資源ごみの日。古新聞と空き缶、空き瓶、ペットボトル、段ボールを玄関前に並べておく。空き缶と空き瓶は早々に収集されていた。他は残して外出。

出掛けは少々肌寒いかなと思ったが、歩いているうちに気にならなくなってきた。

桜橋を渡って台東区に入る。

隅田公園の梅の花が美しい。隅田公園とだけ言うと、墨田区側も同じ名前で紛らわしいが、浅草側の話。

瀧廉太郎の『花』の歌碑があった。この歌の花を桜のことだと思い込んでいるが、こんなに見事な梅に囲まれているのだから、実は梅の花ということはないか。

気になって一応調べてみたら、二番の歌詞に「見ずやあけぼの 露あびて われにもの言う 桜木の」という一節があるので、やはり桜の花のようだ。残念、というのも可笑しいけど。

ちなみに『花』の作詞は武島羽衣。ふーん、『美しき天然』の詞もこの人なのか。

待乳山聖天の下を通って、千束から入谷、鶯谷に。

山手線に乗って池袋で下車。タイムズ スパ・レスタに。

時刻は10時半。先日からレスタが早朝営業を始めたというので、早起きして出掛けようと思っていたのに、結局この時間になってしまった。

浴室に午前の陽光が差し込んでいる。出遅れたと言っても、まだ客の数はまばらで、実に気分がいい。

サウナ室のテレビにKinKi Kidsの二人が出ている。普段テレビを見ないので、久し振りに彼らを見たという気がする。光一氏がジャイアンツの鹿取の名前を出していて、彼らは私よりいくつも若いはずだが、同じ時代を生きた人たちだなと思う。

午後からタイ健式の施術を受けた。馴染みのセラピストだが、施術をお願いするのは、ほぼ二ヶ月ぶりである。

足の裏を押されている時、不意に、甘いものを食べたでしょう、と言われた。実は前の日に普段滅多に食べないアイスクリームなどを食べたところだったので驚いた。食べたものが身体に表れて、診る人が診れば、それを感得することができるものなのだろうか。

例えばの話だが、前日×××をしたということも分かってしまうのだろうか。こういう人に隠し事はできないな、と思った。

施術後、コンフォートラウンジで休憩。まだ明るいうちにここからの景色を望むのは初めてである。

東池袋から市ヶ谷乗り換え、森下へ。黒田百合さん出演の開座アトリエ公演に。木曜に続いて二度目。

今回は断然良かった。木曜日は人形のように見えた百合さんが、意志を持ったひとりの人間として、全身で踊っていた。むろん、緊縛が進むにつれて、物理的な可動範囲は狭まっていく。が、その限られた動きの中で、百合さんは雄弁に語り続けていた。身体が拘束されても精神の自由は拘束されないのだ。

椅子に座ったまま縛られていく百合さんを見ながら、私は大野一雄の姿を思い出していた。木曜に見た時もその思いはあったが、今回はより強く感じた。

大野一雄は、晩年身体の自由が効かなくなって、車椅子の上で辛うじて手の先を動かしていた姿しか、生では見たことがない。正直、その時は意味がよく分からなかった。

が、あの時の大野一雄は、進行する老いと病のために身体は車椅子に縛りつけられながらも、自由な精神が全身に漲っていたのだ、きっと。あのわずかな手先の動きから、氏の全身全霊をかけた動きを見て取るべきだったのだ。

有末剛さんの緊縛を、老いや病と結びつけるのは、飛躍しすぎかも知れない。が、年齢を重ねるにつれて、われわれの身体は確実に、こう言ってよければ、緊縛されていく。大切なのは、緊縛と拮抗する精神の自由だ、と思った。

伊藤啓太さんの弾くコントラバスの弦と、緊縛の縄が重なる。まるで啓太さんと百合さんのセッションのようだ。百合さんは縛られながら自ら奏でているのか。

緊縛が解かれた百合さんは一旦視界から姿を消したようだったが、私の見方が間違っていなければ、この演出は的確だった。アオモリさんと渡部みかさんが縛られていく間、身を隠すことで、目の前の情景が、百合さんの脳内の劇場なのだと感じられた。一度そう感じると、縛られている二人と百合さんとの関係がはっきりした。二人を見ている百合さんは、縛られている自分の姿を俯瞰しているように見えた。

