楽日

しゃきっと早起きして午前のうちに出ようと思っていたのに、結局昼過ぎになってしまう。

迷ったが近所を歩くことにした。曳舟川通りから明治通りに入る。

居酒屋の休業の張り紙が目に付く。夜8時までしか営業できないのなら、いっそ店を閉めてしまおうということか。10時と8時ではずいぶん違うんだなと思う。居酒屋ではないが、向島百花園まで休園している。

白鬚橋を渡る。川面の光が眩しい。

玉姫稲荷神社に。どこからか猫の鳴き声が聞こえる。

近づくと逃げるそぶりをするわりに、私の前でごろりと横になった。

土手通りを越えて、千束通りに入る。馴染みの銭湯は営業時間前だが、もう待っている人がいる。

少々時間をつぶしたい。ふと思い立って、吉原弁財天の向かいの喫茶店に入った。

この喫茶店には、ずいぶん前に一度だけ入ったことがある。もう三、四年は経っているだろうか。ここのママは、かつてこの店の近くにあった小料理屋で働いていたことがあって、古今亭志ん朝師といった噺家連中もその小料理屋の常連客だったという話は、前回来た時に聞いた。

お客は私だけ。数年前に一度来たきりだから、私のことを覚えている様子はなかったが、世間話をしているうちに、落語の話題になった。

柳家小三治さんとママが一緒に写っている写真や、金原亭馬生師一座の鹿芝居の後の集合写真を見せてくれた。後者の写真で、白塗りの噺家たちに化粧を施したのはママだったとか。坂東三津五郎丈の姿も見える。

毎年二月の国立演芸場では、馬生師の鹿芝居が恒例になっている。私も二、三度見に行ったことがあるが、実は、前回この店を訪れた時に、鹿芝居の面白さをママから聞かされたのがきっかけで見るようになったのだ。ところが、今年は例の事態のため鹿芝居は上演されず残念。

テレビでは新規感染者数の速報。コロナで開店休業よ、と笑うママを後に、店を出た。

浅草演芸ホール、正月初席の楽日。第四部から入ろうと思っていたが、第三部との入れ替えは行っていないというので、第三部の途中から入れてもらうことにした。ちょうど16時。高座では鈴々舎馬風師が元気な姿を見せていた。

落語 鈴々舎馬風
二世噺家の人物月旦。正蔵師の息子のたま平さんと、最近楽屋入りした、たい平師の息子のさく平さんは異母兄弟らしい(違います)。
漫才 ホンキ-トンク
落語 古今亭文菊
いやらしいお坊さん。いわし売りの魚屋と、ふるい屋の小噺。
落語 古今亭志ん彌
「浮世床」の将棋のくだり。
漫談 林家ペー
ぺーさんひとりでギター漫談。東洋のラスベガスこと赤羽。エレファントカシマシ娘。
落語 春風亭一之輔
東武野田線ディスり。「看板のピン」。
落語 林家しん平
狛犬?の被り物を被って客に柏手を打たせる。
浮世節 立花家橘之助
早弾きに前座が叩く太鼓が合わなくなるが、合わないように叩くのも芸か。
落語 三部主任 林家正蔵
関節炎で膝が痛いと言って「あいびき」を使っていた。昨日の鈴本では使ってなかったと思うけど。「新聞記事」。

休憩時間に売店で「東羊羹」というのを買った。すなわち、東洋館の羊羹。本来東洋館だけで販売しているものを、正月に限って演芸ホールでも売っているのだそうだ。中身は井村屋の羊羹。外箱の裏はおみくじになっていた。

