前夜しっかり歩いたから、朝の散歩はいいでしょう。ゆっくり寝て、空き缶を出し、朝は適当に済ます。
昼前に外出。財布を忘れたことに気づいて出戻り。辛うじて駅に着く前だったので影響は軽微。
銀座に。
森岡書店に、立花文穂さんによる写真集『傘下』の出版記念展を見に。
原爆死没者名簿に死没者の名前を記帳する人の存在に思いを致したことがなかった。というより、死没者名簿というものがあるらしいということくらいは、ニュースなどで耳に入ってきていただろうが、それをモノとして、どこまで意識できていただろうか?
立花文穂氏のご実家は広島で製本業を営んでいて、ご亡父は原爆死没者名簿の製本にも携わっていたという。ここでもまた、モノとしての名簿が、それを綴じる手のイメージとともに浮かび上がる。立花氏のご亡父の名前もまた、数年前に名簿に記されたのだという。
例えば私がほとんど意識していなかった、原爆死没者名簿のことも、広島の人にとっては、もっと身近で、痛切なものとして捉えられているのだろうか。そんな認識の距離は私たちのまわりのあちこちにあるのだろう。
その後、銀座の画廊を冷やかす。「新世代への視点2020」という企画をこの界隈の八つの画廊が共同で開催していて、先週からの行き掛かり上、すべてを覗くことになった。
私のような一見の客にも懇切に対応してくれるところもあれば、放りっぱなしというところもある。作家本人が在廊していて説明してくれたところもあったが、海外作家が現下のコロナ禍のため来日できなくなったという話も聞いた。
両国に。
アートトレイスギャラリーで木曜日から始まった展示のアーティストトークがあるということだったが、無観客配信に変更になったという。ネットには情報が上がっていたらしいが、見逃していた。
そこで予定を変更し、錦糸町まで歩いて、楽天地スパに向かう。というか、もともとアーティストトークの後はサウナというつもりだったので、むしろ早くサウナに入れて有難いと考えることにする。
ところで、サウナで喋る客のことは、これまでも何度か書いてきたが、今日になって、彼らについて思い違いをしていたことに気づいた。
彼らは必ずしもマナーやモラルが欠けているから喋るわけじゃない。サウナに複数で連れだって来ているから喋るのである。逆に、サウナにひとりで来て喋っている客はまず見ない(ごくまれには見る)。
私だって、隣に仲間がいれば喋りたいと思うだろう。ただ、誰かとつるんでサウナに行こうなどとは思わないだけである。
そう考えると、事はサウナに限らない。飲食店が営業時間の短縮を迫られているようだが、もし客同士の会話が問題だというなら、複数客を断って、ひとり客だけを受け入れるようにすればいい。
ひとり客がひとりで黙って飲み食いしている分には、夜中の1時だろうが2時だろうが、関係なく店を開けていいのではないか。
散歩らしい散歩はしなかったつもりだが、案外捗った。12,742歩。