今日は行き掛かり上、電車で帰宅。森下から住吉経由、曳舟へ。

帰宅したら、玄関の前にペットボトルと段ボールが残されていた。13,464歩。

バック

今週からゴミを玄関前に置くことになって、今日は二度目の収集日。集積所に行く必要がないので、そのまま家にこもっていてもいいのだが、せっかくなのでコンビニに朝飯を買いに行く。

登校中の中学生たちとすれ違う。雨水市民の会の前で何やら鉢植えを覗き込んでいる子がいる。こういうのに関心があるのかなと思ったら、靴紐を直しているだけだった。

中学生たちのいなくなった後の通りは急に静かになる。

昼間抜け出す。鳩の街通り沿いの路地を歩く。薬局跡の看板にかろうじてスサキの文字が読める。

スサキと聞くと、映画『洲崎パラダイス 赤信号』の舞台となった深川の洲崎を思うが、向島のスサキは須崎と書く。このあたりはかつては須崎村といったようだ。

水戸街道を渡って、秋葉神社近くの洋食屋に。

今日は日替わりのランチにした。厨房から揚げ物の音が聞こえる。

ランチはお弁当箱で供された。ハンバーグに魚とイカのフライ。

鳩の街通りに道幅ぎりぎりのトラックが入り込んで、難渋している様子。

スズキストアーで買い物をしたら、あのトラックの大きさでは鳩の街を抜けられないことが分かって、バックで水戸街道まで戻ろうとしているのだと教えてくれた。そうか、あれは前進じゃなくてバックだったのか。大変だ。

午前中から少々頭が痛かったが、夕方にはほぼ回復して、所用。

夜の散歩に出る腰が重い。それでも意を決して外に出た。一度歩き出すと、もう少し、もう少しと足が前に動く。白鬚橋を渡って荒川区側に。

汐入公園から水神大橋を墨田区側に渡って、また引き返して戻ってきた。

少し遅くなったし、今夜は銭湯はパス。14,809歩。

西洋人形

朝起きて洗濯機を回す。今日は外出。出掛けに何を着ていこうか迷う。スマホが見当たらない。机のまわりをさんざん引っかきまわした後で、寝床に置きっぱなしにしていたことに気づく。

ずいぶんロスタイムになってしまった。普段より遅い電車に乗って、普段乗らないバスに乗って、辛うじて間に合った。

昼はあんかけ丼なるもの。その後、河岸を変えてコーヒー。

夕刻、歩いて森下の開座に。

今日から四日間のアトリエ公演には黒田百合さんが出演する。しかも緊縛師の有末剛さんが参加。意外なようだが、有末さんが開座のアトリエ公演に参加するのは初めてとか。そして百合さんが縛られるのも初めてという。

公演のタイトル「いがね縄夜」の、いがね、というのはどこかの方言と聞いたが、どこだかは忘れた。

ワンピースのドレスに身を包んで、椅子に腰かける百合さんの姿は、さながら西洋人形である。座ったままで縛られながら、辛うじて足先を動かしたり、表情を作ったりしていたが、それも人間というより自動人形の動きのように見える。

百合さんの縄が解かれると、今度はアオモリさんと渡部みかさんが縛られる。この時の百合さんはどこか所在なさげである。視野がとりちらかって散漫な印象もある。後から聞くと、アオモリさんとみかさんは百合さんの心象風景という演出意図があったらしい。が、みかさんやアオモリさんが百合さんを食ってしまった感もある。

さすがの百合さんも、初めての緊縛に呑まれていたのだろうか。

終演後、森下から歩いて帰宅。1時間程で歩けるものだ。13,231歩。

哀愁でいと

今日も外出。

駅に向かって路地を歩いていると、ウーバーイーツの大きなバッグを背負った人とすれ違った。配達先の住所を探しているようだ。

しかし、どなたが頼んだか知らないが、朝から出前を取るとは豪儀なものですね。

と思ったところで、いや、何かやむにやまれぬ事情があるのかも知れない、と思い直した。例えば、病気。あるいは家族の看病、介護。一時も手が離せず、家を空けられない、という人にとっては、朝から食事を配達してくれるサービスは実に有難いことだろう。

話はそれるが、ウーバーイーツを個人間の取引に使えないものだろうか。つまり、手作りの料理を誰かに食べてもらいたい人と、誰かの手料理を食べたい人を結びつけるサービス。

料理を作り過ぎて困った、なんていう時には好都合だと思うのだけど。

衛生面、安全面など、簡単には行かないだろうことは承知。いっそ、会員制のサービスにしたらどうかな?

