前から言っているように、ぼくは球団合併や1リーグ制について、決して頭ごなしに反対しているわけではない。反対するよりも何よりも、まず、賛否を冷静に判断するだけの情報が、ぼくのような一ファンには与えられていない。
現行の2リーグ制や球団経営のどこに問題があるのか。問題があるとすれば、どのような解決策が考えられるのか。合併や1リーグ制は、あくまでその解決策のひとつとして検討されるべきであり、決してそれだけが自明な回答であるわけではないだろう。
もっとも、一部の球団オーナーは、そうした議論の経緯が選手やファンに示されていないだけで、われわれの間では問題は既に解決済みだと言いたいのかも知れない。
多くの企業においては、積極的にステークホルダーへの説明責任を果たすべきという考え方が一般的になりつつある、このご時世にである。
まあ、そんなことをこの場で嘆いても仕方がないのだろう。なにしろ、今回のオーナー会議の一方の主役たる球団オーナーが率いる企業グループは、つい先日も総会屋への利益提供事件が明るみになったことで、その閉鎖的で独善的な経営体質が再認識されたばかりだ。
アサヒ・コムの記事で、もう一方の主役、読売の渡辺オーナーの発言が紹介されている。
「『選手会が議論の時間が短すぎるのではと主張しているが』と聞かれると、『100年議論すれば十分だと言うんですか。1年かける必要はない。2カ月あれば十分』。そう答え、『朝日新聞の論調に迎合するような方向に引きずられる必要はひとつもない』と付け加えた」
最後の一文は、これが朝日新聞の記事だからこそ付け加えられているのだろう。
渡辺氏がいうところの朝日新聞の論調がどのようなものか確認することはできなかったが(ソースをご存知ならご教示願いたい)、この問題について朝日が何か論説を出しているのなら、論説には論説をもって反駁することが言論人としてのマナーだろう。
ましてや、この渡辺恒雄という人は、読売新聞の主筆なのである。
それがこんな吐き捨てるような言い方しかできないとは、主筆が聞いて呆れる。
朝日新聞の論調というが、それなら論調があるだけ、朝日は読売よりまだマシだといえる。
もし球団合併が不可避であり、また1リーグ制が日本のプロ野球界にとって有益だというのなら、なぜ読売は、あるいは渡辺恒雄は、自分の筆でそれを訴えないのか。
まがりなりにもペンで飯を食っている者が、自分の言葉で選手やファンを納得させられないでどうするのか。
新聞社としての明確な見解も指針も出さぬまま、いたずらに世論を誘導しておいて、1リーグ制が既成事実化するのを待つというのか。
身内の利益のかかわる問題には口をつぐむというのでは、読売新聞には他の重要問題を論ずる資格はない。
結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ
もう10年以上も前だが、大阪の「売名行為」という劇団の芝居を見に行ったことがある。会場は、確か、新宿のシアタートップスではなかったか。
劇団といっても固定メンバーは3人だけだから、演劇ユニットとでもいうのだろうか。3人というのは、立原啓裕、牧野エミと升毅。あとは公演のたびに関西の他の劇団から助演が入っていたようだ。
別に演劇ファンでもなく、大阪にゆかりもないぼくが、わざわざ彼らの舞台を見に行ったのは、当時よみうりテレビで放送していた「ムイミダス」をTVKだか千葉テレビだかで見ていたからで、ムイミダスには売名行為の3人をはじめ、当時の関西の小劇団の人たちがレギュラーで出演していた。例えば、古田新太や生瀬勝久、山西惇といった人たち。もっとも、生瀬勝久は槍魔栗三助という芸名だったが。
その時、ぼくが見たのは「こどもの一生」という中島らもの脚本による芝居で、どんな内容だったかと言われても、今となってはとてもよかったという印象しか残っていない。この芝居は売名行為としてだけじゃなくて、違うキャストでも上演されているみたいだし、小説にもなっているようだけど、いずれもぼくは知らない。
公演のパンフレットを買ったら、推薦文というのか、何人かのタレントや関係者の文章が掲載されていたのだけど、その中に、シティボーイズの大竹まことも一文を寄せていた。
その、大竹さんの文章がよかった。
昔見た唐十郎やすまけいの舞台の鮮烈な印象と、その頃の芝居仲間や大竹さん自身の今。