落語 入船亭扇蔵
落語 柳家小三太
落語 柳家〆治
漫才 すず風にゃん子・金魚
落語 入船亭扇好
落語 柳家喬太郎
「農耕接触」。
寿獅子 太神楽社中
落語 林家たい平
こん平師の思い出話。
落語 金原亭馬遊
たい平師が終わった後で帰る客をぼやいていたら、着替えの途中のたい平師が高座に出てきて馬遊師をなだめる。二人はたい平師が少し先輩だが同時期に前座修行を勤めた仲とか。
ものまね 江戸家小猫
フクロテナガザル。
落語 柳家福治
「司」と「同」
紙切り 林家正楽
「羽根つき」から、リクエストに応えて「鬼滅の刃」。
落語 柳家三三
「道具屋」。サゲは正蔵師いじり。
落語 金原亭伯楽
「猫の皿」。枯淡。
漫才 笑組
ネタは演らず、南京玉すだれ。
落語 金原亭馬の助
ネタは演らず、百面相という昔ながらの寄席芸を見せる。初席は、顔見世の興行だから、短い持ち時間でかわるがわる演者が現れて、少々慌ただしい。ただ、長い噺が聞けない分、短い時間でできる余芸が見られるのは楽しみでもある。
漫談 東京二
ネタは演らず、ハーモニカと歌唱で「ベサメ・ムーチョ」。比較的若い客席(年寄りはコロナを恐れて来ないのか)は反応薄。私もイントロだけでは曲名は出ない。
落語 柳家小さん
落語 初音家左橋
「葛根湯医者」から、シュウマイが蓋に貼りつく噺。
ジャグリング ストレ-ト松浦
舞台に七本棒を立てて皿回し。もう一本自分の手で持って、計八枚の皿を同時に回す。
落語 桂文生
落語 三遊亭吉窓
「狸の札」。
漫才 ニックス
落語 月の家小圓鏡
落語 五街道雲助
「勘定板」。
落語 蜃気楼龍玉
「蔵前駕篭」。
落語 柳家権太楼
夫婦がゴルフの趣味を持つ話。
マジック ダーク広和
シカゴの四つ玉。
落語 柳家小傳枝
「牛ほめ」。
落語 柳家喬志郎
「きつねつき」。
落語 柳家花緑
「あたま山」。
粋曲 柳家小菊
落語 四部主任 柳家さん喬
「妾馬」。

さん喬さんは袴を着けて現れた。ということは、これから口演する噺にはお侍が出てくる、ということを、実はつい最近まで知らなかった。本式の落語好きからは笑われるだろうが。

年始にYouTubeの米朝チャンネルで、米紫・吉の丞の㊙ワールドニュースを見ていると、桂歌之助さんのことを、袴の着かたが分からない、といってネタにしていた。その中で、例えば「佐々木裁き」のような演目を口演する時は袴を着ける、ということを二人が話しているのを聞いて、そうか、と膝を叩いた。なるほど、噺家が高座で袴を着ける着けないは演目で決まるのか。長年落語を聞いていても知らないことはたくさんあるものだ。

終演時刻は忘れた。幕の向こう側から三本締めをする声が聞こえた。

千束通りまで戻って、馴染みの銭湯に。

通り沿いの家の硝子戸の中に猫がいる。目を丸くしてこちらを見た。

16,001歩。

初席

8時に起き出して、古新聞、段ボールと空き缶を出す。

コロナ以後に新聞を取るようになったが、油断すると新聞紙はすぐに溜まる。面白そうな記事があっても、後から読み返すことはまずないのだから、理想はその日の新聞はその日のうちに捨てることだ。そうはわかっているのだが、後から読もうとか、後から切り抜こうとか思っているうちに、古新聞が積み上がっていくことになる。

だらだらしていたら家を出るのが遅くなった。上野まで歩いてもいいかなと思っていたが、それどころではない。曳舟から東武線で浅草、乗り換えて銀座線で上野広小路に。

鈴本演芸場の正月初席、11時からの第一部に辛うじて間に合った。今日の入場券は当日売りだけなので、10時半の開場前に行列ができているんじゃないかと思っていたが、思いの外、空席が残っているようである。

