野心

目が覚めたら8時前。辛うじて空き缶を出せた。しかし寒さと睡魔に勝てず二度寝。

洗濯物を干して灯油を買いに行く。

水戸街道と明治通りの交差点そばの、もと三菱UFJ銀行の建物で何か作業をしている。壊すのかな。建物の解体を最近よく見る気がする。

ガソリンスタンドで灯油を買って一旦帰宅し、すぐに出直す。

駅に向かっていたら、近くの隅田川高校の女子生徒の集団の後について歩く格好になった。全員がバックパックを背負っている。そうか、高校生の通学かばんは今はバックパックなんだな。そう思って、駅で出くわす高校生たちの背中を見ると、男女とも皆バックパックのようである。

さあ、私は高校時代どんな通学かばんを使っていたか、にわかに思い出せない。少なくともバックパックではなかった。ただし、当時はバックパックではなく、リュックサックと言っていたが。リュックサックがバックパックになったのは、いつ頃だったろうか?

かく言う私も、仕事用のバッグは、ここ何年も背中にかけられるタイプにしている。普段は縦にして背中にかけて出歩き、ちょっと人前に出る時などは横にして手に提げて持つ。コロナ以後、このバッグを使う機会もぐっと減ったけれど。

コロナ以後よく目にするようになったバックパックといえば、何といっても、ウーバーイーツなどのデリバリーの人が背中にかけている大きなバッグだろう。

駅ナカのベーカリーカフェで軽く朝昼兼用を済ませて、電車に乗った。清澄白河へ。

資料館通りを歩いて東京都現代美術館に。思えばここに来るのもコロナ以後初かも知れない。

まず「石岡瑛子 血が、汗が、浪だがデザインできるか」展から。

結構お客が入っていて驚く。若い客もいるが、比較的年配の客も多いのは、この美術館では珍しい光景ではないか。資生堂の前田美波里のポスターを前に、美波里ちゃんでしょ、などと言い合っている年長の女性二人組がいた。同時代にパルコの仕事を見てきた客も多いことだろう。

展示室内に石岡瑛子のインタビュー音声が流れている。ほとんどの展示室で彼女の声が聞こえていたのではないか。まるで常に本人がそこにいて客を鼓舞しているようである。

しかし、この時期にこれだけの客を集めるというのは、デザインというのは大衆と関わる仕事なんだなと思う。一方で、石岡瑛子が1980年代初頭に日本を離れたということの意味も考えてみたくなる。

後年に彼女が手掛けた映画や舞台の仕事は、グラフィックデザイナーという枠では到底語れないし、正直、壮大すぎて私にはついていけないところがある。

また、グラフィックデザインという平面の仕事をしてきた人が、衣装や舞台美術といった立体の仕事に容易に対応できるとも思えない。

こう言うと作家の仕事を矮小化するようだけれど、時代と環境に恵まれた人だったとは思う。その恵まれた条件を存分に活かして、貪欲に自分を大きくしようとした人なんだろうなと思った。その意志の強さは凡人には及びつかない。

北京オリンピックでの自身の仕事を振り返って、「クリエーターとしての野心は20%も実現できなかった」という言葉がキャプションに引用されていた。この「野心」というものを、晩年まで抱き続けた人だったんだろうという感がある。

この野心を育み、世界に向かって発露させた時代と時代の精神を辿る、今回の展示は、まさに「えこの一代記」だった。

続いて「MOT ANUUUAL 2020 透明な力たち」展に。

私好みの展示で楽しかった。

帰りは電車に乗らず歩いて帰宅した。都現美から家まで歩くのは初めてかな?

1時間余りで歩けた。案外歩けるものだと思う。15,119歩。今日はこのまま在宅。