そのパンフレットは実家に持っていったので、実物はぼくの手元にはないが、なんだか大竹さんの根っこにある役者の業のようなものを感じながら読んだ記憶がある。
シティボーイズの3人はみんなそうだけれど、例えば大竹さんのことを言うのに、役者って言っていいのか、それとも芸人と言ったほうがいいのか。シティボーイズライブは、あれはお笑いなのか、あるいは芝居なのか。まあ、あえてそれを分ける必要もないのかもしれないけど、どう言葉を選んでよいか躊躇するときがある。
むろん、大竹さんはじめシティボーイズの3人は、劇団の出身である。
が、劇団出身だろうが何だろうが、芸能界で生き残っていこうと思えば、芸人の顔をしてやっていくしかない。
役者と芸人との距離は、ひょっとすると、客のぼくらが思うよりずっと遠いのだろうか。
おそらく、当時の売名行為の3人もそんな立場だったのだろうと思う。まして大阪のタレントは笑いを求められることが多いから、その意味では東京よりも厳しいのかも知れない。
そういう彼らが、性懲りもなく芝居を打つ。始めたらそんな簡単にやめられないぞ、いや、やめたっていいけどね。いくぶん感傷的になってしまった文章に自分で照れるような、そんな言い回しで、彼らを静かに励ましていた。
それから、売名行為は解散したけれど、シティボーイズはずっと続いている。
しばらく前に買ってそのままにしていた、大竹さんの「結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ」を改めて読んで、そんなことをつらつらと思った。
タレント仲間との日常や、若い頃の追憶、芸人の死、そんな折々の大竹さんの心の揺れが伝わってくる。
大竹さんの文章はいい。いいのは分かっているから、あんまりそれを見せちゃうと、芸人としてはダメ芸人になっちゃいそうだから、欲を出してエッセイ集を次々出したりしないで、10年に一度くらい、ふと、文章のよさを気づかせてくれるくらいがいいです。
その間は、料理本みたいなタレント本でお茶を濁すくらいでいいですから。
今こそスポーツ紙は社説で争え
きのうの大阪ドームはすごかったらしいですね。
バファローズのファンサイトを見ると、きのう7月4日を「バファローズ革命記念日」だとか「独立記念日」と言っている人もいる。
今後、事態がどう推移するかはともかく、きのうが日本のプロ野球史から見て特筆すべき一日となったことは確かなようだ。
さて、昨日、駅の売店でスポーツ報知の一面を見て唖然とした。
「ダイエーロッテ合併加速」という見出しの記事で、ダイエー球団の中内正オーナーが球団合併や球界再編について触れた発言が伝えられている。
が、この中内オーナーの発言をダイエーとロッテ両球団の「合併加速」と解釈して、わざわざ一面トップで取り上げているのは、報知だけなのである。
他の多くの媒体では、中内さんの発言は、近鉄・オリックス両球団の合併が7月7日のオーナー会議で決まる見通しであり、来季を2リーグ制と1リーグ制のどちらで行うかは9月のオーナー会議で決めたい意向であるということを小さな扱いで伝えているだけだ。
確かに一連の発言で、中内さんは球団の合併についても触れているけれど、いくつかの報道を調べてみたが、あくまで一般論として述べているだけのようにしか読めない。ここでは、毎日新聞と日刊スポーツの例を挙げておく。
だからこれも書き方なのだが、日曜日の報知のように、「ロッテ・重光武雄オーナー(81)が合併に前向きな姿勢を見せていることに『ぼくにもそういう考えはある』と発言」などと書くと、いかにも中内さんがダイエーとロッテ両球団の合併に前向きであるかのように伝わってしまうではないか。
いや、中内さんの真意は知りませんよ。もしかしたら本当に合併推進論者なのかもしれないし。それに、中内さんの発言自体、こういう微妙な時期に慎重さに欠けていたと言わなければいけないけどね。
しかし、あの程度の発言を煽って煽って合併話に結びつけようという報知もどうなのか。
こうしてみていくと、報知だけがフライング報道しているように見えて仕方ないのだが。
もうこれはセンセーショナリズムとかそういうのを越えて、一定の方向に読者を誘導しようとしているのではないかと首をかしげずにいられない。
百歩譲って、そういう偏向報道があっても許そう。