場内に入ると、空席が残っているどころか、開演の11時の時点で客席に座っていたのは、ざっと10名程度ではなかったか。鈴本の正月の興行でこれほど客入りが薄いのは、やはり異例なようで、何人かの演者がそのことに触れていた。さすが緊急事態である。

松づくし 三遊亭歌る多一門

歌る多さんと美るくさんの師弟による寄席の踊り。両手と足の指も使って、扇子で松の形を見せる。

落語 柳亭左龍「つる」

落語 三遊亭歌武蔵

北の富士さんの相撲解説。

音曲漫才 おしどり

このコンビは、私は初めて見たように思う。客が少ないのをいいことに、針金細工の撫で牛をいただいた。

落語 桂文楽

先代桂文楽家の年越しから新年の風景の思い出話。当代文楽師は昭和32年に先代文楽師に入門。大晦日は師弟が一緒に紅白歌合戦をテレビで見、元旦には総勢100名余りの一門弟子がわずか9.8坪の文楽家に挨拶に訪れたという。そんな情景が鈴本から程近い黒門町で繰り広げられていたのかと思うと、興趣深い。

落語 春風亭勢朝

漫才 ロケット団

三浦師の真っ赤なスーツが目に残る。

落語 古今亭志ん陽

「酒の粕」からの「他行」。

落語 三遊亭若圓歌

歴代の日本ダービーの優勝馬、総理大臣、高校野球の優勝校等を諳んじる。

奇術 マギー隆司

ハンカチのマジック。

落語 林家正蔵「鼓ヶ滝」

仲入り

紙切り 林家楽一

まず「羽根突き」。客が少ないのでなかなかリクエストの声が上がらない。干支にちなんで「闘牛」。ようやくリクエストに応えて「七福神」。宝船に乗る七福神。

落語 春風亭一之輔「ふぐ鍋」

番組表では一之輔師の前の出番は三遊亭金翁師だが、金翁師は「体調次第での出演」と注記されている。今日は金翁師の出演はなし、ということは、よほど金翁師の体調は悪いのかとお客は思うかも知れない。実際にはそんなことはないらしいのだが、番組の出演順から、一之輔師が金翁師の欠席の理由を説明する役回りになってしまっているのだとか。ちなみに、今日までに当席で金翁師が出演したのは、初日と5日目だけらしい。

浮世節 立花家橘之助

落語 柳亭市馬「かつぎや」

元旦の商家を舞台にした噺。正月二日の夜に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を敷いて寝ると、いい初夢を見るという習慣がこの噺の下敷きになっているわけだが、改めて江戸の庶民にとって七福神信仰が馴染み深いものであったことを思う。

私的には、水曜の夜に浅草七福神の社寺を回ったところであり、今日の楽一さんの紙切りでも七福神が出てきたので、「かつぎや」の主人のように縁起をかつぐわけではないが、この符合は嬉しい。そういえば鈴本演芸場の隣は福神漬の酒悦だった。

アメ横入口のじゅらくの前を通りがかったら、料理サンプルのオムハヤシライスに惹かれて昼飯。

その足で稲荷町まで歩いた。時間調整も兼ねて、寿湯に。ここに入るのは初めて。

主に露天風呂と水風呂を往還。まだ早い時間だが、ずいぶんお客が入っている。それなのに水風呂に入っているのが私くらいなのは不思議ではある。露天風呂には大きな柑橘類がごろごろ浮かんでいる。

この寿湯と、根岸の萩の湯、そして向島の薬師湯は三兄弟がそれぞれ経営しているのだとか。銭湯好きには周知なのかも知れないが、私は浴室内の掲示物を見るまで知らなかった。道理で、この三軒の銭湯には通じる雰囲気がある。ただ、私の好みかというと、必ずしもそうではないが。