朝はコンビニのサンドイッチ。

昼は野菜のあんかけそばのようなもの。食後に河岸を変えてコーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に移動して所用。昨日よりはましだが、今日も少し遅刻。

「哀愁でいと」が話題に。

「哀愁でいと」と聞いて、すぐに田原俊彦の曲名だと分かるのは、いくつくらいからだろうか。多分アラフィフ。

調べると田原俊彦の誕生日は1961年2月28日。なんと、今月末で還暦。

居合わせた高校生は田原俊彦の存在自体知らない様子。仕方ない。自分のおじいちゃんでもおかしくない年だ。

が、そのことを当然と言い切っていいのかは、よく分からない。

件の高校生と田原俊彦の年齢差は43、44といったところだろうが、では私が高校生の頃、同じくらいに年齢の離れた、三波春夫、春日八郎、村田英雄といった人たちについて、存在自体を知らないということはなかったからだ。

むろん、わが国の芸能史上、上に掲げたお三方に田原俊彦氏が匹敵するかどうかは、よく分からない。

そういえば、「哀愁でいと」が洋楽のカバー曲だということを、つい去年まで知らなかった。リアルタイムだと、私はまだ小学校低学年だから、仕方ないか。

帰宅して、スーパーで買ってきた出来合いで晩飯。そう、こんな時に個人間ウーバーイーツがあればいいんだな。

遅くなったが、夜の散歩に。今日はいつもの銭湯になるべく最短距離で向かう。ここ数日比較的暖かかったから、久し振りにきりりと冷えた空気の中を歩くのは気持ちがいい。

すると、桜橋のたもとに警官が三人たむろしている。夜の散歩の途中に、この場所で警官の姿を見るのは初めてである。

警察に対して、特に後ろめたいところはないはずだが、どうしても構えてしまう。こちらを見ているのか、いないのか、分からない、その視線が気になって、逆にこちらは気にしていないんだよ、というポーズを取ったりする。

まあ、何があったか知らないが、街にやたらに警官がいるのはご遠慮願いたい。

いつもの銭湯のいつもの光景。水風呂で居合わせた二人はボクシングの興行の話をしている。彼ら自身も鍛えているような体つきである。やはりボクシングをしているのだろうか。脱衣場で、サウナ前に水をどれだけ飲んで、湯上がりにどれだけ体重が減った、ということを話している、ほぼ全身に彫り物を入れた二人。いずれもサウナブームとは関係なくサウナを愛好している人たち。

夜道を猫が走って逃げた。

帰りに桜橋を通ったら、すでに警官の姿はない。さっきは何だったんだろうか。

帰宅したら日付が変わっていた。12,971歩。

薄毛治療

燃えるゴミの日。今週から収集方法が変更になって、初めて自宅の玄関先にゴミ袋を置いた。今日はこのまま外出。さあ、ちゃんと収集しておいてくれるだろうか。

錦糸町に出て、駅前の喫茶店でモーニング。ゆで卵の黄身がわずかに半熟の部分を残している。このゆで加減は家で再現できる自信がない。

喫茶店のテレビで、各種の治療等が医療費控除の対象になるか、ならないか、という仕分けを行って見せていた。

その中で、薄毛治療について、容姿の改善のための治療は医療費控除の対象外だが、病気のために脱毛した場合の治療などは対象になる場合もある、というようなことを言っている。

釈然としない。

若年性の脱毛は病気なのか、病気ではないのか。また、若年性脱毛で脱毛した人と、若年性脱毛ではない病気で脱毛した人が、容姿を気にするということにおいて、そこに違いはあるのか、ないのか。

まあ、確定申告の時期ですな。

昼は水餃子のようなもの。

いい天気。高いところに登ったら遠くまで見渡せる。

夕刻、バスで錦糸町に移動して所用。少々遅刻。

終わって、ひとしきり地震話。

地震が起こると、商店の陳列棚から物が落ちて、特に酒瓶などが割れて散乱している様子が決まって報道される。しかし、特に東北地方の人は地震で物が落ちることは経験しているのに、どうしてそれに備えた商品の置き方をしないのか。結局、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということなのだろう。

10年前の地震で初めて生命の危険を感じて、いつ死ぬか分からないのなら、自分のやりたいことをやろう、と思い立った人が、先週土曜日の地震で、久し振りにその気持ちを思い出した、という。なかなか当初の意志を鮮烈なまま保ち続けるのは難しい。