問題は、いうまでもなく、報知新聞も読売新聞も、読売ジャイアンツと同じグループ企業に属していることである。
今回の球団合併や球界再編に関して、読売グループが、グループの媒体を動員して、自社に有利なように、特定の方向に世論を誘導していくことだって、やろうと思えばできるのに違いない。
今回の報知の記事を見ていると、そう疑いをかけたくなるくらいにバイアスを感じるのだけど、どうだろうか。
むろん読売系の媒体すべてが偏向しているというわけではない。こういうバランスの取れた記事を目にすることもできる。
が、これはあくまで一記者の見解に留まるものだろう。
この際、読売新聞でもスポーツ報知でもいい、今回の近鉄・オリックス両球団の合併問題から、今後の球界のあるべき姿などについて、一度、読売グループとしての立場を明確に表明すべきなのではないか。
仮に、読売グループとして、明確に1リーグ制を支持し、推進していくというのなら、今後、読売本紙や報知紙上で1リーグ制を煽るような記事を見ても、そういう前提で見ていくことにする。
これは読売だけの問題ではない。セ・リーグには、中日、横浜、ヤクルトと、メディア系の資本が入った球団が多い。
いったい各球団の母体メディアが、将来の球界についてどのような展望を持ち、どういうスタンスで今回の合併問題や球界再編を報道していくのか、利害関係者であるマスコミ各社がそれぞれの見解を明らかにし、そこに意見の相違があれば、公の場で議論を戦わせるべきだ。
また、歴史的にパ・リーグ成立に関係の深い毎日にも見解を示してほしい。
今年の3月から4月にかけて、朝日新聞と産経新聞の社説上で、東京都教育委員会が都立高校の卒業式で君が代を起立斉唱しなかった教師を処分した問題をめぐって論争が交わされたことがあった。
一般紙には社説という欄があって、国旗国歌の問題や、例えば北朝鮮やイラク問題のような重要な問題については、各々の新聞は自らの報道機関としてのスタンスを明らかにする。
各紙の社説はインターネットでも読むことができるから、それぞれの見解の違いを簡単に読み比べることができる。
スポーツ紙にはどういうわけか社説の欄はないが、今こそ、各紙は自らの旗幟を鮮明にすべき時だと考える。
2月生まれ
しかし昨日は和田君はどうしちゃったんですか。
ゆうべは外に出ていてプロ野球ニュースも見てないので、様子がわからないんだけど。
ホークス打線もクデソンを打てなかったみたいだし。
このところ連勝できないのが少し気になるところです。
さて、きのうの対戦相手のブルーウェーブといえば谷選手ですが、という強引な展開に持っていきますが、2、3日前、J-WAVEのロハスモーニングを聞いていたら、6時前の占いのコーナーで、谷佳知・亮子夫妻の今後を占うという、実におせっかいな企画をやっていた。
まあ谷とソフティー(谷亮子の愛称)がどうなろうと知ったことじゃないですが、番組を聴いていて、ふーんと思ったのは、谷の生年月日って1973年2月9日、ようするに私の生年月日とちょうど1年違いなんですな。
で、これは前にもここで書いたけど、このロハスモーニングのナビゲーターの鳥越さやか氏の生年月日が1972年2月8日で、これまたちょうど私と1日違いなのです。
(これでぼくの生年月日がわかるね)
おお、なんだか微妙にずれているなあと朝から感心していたのです。
まーどうってことのない話ですが。
しかし有名人のだれだれと同じ誕生日ってことで、へぇーと思ったり、人にドーダ!っていう心理って、いったい何なんでしょうね。
言ってみれば、その有名人とお前がおんなじ誕生日だからって、お前が有名なわけでもエライわけでもなんでもないじゃん、ということでね。
高校野球で同じ出身県のチームを応援したり、あるいはイチローや松井がアメリカで活躍しているのを見て、ドーダ!という感覚とおんなじようなものかな。プチナショナリズムというか。
要するに、自分は全然たいしたことないのに、エライ人と少しでも同一化して、その権威を笠に着ようっていうさもしい根性かな。って、ちょっと身もフタもないかな。
ちなみに私と同じ2月9日生まれの有名人は、
鈴木亜美、知念里奈、安西ひろこ、田中美里。おお結構いるな。
それから、降谷建志、ラモス瑠偉、名高達男、あだち充、伊集院静、広岡達朗。
えっ、愛染恭子もそうなの?
