読めるのもコロナ禍ゆえだろう。

静かな車内の様子を見ながら、乗ったことがないから分からないけど、ヨーロッパの落ち着いた都市を走る電車はこんな感じなのかなと思った。

そんなことをぼんやり考えていたら、他の客がどんどん降りていく。この電車は中野止まりだった。三鷹行きと思い込んでいた。慌てて降車。

西荻窪へ。さあ、これまで西荻窪で降りたことはあっただろうか?

上京してから今年で30年になるが、その間、一度も西荻窪で降りたことがない、というのもにわかには信じがたい。何かあっただろう。とは言いながら、前回、いつ、何の用事で来たか見当がつかない。やはり初めてなのだろうか。

駅の北側に出て、善福寺川方向に歩く。

小さな古本市をやっているのに出くわした。通り沿いのかごから文庫本を二冊取り出して、外のレジに持っていったら、レジの奥にも本が並んでいる。もう一冊だけ購入。自宅にある本と重なってなければいいのだけど。

古本市の二軒ほど先が目当てのギャラリーブリキ星だった。

「生活の中の祈り」展に。餅パーティーなどでお会いした猫村あやさんが金属製のオブジェを出展している。前日にはこの場所で儀式もあったそうだか、そちらは失礼した。久し振りに猫村さんに挨拶。

忘日舎という書店を探した。近くまで来たところでスマホの電池が切れたので、外付けバッテリーを繋いだら、ちょうど目の前に店があった。

どこで手にしたのだったか、たまたま読んだ現代詩のフリーペーパーにその店主が寄稿していて、どんな本屋か気になっていたところに、猫村さんの展示も西荻だというので、併せて行くことにした次第。

古書と新刊を取り混ぜて、なるほど、こういう揃えが今の本屋なのだろうと思う。先程の古本市もそうだが、他にも小さな本屋をいくつか見かけた。西荻という街の懐の深さなのだろうか。

カバンが一杯になりつつあるので、今回は書架を眺めただけで失礼。

冷えてきたし、小腹も減ってきたので、喫茶店を見つけて休憩。

喫茶店にしては風変わりな名前の店だが、もともとは輸入家具を商売にしていて、その屋号を引き継いだのだそうだ。おそらく店主自身が喫茶店好きなのだろう。ナポリタンもコーヒーの味もどこか懐かしい。掛け時計の音も。

西荻、また来る機会もあるでしょう。

次の予定が渋谷なので、吉祥寺に出て井の頭線に乗ることにした。微妙にまだ時間があるので、駅前のスタバで『手鎖心中』の続き。周りは勉強中の中高生ばかりである。暢気に時代小説を読んで申し訳ない。

『手鎖心中』のラストには唸った。江戸の錦絵を捲るように展開していた物語が、ストンと落ちる。

渋谷へ。あまり縁がないので分からないが、きっと例年のこの時期なら、街は人で溢れているのだろう。

公園通りクラシックスで、渡部みかさんの公演があるというので来た。実は、みかさんの歌が主役の公演とは思っていなかった。いや、事前の案内をちゃんと読んでいれば、そう分かるし、今年見た開座での公演で、みかさんが歌う場面があったので、納得ではあるのだけど。

アコースティックギターでヒカシューの坂出雅海氏。みかさんは最後ビアノの弾き語りも聞かせる。場所柄もあるのだろうが、私も立ち会ったことのない、1960年代あたりのアンダーグラウンドな音楽のライブというのは、こんな感じだったのかなと思わされた。

みかさんは、踊りのイメージでばかり考えていたけれど、本質は歌の人なんだろうか。そう考えて、踊りを離れて話す時も、実は話すように歌っていたとすれば、分かる気もする。

終演後、半蔵門線で錦糸町へ。楽天地スパに60分コースで入館。

言うほど混んではいないが、やはり若い客が目立つ。それも決まって三人組で来て、ペチャクチャ喋っている。

サウナでの若い客については、これまで何度も書いてきた。うるさいとかコロナとか言う以前に、三人組でサウナに行くこと自体が私には理解できない。尾籠な言葉で恐縮だが、連れ小便と通じるのだろうか。私は連れ小便も苦手だった。

9,448歩。