空き缶と古新聞古雑誌を出すと、今にも降りそうな天気。顔にかすかに雨粒が当たるのを感じた。

なんだか今朝は疲れている。昨夜少し多めに歩いたせいか、それとも寒くなったせいか。予報では雪になるかもと言っている。

二度寝して、午前中はだらだらと過ごして、午後から抜け出した。雨が降っている。

電車に乗る前に駅ナカのベーカリーカフェで軽く、と思ったけど満席で断念。コロナ対策で席数を少なくしているから仕方ない。

半蔵門線で渋谷に。久し振りで出口に迷う。文化村通りを東急本店前で折れて山手通り方向に。

植え込みの中の「富山オリジナル」という立て札。隣には「スイートインプレッション」。何だろう?

チューリップの名前らしい。富山産の球根なのだろう。「スプリングサプライズ」というのもあった。チューリップの球根はこの時期から植えるんだっけ?

このあたりだったかな、と思ったところで曲がったら、そこに松濤美術館があった。

舟越桂展に。建物の外で名前と連絡先を紙片に書いてから、少し待って入館。

受付で「入館整理札」というのを渡された。鑑賞中は持って歩いて、帰りに返すことになる。滞在時間の目安は1時間、というのは係の人にも言われた。

美術館の地下一階には主に作家の知友などの人物をモデルにした初期作品が、二階にはスフィンクスをモチーフにした近作が並んだ。壁面には彫刻のためのドローイングが掛けられている。さらに、作家が子供たちのために端材で作った木製のおもちゃや、家族に宛てた季節のカード、父親である舟越保武や弟の直木の絵画作品までが集められた。作家のアトリエの一部を再現したと思しき一角もある。作家のこれまでの仕事がコンパクトに纏められ、芸術家一家の家族史までを概観する展示となっている。

地下一階の展示室に入ってしばらく、彫刻作品とその周りに佇む観客が混然となって見えた。やや猫背気味に傾いだ彫像に、そこに人がいるような息遣いを感じた。ひとつひとつの作品に物語があることをキャプションにしては長めの文章が伝えた。

展示室内を進むにつれて、彫像は次第に異形さを帯びていく。『山を包む私』という作品のタイトルは、作家が在学していた東京造形大学のある八王子の山容を見た時の体験から来ているらしいが、示唆的なエピソードだと思う。作家は対象物を作品とする時に、それを自分の中に包み込むような感覚を覚えるのだろうか。

ふと、「私の中にある泉」という展覧会のタイトルと、松涛美術館の建物の中に包み込まれた噴水とが重なる。

帰路、不動産屋の店先で鉢植えのチューリップが雨に濡れていた。この時期にもうチューリップは咲くのか。

チューリップの花を見ていたら、どこかから声をかけられた。ヘッドホンを着けていたのでよく聞こえなかったのだが、「ヒルナンデスというテレビ番組で紹介された…」などと言っている。どうやら道行く人に声をかけてはパンを売り歩いているらしい。この雨の中、大変だ。

渋谷から地下鉄で曳舟に引き返した。

電車の中でパンが気になって仕方がない。出がけに駅でパンを食べそびれたこともあるし、さっきの流しのパン屋の声もどこかに引っかかっていたのだろう。曳舟に着いたら旨いパンが食べたい。

スマホの地図を見ると、駅を出て明治通りを越えたあたりにパン屋の表示がある。ここには行ったことがない。外は雨だし、暗くなって寒いし、こんな日のこんな時間にわざわざ足を延ばすこともないのだが、やむを得ない。

こうなるんじゃないかなと思ってはいたけれど、営業していなかった。地図では営業時間中となっていたんだけどな。コロナ禍で臨時休業なのか、それとも売り切れで早じまいなのか。パン屋なら後者も十分有り得る。

ここまで来たら意地なので、もう一軒、ここは数日前の昼間にも出かけたパン屋に行ってみようと思う。ずいぶん遠回りだが、致し方ない。

案の定、営業していなかった。

実に馬鹿馬鹿しいのだけど、結局曳舟駅まで戻って、昼間食べ損ねたベーカリーカフェに入った。冷えた身体にホットコーヒーが有難い。

この雨では夜の散歩は省略かなと思っていたが、雨の中パン屋を探して歩いたおかげで捗った。11,281歩。