どうでしょう、笠に着れますかね。
正直なところ、谷選手と生年月日がまったく同じというわけじゃなくて、ちょっとホッとしました。
(補足:谷選手に対して悪意があるわけじゃなく、奥さんをからかってるだけなので誤解なきように)
ピエール・ボナール
損保ジャパン東郷青児美術館にピエール・ボナール展を見に行ってきた。
というのも、どういうわけかこれもタダ券が手元にあって。
ま、とあるプレゼントに気まぐれに応募したら当たっちゃったんですね。
だから、ボナールっていってもよく知らないんですが。
ボナールでござーる、とか言っちゃったりなんかしちゃったりして。
ボナールといえば、ナビ派の人ですよ。奥さん。ナビ派。
ナビ派について調べようと思って、googleで「ナビ派」を検索した。
すると、いきなり「リクナビ派遣」というのが出てきて、リクルートのやってる派遣情報サイトになってしまう。
そんなわけで、結局、ボナールやナビ派についてはまったく予習せずに出かけた。
印象的だったのは、まずは色彩でしょうか。
赤とか青とか緑とか、原色に近い色を、ほとんどパステルカラーって言いたいくらいに明るく使っているのに目を見張りました。
例えば、今回のチケットやチラシになんかに使われている作品「庭」。
これなんか、まあ展示室内の照明の関係もあるのかもしれないけど、陽光の中で奔放に葉や枝を伸ばす植物が、まぶしいくらいに明るく描かれている。
ほの暗い展示室の中にこの作品が現れたときは、息を呑みましたよ。
ところが、あらためてチケットやチラシに印刷してあるのを見ると、実物と全然違うのね。
これが本当に同じ絵なんだろうかと信じられないくらい、暗くて、ちょっと気持ち悪いくらいの色に見える。どうしてこんなに違っちゃうんでしょうね。
あと、色彩のことでいうと、これはナビ派の特徴なのかボナールだけなのかは不勉強で知りませんが、割に、空は青、木は緑、っていう感じの配色をしてる作品があるのね。
えーと、印象派は固有色を否定したということですが、ボナールになると、また違ってきてるんでしょうか。
構図としては、この人はジャポニスムにもすごく影響を受けたということですが、確かに、平面的な、言い換えると浮世絵ふうの遠近法みたいな構図がいくつかありました。このへんはあえて言うまでもないんだろうけど。
主題は、部屋の中とか、庭の様子とか、静物とか、裸婦なんかが多かったですね。
あと、ポスターとか家具のデザイン画(これがまた日本風なデザインですね)も手がけているのは興味深かったです。
くだらない話ですが、裸の女の人が黒いブーツ(あるいは靴下?)を履こうとしている絵があったんですが、あれは一体どういう状況なんでしょうか。
全裸の状態からいきなり黒いブーツですよ。仮に靴下だとしてもおかしいでしょう。
普通は、全裸だったらまずパンツを履くんじゃない。
だからこれは、女性の自然なふるまいを観察したっていうより、そういうふうに作家がモデルに指示したんですかね。
「はい、まず洋服脱いでそこに座って」
「全部ですか?」
「全部」
「・・・脱ぎました」
「そしたら、そこにある黒いブーツ履いて」
「はい」
みたいな感じで。いやーなんかヤラシイなー。
すいませんちょっと暴走しました。
「ピエール・ボナール ―彩られた日常」
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/013.html
案の定もう会期は終わっています
近鉄とオリックスの合併に反対する
近鉄球団とオリックス球団の合併問題について、ぼくはこれまで静観していたところがある。
両球団の合併から1リーグ化への流れが、半ば出来レースであるかのようなマスコミの報道や、一部の球団関係者の発言には違和感を覚えたが、球団合併や1リーグ制の是非そのものについては、ぼくがとやかく言うことではないと思っていた。
が、ここに来てその考えを変えた。
今朝のスポニチのサイトを見ると、ライブドアによる近鉄買収の表明に関して、球団の親会社である近畿日本鉄道の山口昌紀社長のコメントが伝えられている。