稲荷町から銀座、有楽町線に乗り換えて、銀座一丁目から豊洲へ。

豊洲シビックセンターホールに。

『アドバンスト・コレオグラフィ vol.2』という催しに来た。副題に「コンピュータによる新しい動きの探求!」とある。

会場配布資料から抜くと、「『アドバンスト・コレオグラフィ』は“動きのサンプリング”によってコンテンポラリーダンスを創作する試みです」とある。情報学の研究者が、ダンスの振付を支援するコンピュータシステムを制作し、そのシステムを使ったパフォーマンスの創作を3人のコンテンポラリーダンスの振付家に委嘱したそうだ。つまり、今日のダンス・パフォーマンスは、研究の一環として行われるものということになる。

vol.2ということはvol.1もあったわけで、私は知らなかったのだが、本趣旨の公演はすでに2017年と2018年にも行われていたとか。

なかなか面白かった。システムを用いた創作のアプローチも三者三様だったと思う。

上演順で一人目の振付家は石渕聡氏(コンドルズのメンバーとか)。コンピュータを創作に使用したということを措いても、ひとつのテーマを持ったダンス作品として成立することを意図した作品だったと思う。そのテーマ自体は特にコンピュータとは関係ないようだったが、ダンサーの動きからは、コンピュータを使用した動きということを振付家がかなり意識して創作されたように伺えた。

二人目の平山素子氏の作品は、ダンサーのカズマ・グレン氏のユニークなキャラクターを前面に立てつつ、ダンサーが実際にこのシステムを体験する状況を舞台上で再現して観客に見せていた。やや楽屋落ち的なところもあったけれど、コンピュータで合成された動きを人間が再現する際の困難な部分やダンサーの感じる困惑までが伝わってきたと思う。

三人目の坂田守氏の作品では、坂田氏本人と岩渕貞太氏がダンサーとして参加していた。最初、二人の身体が重なった状態で現れるのだが、衣装や照明の具合もあってか、まるで二つの肉体が融合した、異形の生物がうごめいているように見えた。その後も、パフォーマンスの中盤あたりまで、二人の身体はどこかで常につながっていた。二人の動きからは、特にコンピュータで合成された動きという印象はなかった。それは、人間とは別の身体性を持った生物の動きと思って見ていたからだろうか。

終演後、豊洲から永田町乗り換え。永田町で数駅乗り過ごしてしまって引き返した。7,270歩。

生き物

冬晴れ。もう少し早起きできれば、朝の散歩が気持ちいいことだろう。せめてゴミ出しついでに近くのコンビニまで。朝飯とコーヒーと漫画ゴラクを買う。

今朝のおはよう一直線の占いで、2月生まれは「動物や魚、植物など生き物からパワーをもらえそうです」ということだったので、とりあえず身近な植物に水をやることにする。

しかし生き物ということは人間も入るのかな。

昼間抜け出して二階の食堂に。新年初。今日の日替わりはナポリタン。

昔ながらのナポリタンを期待して大盛にしてもらったが、やや若向きの味かな。

近所の大きな古い建物を取り壊すらしい。最近は使っている様子はなかったが、前は工場か何かだったのだろうか。

今の家に引っ越してから、今月で10年目になる。古い建物の残る家並みに惹かれたのが、ここに来た理由のひとつだが、思いの外長く住み着いてしまった。やはりその間に街の風景は少しずつ変わってきている。

夕刻、所用の後、緊急事態ではあるが、やむを得ない事情で外出。

事情を片付けた後、銭湯に。

ここの銭湯に来るのは月に一回程度だが、もう少し店の人の愛想がいいといいのだが。どこの馬の骨がやってきたのか、という目で見られている気がする(個人の感想です)。まあしかし、安易に客に媚を売らないのも立派な態度なのだろうと思い直す。

今日は昼間から鼻が少しむずむずする。風邪?アレルギー?それともコロナ?