パルコの無印良品で少々買い物。程なく8時。

電車で帰って、スーパーに寄ってから帰宅。ゴミはちゃんと収集されていた。そのまま在宅。12,003歩。

ふと思ったが、少子化対策の一環として、薄毛治療に国が補助金を出すことは考えられるだろうか。

雨音

夜中に寝床で雨音を聞いた。

コンビニに朝飯を買いに出ると、行き交う人は皆傘を持って出掛けている。天気予報では日中に激しく降ると言っていた。昼間抜け出せないかも知れない。念のため昼用のパンも買った。

そのうち、予報が当たって大きな雨音が聞こえてきた。昼はさっきのパンと有り合わせで済ました。

夕刻、所用の後、しばらくしてから散歩に。幸い雨は上がっている。桜橋を渡り、裏道を歩いて、千束から浅草方向へ。

ひさご通りから浅草六区に。

この時点で夜9時頃。緊急事態のため浅草演芸ホールは8時までの短縮営業。ゲームセンターも短縮営業中というが、それでも22時までは開けているらしい。普段は何時まで営業してるんだろう。

伝法院通りに入って、仲見世から浅草寺に。

原色が溢れる街の中で、コンビニの看板だけモノトーンに差し替えられているのが、少々可笑しくもある。

再びひさご通りから、そのまま千束通りに入って、一葉桜・小松橋通りとぶつかると、いつもの銭湯のあたり。今日もお湯と水風呂を楽しんだ。

昼間の雨は雨音から察するに相当激しかったようだが、早々に上がってくれて何より。雨が通り過ぎた後の夜の街を歩くのは気分がいい。13,186歩。

寛保元年

ゴミを持って出たら集積所帰りのお向かいさんと顔を合わせた。

これまでの集積所が使えなくなる件で、来週から、収集日に拙宅の玄関前にゴミを置いておけば収集してくれることになった旨をお向かいさんに報告。

一昨日、区の清掃事務所に電話したら、その日のうちに係の人が拙宅に下見にやってきて、玄関前の様子を写真に撮って行った。

だんだん地域の共同のゴミ集積所というのが設けにくくなっているのだろうな、とは思う。NIMBYというやつだ。これまでは古手の地主さんか誰かが、家の敷地の一部を提供してくれていたのだろう。

ゴミ出しの足でコンビニに朝飯を買いに。

昼はサンドイッチか何かで軽く済ませたい気分である。スマホの地図にサンドイッチ、と入力して検索したら、今まで行ったことのない店が表示されたので、行ってみることにした。

普段の通り道から一本奥に入っただけなのだが、こんな家並みがあったのかと思う。

検索で出てきた店は生憎休み。

方向性を失ってぶらぶら歩いているうちに、当初の方針からは外れるが、洋食屋に入った。ここはずいぶん前に一度来たことがある。

年配の夫婦らしい二人で切り盛りしている店。地元の常連らしい客が途切れずやって来て、盛業で何より。

オムライスにした。今度来る時があったら日替わりを試してみよう。

店の入口に秋葉神社での落語会のチラシが置いてあった。当初の開催日なら無理だったが、コロナで延期後の期日なら行けるかも知れない。

食後、件の秋葉神社に寄った。

境内の石灯籠に寛保元年(1741)の年号とともに「武州葛飾郡請地村 満願寺」と彫られている。

先日から江戸時代以前のこのあたりの地勢が気になって仕方がない。

所用の後、夜の散歩に。山谷掘公園から、今日は花園通りに入って、吉原を横目に歩き、一葉桜・小松橋通りまで。

いつもの銭湯に。

湯上がり、彫り物を入れた若い二人連れがいい話をしていて思わず聞き耳を立てるなど。

13,770歩。

坂道

今日は休み。午前中はだらだらと過ごす。

昼前に外出。駅ナカのベーカリーカフェで遅朝。案外時間がない。淹れたてのコーヒーが熱くて、もったいないが残して出る。

半蔵門に。駅前のコンビニでコーヒーを買った。少し飲み足りない気分もあったか。

国立演芸場の2月中席初日に。例年ならこの席は金原亭馬生一座の鹿芝居が見ものだが、今年はコロナの影響で鹿芝居の公演は無し。

開口一番 金原亭駒介「たらちね」

丸顔で童顔。噺家らしい風貌とは言える。大家さんが新婦となる人を連れてくるのを待つ間に、たわし売りの老女を追い払って、年寄りは大切にしなければと大家さんにたしなめられる。このくだりは初めて聞いたかも。紙に書いてもらった新婦の名前を読んで、これじゃお経だ、でサゲ。