「その話は聞いている」
「近畿日本鉄道は仁義を通し、信義を重んじる会社だ。小林球団社長がはっきりと断っている話です。オリックスとの話を進めます」
「“30億円でも売却しないということになれば、株主に損害を与える。この話をのまないと株主代表訴訟を起こす”とまで、向こうは言ってきているが、どうぞ起こしてもらって結構」
「球界の大改革を今からやろうとしているんだ。それに逆行する勢力が仕掛けてきたものだろう。近畿日本鉄道をなめるなよ、という思いだ」
なんという思い上がった発言だろうか。
最後の「近畿日本鉄道をなめるなよ」とは、いったい誰に対するセリフなのか。ライブドアに対してか。だとすれば、ライブドアに対してまったく失礼な物言いではないか。
まして、バファローズファンこそが「ファンをなめるなよ」という思いだろう。
この人にとって、球団はあくまで近畿日本鉄道株式会社の私有物にすぎないという考えなのに違いない。
そもそも、近鉄球団が今日の経営破綻(といってよいだろう)に至ったのは、近鉄本社の無策による部分が大きいのではないか。
自分の経営責任を棚に上げて、「球界の大改革を今からやろうとしている」とは笑止だ。
それでいて、「なめるなよ」などと、大企業意識だけは強いと来ている。
何が「仁義を通し、信義を重んじる」だ。今回の合併話だって、一方の当事者であるオリックスの宮内オーナーが、契約には相手があることだからと、正式な発表があるまで一貫して慎重な発言を繰り返していたのに、マスコミに情報をリークして合併の既成事実化をはかろうとしていたのは近鉄側ではないか。
近畿日本鉄道単独で球団を経営する力がなく、また球団買収に手を挙げる企業がないのなら、次善の策として合併も仕方ないかと思っていたが、買いたいというところがあるのなら、そこに売ってやればいいじゃないか。
ここに、ぼくは以下のように表明する。
近鉄球団とオリックス球団の合併に反対する。球団経営を行う意欲も能力も欠如した近鉄本社に、一部とはいえ新球団の経営権を持たせてはいけない。
近鉄球団買収にあえて名乗りを上げたライブドアに敬意を表する。そして、他にも若くて意欲的な企業や個人が球団経営に参入することを期待する。
オランピア
最近、朝5時前に目が覚めることが多い。今朝もそうだ。
こう書くと、余程の早起きかと思われそうだが、何のことはない、単に眠りが浅いだけだ。
ゆうべ、一度床についてからまた起き出したりして、結局寝たのは1時くらいだったのではないかと思うけれど、夜中に目を覚まして、時計を見たら3時だった。
それから寝直して、目が覚めると5時過ぎである。
いったん部屋の明かりやラジオのスイッチを入れて、それでもやはり眠いのでもう一度横になり、そうして6時半過ぎになって、ようやく本格的に起き出した。
要するに、1、2時間くらいおきに目を覚ましているということになる。
これが、例えば前の日に昼寝をしていたとか、お酒を飲んで寝たとかいうのだったら、不規則な眠りでも自分で納得するのだが、ゆうべは特にそういうこともない。いや、そういう日も確かにあるのだが、それにしても、最近、こんなふうに眠りの浅いことが度々ある。
それでも、頭の中がすっきりしてればいいのだけど、そうもいかない。
眠れなくて、仕事中にあくびしてばかり。
といって、これは恋ではない。
さ、こんなところで今日の弱音は終わり。
この場で、いろいろと美術展などに行ってきた話をちょくちょく書いているけれど、別にぼくは、大学で美術史の授業をとっていたわけではない。ていうか法学部だったし。
高校で美術を選択していたわけでもない。
単なるアマチュアの美術ファンが、好き勝手に思ったことを書いているだけです。ま、読めば分かると思うけど。
意識して美術館やギャラリーに行くようになったのは、せいぜい大学の終わり頃からか。
それも、学校を出て就職してからは、めっきりペースが落ちてしまった。
ぼくはもともと、コンピュータを使った映像作品やインスタレーションには興味があった。