そういえば晩飯を済ませていなかった。外で食べられる店は開いていないし、コンビニであれこれ買い込んで帰る。9,699歩。

今日限り

朝は持ち帰りサンドイッチ。チーズツナ。この店での買い物は新年初。

昼はラーメンのようなもの。河岸を変えてコーヒー。

夕刻、両国から飯田橋乗り換え。飯田橋駅のホームが以前にも増して片付いていない気がする。東西線で高田馬場に。スタバで時間調整。

用件を済ませる。知らなかった言葉を二つ覚えた。「かんぷら」と「ままどおる」。

高田馬場から山手線に乗車、鶯谷下車。金美館通りから一葉桜・小松橋通りを歩く。馴染みの銭湯は今日はパス。

馴染みの飲み屋に寄る。夜10時まで飲めるのも、当分の間は今日限りか。生ビールで始めて、コールスローのグラタンというのをつまみに、生ハイボールに替えて続ける。

キーマカレーの温玉乗せ、ソースのみをラストオーダーで追加。

再び緊急事態宣言が出されることになって、営業日を水・木・日の週三日だけにするらしい。この三日はランチ営業をする曜日で、そのまま夜まで店を開ける由。8時までの営業だと、夜だけ店を開けても商売にならないのだろう。今度は日曜に昼飲みに来ないといけない。

桜橋を川向こうに渡って帰宅。14,201歩。

七福神

巣ごもり日。洗濯二回。朝はみかんとゆで卵を食べた程度。

昼間抜け出す。二階の食堂に行ったらまだ正月休み中だった。

地蔵坂を墨堤方向に歩いて、とんかつ屋に入った。ここは初めてだと思う。

所用を済ませてから、夜の散歩に。白髭橋を渡って荒川区側に。すぐに隅田川沿いの堤防に上がらず、石浜神社に詣でた。

汐入公園から、水神大橋を渡り、墨田区に入ったところを引き返し点にして、再び隅田川沿いを白髭橋方向に歩く。

明治通りを越えて、台東区側に入った。隅田川テラスに入らず、橋場不動尊に詣でた。

板に描かれているのは七福神だろうか。福絵馬というものかも知れない。

先に詣でた石浜神社も、この橋場不動尊も、浅草七福神に含まれる社寺である。そうだ、せっかく七つのうちの二つに詣でたのだから、新年でもあるし、この足で全部お参りしてみようと思った(実は浅草七福神は七つではなく九つの社寺から成るのだが、それは後から知った)。

というわけで、次は今戸神社に。

続いて待乳山聖天。

本堂にしめかざりを飾っている。お寺なのに御幣が下がっているのは可笑しなようにも思うが、そもそも七福神信仰自体が神仏習合的なのだから、ここは江戸の庶民のように大らかに考えるのがよいのだろう。

浅草七福神のうちではないが、被官稲荷に。小沢昭一さんの『ぼくの浅草案内』には、小沢さんは長年この被官稲荷のお守りを持ち歩いていると書かれている。

被官稲荷は浅草神社のすぐそばにある。

言わずと知れた浅草寺。

国際通りを越えて合羽橋本通りを歩く。人影は少ない。

これも浅草七福神の番外だが、金色の像は「かっぱ河太郎」というらしい。合羽橋道具街誕生90年を記念して平成15年に建立されたとか。

かっぱ橋道具街通りを少し南に歩いて、矢先稲荷に。ここは初めて来た。

不意に声をかけられて驚いた。この時間なのに境内を掃き清めておられる。

道具街通りをしばらく北上、国際通りに入って千束に。続いては鷲神社。

ここにも七福神の絵馬が掛けられている。

ようやく九つ目の社寺。吉原神社。

向こうに見える明かりは吉原のソープランド街。

九つの社寺をめぐるのに、家を出てから結局二時間半余りかかった。よく歩いてさすがにくたびれた。身体も冷え切ったことだし、ひと風呂浴びていこうと思う。あいにく、上記の高級浴場ではなく、馴染みの銭湯に。