金原亭馬久「厄払い」

与太郎がおじさんから元手の要らない商売と言われて始めたのが厄払い。口上を述べながら家々を回り、お金と豆をもらうというもの。さあ、現代で元手の要らない商売というと何だろう。

金原亭馬玉「紙入れ」

門の豆腐屋のおかみさんが建具屋の半公と間男しているという噂話を与太郎が耳にして…という小噺から「紙入れ」に入る。登場人物の輪郭が目に浮かぶようだ。

漫才 ニックス

たっぷりやっていた感。本人たちが舞台上で言っていたように、時間調整ということもあったのだろうか。なるほど、こうやってネタを繋げていくのかと思いつつ聞いていた。お姉さんのほうも、いつもよりよく喋っていたかも?

林家正雀「豊竹屋」

「音曲風呂」の小噺からの「豊竹屋」。文楽を見ていなかったら、この噺の義太夫節に三味線を合わせるということがピンと来ていなかっただろうなと思う。そう言えば、箒を手に口三味線をするのは「心中天網島」だったか。

噺の後、座布団を片付けて「松づくし」の踊り。立ったり座ったり、最後は片足立ちになって、もう片方の足の爪先に扇子を挟んで静止。結構膝に来る動きだと思うが、足腰の達者ぶりに感嘆。

古今亭菊春「片棒」

コロナ禍でのエコな生活がケチ、吝嗇となって「片棒」に。例年の鹿芝居の興行では噺家が獅子舞を演じて客席を回っていたが、今年は無し。次男の銀次郎にこの獅子舞を言わせていた。三男は登場せず。

奇術 ダーク広和

最後の大掛かりな仕掛けにちょっと驚き。

金原亭馬生「富久」

かつて年末の江戸には、大神宮様のお祓い、と言いながら、伊勢神宮の御札を配って家々をまわる人がいたそうな。今東京ではどうしているのか、そもそも神棚のない家も多いだろう。

私の田舎では年末になると新しい御札が届いていた。多分町内会経由だろう。神棚を掃除して御札を取り替えるのは、私の仕事ということになっている。

先に馬久さんが演った「厄払い」は節分の噺だが、このように家々を回って口上を述べる行事が、かつての江戸では折々に見られたようだ。いわば宗教行事ではあるのだろうが、門付芸としての一面も併せ持っていたのだろう。獅子舞や太神楽もそういうものだったのではないか。民衆の信仰と芸能が重なっていた江戸の空気が、落語や寄席演芸の中にタイムカプセルのように残っていると思う。

国立演芸場の後は半蔵門に戻るより永田町の駅のほうに行きたくなる。九段下乗り換え、高田馬場に。

コットンクラブの横の地下鉄出口から表に出たら、いかめしい風体をした数人の男が横断歩道の向こうに見える。サバゲー?

いや、背中にPOLICEと書いてある。最初はこれも何かの冗談かと思ったら、どうやら本物の機動隊のようだ。街のあちこちに警官や機動隊員の姿が見えて、道路には機動隊の輸送車が何台も停まっている。

一体何事だろうか。考えてみれば今日は建国記念の日だ。デモか何かが行われるのだろう。しかし、高田馬場でこれだけ大規模な警察の動員に出くわすのは初めてだと思う。

駅前のロータリーの中で日の丸の旗を掲げて街宣をしている人がいたが、大して人を集めているわけではない。これに対する警備にしては不釣り合いな規模である。

次の予定まで時間があるので、お茶でもして時間を潰したい。どうせならチェーン店より初めての店を、と喫茶店を探したが、結局これはという店には出会えず。

しかし、高田馬場に来ても、神田川のほうまで降りていく(という感覚だ)ことは少ない。歩いていて方向に迷ってしまった。

何とか早稲田通りに出た。

ふと、かつて「らんぶる」という喫茶店のあった跡を見ようと思う。

たまたま、少し前に読んでいた片岡義男のエッセイ集『珈琲が呼ぶ』の中の一篇で触れられていたのを思い出した。片岡氏は早大在学中にこの店に入ったことはなく、卒業してから30年程後に一度訪れたことがあるだけだという。