だから、そういうのは割によく見ているほうかも知れないけど、そんな脇道から入ってしまったもので、美術についてかなり偏った見方や知識しかない。
近現代の作品はなんとなく分かるような気もするが、それこそ印象派より前の時代になると、まず見る機会がなかったし、積極的に見ようという気も起きなかった。
それが、最近になって、一回、ちゃんと美術史を勉強してみようと思い立った。
むろん、ひとことで美術史といっても膨大なものだから、実際にはその一部をかじる程度のことである。
が、とにかくも西洋美術史のテキストを一冊買ってきて、時代時代におけるトピック的な作品やその背後の思想について、少しずつ読み進めている。
すると、今まで見過ごしていたことに、気づかされることも多い。
例えば、比較的新しい時代だが、19世紀美術におけるマネの革新性について。
マネは「草上の昼食」そして「オランピア」で女性の裸体を描いているけれど、それまでの裸体画のように女神でも異国の情景でもなんでもなく、当時のパリのごく普通の女性が、ごく普通の女性として、服を脱いで体を横たえている姿を描いて、大スキャンダルになった。
実際に、マネはパリを歩いている若い女性に声をかけてモデルになってもらったらしい。
ということはだ。
マネは、ナンパ写真とか、素人モノのAVとか、あなたのオッパイ見せてくださいとかの先駆者だったということか!
いや冗談ではなく、その頃から、脱ぐ人と脱がない人というか、素人と玄人の境界がアイマイになってきたのではなかろうか。
ネクスト:メディア・アートの新世代 その2
もう会期は終わっちゃったけど、ICCの「ネクスト:メディア・アートの新世代」展の覚え書きの続きをしておく。
なぜマメに覚え書きをしておくかっていうと、書いとかないとすぐ忘れちゃうからです。
中居伊織さん。タブレットに六本木やICCのある初台の地図が彫ってあって、そこをペンでなぞると、ヘッドホンからその場所のサウンドスケープが流れる。だから、通りに沿ってペンを動かすと、頭の中にその町を移動しているみたいな音像が広がるのね。言い換えると、音で書いた地図みたいな感じじゃない。いわゆる普通の地図が、その町の、ある時点の視覚を固定したものだとしたら、これはある時点の聴覚を固定したものといえるのでは。今は、普通の地図だってどんどん古くなって使えなくなるしね。
山本努武さん。机の上にペットボトルのエビアンがたくさん並べてあって、観客はそれを勝手に並べ替えて好きな形を作ることができる。で、正面に置かれたスクリーンでもその机の周囲が映し出されているんだけど、時間がズレてるのね。ほかの誰かがエビアンを並べ替えている映像が映っている。その中に一瞬、リアルタイムの自分の姿も重なるんだけど。後から来る誰かが、今度はぼくの映像の中に自分の姿が重なるのを見るんだろう。
橋本典久さん。なんていうんでしょうか、ICCのギャラリーA の360度全方位を一枚の円形の写真に合成している。地図の正距方位図法と同じようなやり方なのかな。よくわからない。で、ICCのロビーに出ると、テーブルの上に地球儀くらいの大きさの球体が置いてあって、それはロビーの中の全方位を表面に写した球体なのね。手に取ると、ある意味、全世界を閉じ込めた球体を手にしているよう。昔、赤瀬川原平さんが、カニ缶のラベルをはがして缶の内側に張り替えたのを思い出した。そういう反転しているような感覚。
るさんちまんという人たち。最初は、よく分かんなかったんです。白い壁の部屋の中に、100円ショップで売ってる品物でジオラマみたいに作ってあって、それだけのことかと思った。ところが、その部屋の様子を、コンピュータでコントロールされてるんだろうけど、自動的に動くビデオカメラが中から撮影していて、カメラが切り替わったり、パンしたり、エフェクトがかかったりという映像が、部屋の外側の壁面に投影されている。その部屋全体が、100円ショップの商品を材料に、自動的に映画を生成する装置ということなんだね。そう考えると、面白いと思った。
抜けている人もいますが、これでおしまいにします。