この銭湯の今年の入り初めだった。

身体を温めてひと息ついた。川向こうをめがけて再び歩き出す。23,818歩。

フードコート

昨夜は寝床の中で遅くまで寝付かれなかった。

朝はコンビニのサンドイッチ。昼はきつねうどん、ではなく、きつねきしめん。

夕刻、かかりつけ医で月いちの診察の後、調剤薬局に寄って薬をもらう。

バスで錦糸町に。所用。

パルコにテナントで入っているカジュアル服の店の割引券をもらったので、まずはどんな服を扱っている店か偵察。今日のところは買わない。

その後、腹が減ったので1階のフードコートで晩飯。ここのハンバーガーは初めて。

フードコートに閉店時刻の10時まで居座ってしまった。店内の照明が落とされて我に返った。

楽天地スパに60分コースで入館。昨日の込みようとは打って変わって、今夜は空いている。今日が仕事始めだった人が多いということかな。

楽天地スパでは、浴室の入口、トイレのドアなど、館内のあちこちに小さなしめかざりを飾っていた。

地下鉄で帰宅。駅事務室前にしめかざり発見。

9,455歩。

始め

昼過ぎに上野着。

年末に新幹線のeチケットのことを書いたが、ひとつ不便だなと思ったのが、紙の切符が発券されないので、乗車する時、切符に表示される座席番号を目当てにして座席の場所を探せないことである。当たり前ではあるのだが。

これは、購入時に予約内容をメール送信する設定にしておけば、スマホを見ながら座席を探すことができる。が、これがオプション設定になっているので、送信設定を忘れた場合は、えきねっとにログインして購入履歴から予約内容を確認する必要がある。今回は黒部宇奈月温泉駅のホームで慌ててログインして座席を調べることになった。

乗車時にそんなことを思っていたので、上野駅で「eチケット座席票発行機」なるものを見て、なるほどこれは便利だと思った。せっかくペーパーレスになったのに、また切符状のものをプリントするのは本末転倒のような気もするけれど。

上野から銀座線で浅草、東武線に乗り換えて曳舟下車。一旦帰宅。

少し休んでから外出。

しめかざりはまだ玄関に飾ったままでいいのだろうか。出がけに気になって近所を見渡すが、しめかざりを飾った家はほとんど見当たらない。一方、町会で配布された賀詞が書かれた紙(紙門松という言い方があるらしい。調べて初めて知った)を玄関に貼っている家は多い。

そうか、このあたりは、しめかざりを飾る習慣自体がないのかも知れない。富山の家では毎年必ずしめかざりを飾っていたから、てっきり、どの家でも飾るものかと思い込んでいた。

家々の玄関を気にしながら歩いてみると、やはりしめかざりはないか、あってもスーパーで売っているような、あるいはハンドクラフト然としたものばかりで、伝統的な様式と思しきものは少ない。

水戸街道から秋葉神社が見えたので、せっかくなので初詣とする。

通り沿いの料理屋の玄関に立派なしめかざりが見える。そうか、しめかざりをまったく飾らないわけでもないんだ。商売をしている家では飾る習慣があるのかも知れない。

そこで、向島の料亭街を歩いてみると、しめかざりは飾っている場合もあれば、飾っていない場合もある。ただし、どの料亭の玄関にも立派な門松が飾られていた。

とりあえずの結論。東京ではしめかざりを飾る習慣がないわけではないが、必須ではない。一方、門松や松飾りは、特に商家では必ず飾る。町会の紙門松も、その簡易版と考えてよいのではないか。

去年の三軒茶屋の生活工房でのしめかざり展を見た後、富山のしめかざりの形や装飾についてネットで調べていて、実はこれという情報は見当たらなかったのだけど、あるサイトに、富山では門松を飾る習慣がない、という記述があった。言われてみれば、少なくとも一般の民家では門松や松飾りを見た記憶がない。

