大厄災

遅く起きてから洗濯二回。朝は焼きそば。有り合わせの野菜を炒めて家にあった小型のUFOを投入。昼はミニトマトに静岡で買ったオリーブ油漬けのツナ缶を合わせて。

午後から外出。用賀に。プロムナードを歩けば多少涼しいかと思ったけど大差ない。もっと緑が濃いかと思っていた。水路に水を流せば涼しげでいいのに。

砧公園の中に入ると木陰があって暑さも幾分和らぐ。しかし家族連れの人たちが多い。

世田谷美術館に来たのもムナーリ展以来か。しばらく間があいた。

入口で入念にコロナ対応をやっている。ひとりひとりの検温と手指の消毒に加えて、氏名と連絡先を紙に書かされたのは、美術館では私は初めて。

「作品のない展示室」という企画をやっている。コロナ禍の影響で本館の一階展示室が空いてしまったことを逆手に取って、美術館の建築やその周囲の環境に目を向けてもらおうというもの。併せて、1986年の開館以来、この建物の中で行われてきた、演奏やダンスなどのパフォーマンスを回顧する小展示もあった。こちらのほうは、私自身居合わせたイベントの記録もいくつかあって懐かしい。

ところで、本展の挨拶文の冒頭に掲げられた「私たちは、これまで経験したことのない大厄災の時を迎えています」という一文は、やや大げさなように思えた(併記の英文ではこの「大厄災」の訳語は「catastrophe」とあった)。というのも、このようなパンデミックが少なくとも百年単位で繰り返されてきたことを、私たちはすでに知っているから。

ただし、この主語の「私たち」は、この世田谷美術館、あるいはもう少し広く、日本の公立美術館のことを指すというなら、そうなのだろうなとも思う。

美術館が直面している現下の苦境を敢えてさらけ出すという、自虐的と見えなくもない趣向は興味深いが、それによって、日本の公立美術館における企画展の比重の大きさも再認識させられたからだ。

二階展示室のコレクション展を見て、その思いが強まった。この展示では、最近6年間で本館に新たに収蔵された作品を、その制作や所有にまつわるエピソードとともに紹介している。

日頃、美術展を見て、展示作品ひとつひとつの由緒伝来に思いを致すことは少ない。歴史の浅い近現代美術の展示では特にそうだろうし、またそのような見方が適当なのかも分からない。が、美術館の本旨が美術品の収集と保管、研究にあるなら、このような一見地味な展示こそ重要なはずだ。そんなことを一階の空っぽな展示室と対比させながら思った。

用賀から電車に乗ってそのまま曳舟に。何度か途中下車しようか迷いつつ、立ち上がるタイミングを逸した。コーヒーを飲みたくなって、ヨーカドーのドトールで休憩。

帰宅してから、遅くなったけど、夜の散歩がてら銭湯に。この時間になっても暑さが濃厚に残っている。いつもよりしっかり目に水風呂で身体を冷やす。

帰り道を歩いているうちに日付が変わった。17,754歩。