ICC Online
http://www.ntticc.or.jp/Schedule/2004/n_ext/index_j.html
今朝の新聞から
あーあ土日はタイダに過ごしちゃったな。
ゆうべ、サンデースポーツでも見ようかと思ってテレビをつけたら、まだ始まってないのかシーア派の指導者のドキュメントなどをやっていた。
横になってなんとなく見ていると、さっき飲んだビールのおかげで、だんだんウトウトとしてきてしまい、気がついたら12時近い。
が、この時間でもまだサンデースポーツをやってるの? 特番か何かで押したのか。
ともあれ、きのうはせっかくホークスが快勝したのに、スポーツニュースで確かめることができませんでした。
しかたなく又寝したおかげで、今朝は5時前に目が覚めてしまい、ロハス・モーニングが始まるのを起きて待ってしまう。
こんなに早く起きているのに、うちを出るのはいつもと同じ、というより、むしろ遅いくらいになってしまうのは何故なんでしょうか。
さて、ホークスがらみということで、今朝の新聞から気になった記事を拾ってみましょう。
日刊スポーツ九州のサイトを見ると、こんな記事が出ている。
王さん「早く決めて!」球界再編問題に苦言
(・・・)もちろんオリックス、近鉄の合併問題に絡む保有選手の配分、余剰選手の受け入れについても、クギを差すことも忘れなかった。
王監督 オリックスと近鉄が出した案はスンナリいかないだろう。例えばウチと巨人が合併したら(チームは)強くなる。強くするために合併するのは許されない。
あくまで経営難に陥った球団の「救済措置」なら容認できても、結果的に戦力強化につながる合併には反対の姿勢を見せた。
この王さんの発言が、読売新聞のサイトではこのように掲載されている。
球団統合問題、各球団の思惑もそれぞれ
(・・・)一方、ダイエーの王監督もこの日、「2リーグ制にするのか、1リーグ制か、早く決めてほしい。もたもたしていたら、『野球界は何をしているんだ』と言われる」と語った。統合に伴う選手保有の問題についても「(有力選手をすべて保有して)強くなるような統合は許されない。巨人とダイエーが一緒になったら、絶対強いチームになる」と自らの考えを述べた。
なーんだか読売の記事だと、一見、王さんが、巨人とダイエーが合併したら絶対強くなるから、本当はそれを望んでいるんだけど、許されないからしょうがないみたいなニュアンスに取れない?
ぼくの見方がひねくれてるのかな?
日刊スポーツの書き方だと、別に抵抗なく読めるんだけど。
ちょっと前の日刊ゲンダイで(まあゲンダイだからあんまり鵜呑みにしても仕方ないんだけど)ナベツネが巨人がダイエーの吸収をたくらんでるみたいな記事が出てたから、ちょっと神経質になってるのかもしれないけどさ。
しらすを見習え
大体、うっかりしていることが多い。
前に「再考:近代日本の絵画」という企画展を見に木場の都現美に行った話を書いた。
この展覧会は上野の芸大美術館と共催なので、折を見てそっちにも行こうと思っていたのだけど、先週で会期が終わっていることに、きのう指摘されるまで全然気がつかなかった。
どういうわけか6月27日までの開催だと思い込んでいたのだ。
しかもせっかくタダ券があったのに。
話は変りますが、最近何度か、きゅうりとわかめの酢のものを作って酒のつまみにしてるんですが、スーパーに置いてあったレシピ集を見ると、そこにしらすが入ってたんですね。
ああそれもいいなあと思って、早速しらすのパックを買ってきた。
ところがそれから、ちょっと調子が悪くなったりして、あんまり自炊する気がなくなって、しばらく冷蔵庫の中に入れっぱなしにしてたんです。
ふと気づくと、賞味期限を2、3日ほど過ぎてしまったから、しょうがない、捨てちゃおうと思ったんだけど、見ると、なんだかあんまり悪くなってないような感じなのね。
それで、しっかりめに湯通しして、酢のものに入れたら、別に問題なく食べられたという。
だから美術展も、しらすを見習って、もうちょっと会期に融通をきかせてくれませんかね。