正月の飾りつけひとつとっても、ある地域で当たり前だと思っていることが、別の地域ではそうではなかったりする。自分の見えている範囲というのは狭いものだと思う。

料亭街に来たついでに、弘福寺に初詣、そして小沢昭一さんのお墓にもお参り。

この足で錦糸町まで歩いた。

楽天地スパに60分コースで入館。今年のサウナ始め。

今日あたりはまだ正月休みのうちという人も多いのだろう。結構混んでいる。ちょうど正時に居合わせたので、ロウリュでも受けていこうかと思ったら、サウナ室が満員で断念。

総武線快速で新橋へ。ちょっと早いが、内幸町ホールに。

誘われて三遊亭竜楽さんの独演会に来た。今年の落語の聞き始め(ラジオは除く)。そして、竜楽さんを聞くのも今回が初めて。伺うと、新年はこの場所での公演が恒例なのだとか。

開口一番 立川幸吾「子ほめ」

芸協所属、談幸門下。今年9月の二ツ目昇進が決まっているという。口跡滑らかだが、滑りが良すぎるのか、活舌にこちらの耳が着いていけないところがあった。時間の制約もあったのかも知れないが、もう少しゆっくり喋るか、緩急があると有難いと思った。

お馴染みの「子ほめ」だが、こちらの耳に新しいフレーズがいくつかあった。私は立川流をあまり聞いていないのだが、あるいは立川流の型なのだろうか。お七夜よりまだ若い、赤ん坊だからおむつやだ、というサゲも初めて聞いたように思う。

竜楽「くしゃみ講釈」

竜楽師が林家小染師から教わったものとか。上方版の「くっしゃみ講釈」は何度か聞いたことがあるが、江戸落語に仕立て直したものは初めて聞いたと思う。上方だと、のぞきからくりの八百屋お七を接ぎ穂にして八百屋での買い物を思い出すことになるが、竜楽版ではのぞきからくりの設定はカット。東京の客には馴染みがないという配慮だろうか。一方、お七の名前が思い出せないために、八百屋のおかみさんが旦那の浮気相手の話と早合点するというアレンジを加えている。

俗曲 檜山うめ吉

うめ吉さんを聞くのも久し振り。お年の話も失礼だろうが、芸歴から拝察するに、もう中堅と言ってもよい域に達しておられると思うけれど、この方の雰囲気は初めて聞いた頃から変わらない。えてして芸歴を重ねた女性の音曲師の方は、すれっからしの姐御キャラになって、客を持ち上げたり落としたりするのが可笑しかったりするが、うめ吉さんはずっと娘キャラを保っている。吉原の唄を唄っているのだから、初心とかカマトトとかいうのとは違うのだろうが、だんだん不思議な境涯に至りつつある。

一旦袖に引っ込んでから、二枚の扇子の縁に鈴をあしらったものを獅子頭に見立てて、獅子の踊り。

竜楽「文七元結」

本寸法の演目をたっぷりと演じた。まくらで、鬼滅の刃の映画を見たという話から、強者が自分の力を自分のために使うのではなく、弱者を助けるために使うということが、江戸ッ子と通じる、という言い方だったかな、そこから文七元結に入ったのは、流行り物だから入れ込んだのだろうが、ちょっと繋がりが悪いように思えた。

これは素人のいち感想だが、吾妻橋上での左官の長兵衛さんの行動は江戸ッ子の美風として普遍化できるものなのだろうか。現代の価値観からみて違和感があるのは当然だが、むしろ違和感のあるまま提示して、それでも噺を聞いている間は、何故かもっともな行動であるかのように聞かされてしまう、というものであるようにも思う。

「くしゃみ講釈」では特にそうだけれど、竜楽さんは、稚気というと失礼かな、相貌の印象とは少し違って、お茶目なところのある方とお見受けした。さらに枯れられたら、「文七元結」も味わいを変えるのだろう。

SL広場は通行人の数よりカメラを抱えた取材者のほうが多いようだ。新橋で一盞の後帰宅。13,416歩。