私の在学中にはまだ営業していたはずだが、やはり入ったことはなかった。そのうちに解体されて、片岡氏とは違い、一度も入らずじまいに終わった。

店の左側の坂道だけは、かつてと同じように残っている。どこかに抜けられるかなと思ったら、行き止まりだった。煉瓦の舗装からは、かつてのらんぶるの壁面を思い出すようである。

本当は、こんなふうに警官が大量動員されている時に、用もなく街を歩き回ったり写真を撮ったりするのは考えものである。

そのうちに結構な人数のデモ隊が警察に囲まれながら早稲田通りを進んでやってきた。これが先程来の警備の対象だったようだ。

デモ隊から遠ざかるように、某所で小用。

バスケットをやってそうだと言われた。驚天動地の発言で、私のどこからそんな誤解が生まれるのか。

通り沿いの定食屋で食事を済ませることにした。瓶ビールを1本付けた。外でアルコールを口にするのも久し振りである。もっとも、この頃は家でも飲むことはまずないが。

地下鉄で引き返して帰った。

帰宅したが、まだ夜は早い。しばらくしてから、少し散歩に出た。

いつもの銭湯に。

しかし、久し振りのアルコールの後の散歩と入浴は控えたほうがよかったようだ。長湯せずに早々に失礼した。

少し暖かくなってきたからか、また街中に猫の姿を見かけるようになった。17,183歩。

手と手

今朝は珍しく寝覚めがよかったので、朝の散歩に。

隅田川テラスを白鬚橋まで歩いて戻ってきた。

コンビニで朝飯を買って帰る。洗濯。

昼間抜け出して、灯油を買いに。

途中、水戸街道沿いのガレージでお弁当を売っているのが目に留まった。初めて気がついたけど、前からあの場所で売っていたのかな。

一旦灯油を置きに戻ってから、出直してお弁当を買いに行く。 隣の居酒屋さんで作っているそうだ。何年もこのあたりに住んでいても、まだ行ったことがない店はいくらでもある。

お昼はシャケ弁当。

夕刻、所用。

男性のネイリストは少ないのだそうだ。というのは、女性のお客さんが嫌がるからとか。

美容院では男性の美容師が女性のお客さんを担当することは珍しくないのに、ネイリストはそうではないのかな。そう思って尋ねると、ネイルの際に手と手が触れるからではないか、という。

中には、女性のネイリストの手に触る目的でネイルサロンに来る男性客もいるらしい。おかげでそのサロンは女性専用に変えたのだとか。

まあ、その客は特に清潔感のない男だったそうだが、そこまで行かなくても、他人に髪に触れられることより、手に触れられることのほうに抵抗を感じるというのは面白い。

手が象徴的だという話は時々聞く。人体の他の部位とは違う、際立った象徴性を手は持っているらしい。どこかで、この抵抗感とも繋がるのだろうか。

夜の散歩に。

桜橋で工事をしていた。山谷掘公園も何かいじっているようだ。年度末が近いからか。駆け込みの予算消化はコロナ禍も関係がないようだ。

片手袋に過剰に意味を見出だしてしまうのも、先程の手の象徴性と関わるのかも知れない。

いつもの銭湯に寄って帰る。14,106歩。

絶句

巣ごもり日。ゴミを出してコンビニに朝飯を買いに行く。

昼間抜け出す。たから通りを歩いていたら、近所の知り合いが向こうから自転車に乗ってやってきた。彼に会うのもずいぶん久し振り。京成線のガード下の何とかいう店で飯を済ませた後らしい。銭湯の情報など交換。

昼は二階の食堂の和風ハンバーグ弁当。

夕刻、所用を済ませて夜の散歩に。隅田川テラスから白鬚橋を渡って汐入公園に向かうルート。

銭湯は今夜は省略の気分。帰りは珍しく白鬚橋を墨田区方向に渡って、墨堤通りから地蔵坂通りに入った。

閉店間際のスーパーであれこれ買い込んで帰宅。15,535歩。

国立劇場で今月予定されていた「組踊入門」の公演が中止になった旨メールが来ていた。

そのメールを見て思い出した。先日国立劇場のチケット売場で横柄な客を見た。その客はチケット売場のカウンターで、ぶっきらぼうに「執心鐘入」と一言。係の人は耳慣れない組踊の演目を切り出されて戸惑ったか、しばし絶句。客はいらついた口調で再度「執心鐘入」。結局チケットは買えたようだが、こんな露骨な態度の客も国立劇場に来るんだなと、ある意味感心した。