いなくてもいなくてもいい

午前中指定で荷物が届くので、それまでの間、雨音も静かになったようだし散歩でもするかと一旦外に出てみたけれど、また雨粒が大きくなってきたので引き返す。

土曜日の朝、誰よりも早起きなのは、集積所から空き缶を集めて回るおじさんだなと思う。

有り合わせで昼飯を済ませたら食い過ぎてしまって、ぼんやりしているうちにいい時間。

鈴本演芸場、七月上席夜の部に。鈴本はコロナ後、この席からの営業再開。

開口一番 春風亭いっ休「桃太郎」
父親も息子も立て板に水という感じで気持ちいい。おばあさんが川に洗濯に行くのは海だと石鹸が泡立たないからなのか。この人、調べると京大落研出で、笑福亭たまさんなどの後輩になるらしい。師匠は一之輔師。
落語 橘家文吾「新聞記事」
本日の主任文蔵門下の二ツ目さん。ちょいと片岡愛之助さんみたいな甘いマスクじゃないですか。口を開くと師匠を彷彿とさせる荒くれっぽい感じもある。「新聞記事」は実は五年前から町内で流行っていたネタだったというアレンジ版。
ジャグリング ストレート松浦
中国コマの糸があわや切れそうに。傘に続いてトラ棒(カラーコーン)を踊らせる。皿回し、お手玉。鈴本は天井が高い分芸もダイナミック。
落語 古今亭文菊「粗忽長屋」
この人、こういうキャラだったんだ(エロ坊主?)。
落語 柳家小さん「たいこ腹」
私事ですが先日鍼治療を生まれて初めて受けたところ。腹に鍼を刺す滅茶苦茶ぶりが腹に落ちる。
漫才 ニックス
落語 柳亭市馬「雑俳」
落語 桃月庵白酒「馬の田楽」
白鳥師・喬太郎師の代演だが、代演で白酒さんというのは嬉しい。

紙切り 林家正楽
まず「線香花火」。客の求めに応えて、「競馬」。「小泉八雲『怪談』」は苦しいかと思われたが、文机に向かうハーンと耳なし芳一の場面を一枚に切り抜いて見せる。「蛍狩り」。「七夕」は、コロナ禍で地方の仕事がなくなったとぼやきながら切るのが可笑しい。
落語 柳家権太楼「家見舞」
枕をふらずにスパッと本題に入る。文蔵さんによれば本日権太楼師は少々ご機嫌斜めだったそうだが。「おっかさん、奴にかめの水一杯持ってきてくんねえ」でサゲ。
粋曲 柳家小菊
「並木駒形」、都々逸を二節、「さのさ」、「金来節」等。
落語 橘家文蔵「転宅」
文蔵さんが高座に現れると、客席から「待ってました!」「三代目!」と声がかかる。私も文蔵さんは贔屓の噺家さんのひとり。昔気質の芸人のように無頼なふうでいて、ちらりと見せる都会人らしい繊細さと男の色気に惹かれる。この「転宅」でも、妾宅に入り込んだ泥棒の虚勢と脆さ、片や男勝りに、そして色仕掛けで泥棒をあしらうお妾さんの機転、その実泥棒を恐れていたことが後から分かるのだが、そうした登場人物それぞれがまるで文蔵さんの分身のようだ。

追記:文蔵さんのこのツイートは、投稿時刻からすると、この日私が見た高座のことのようだが、ご当人が言うほど出来がよくないとは、素人のこちらにはわからなかった。ともあれ、こんなふうに一見無防備に弱さを見せてしまうところも、かっこいいぜ。

小さんさんがまくらで、噺家はいてもいなくてもいい、というよりむしろ、いなくてもいなくてもいい商売だ、というようなことを言っていた。この手の卑下は昔から落語のまくらの定番だが、コロナ以降、お上が不要不急な商売を決めるようになって、噺家の卑下も洒落にならなくなるのではないかと思われた。

しかし、やはりまくらで白酒さんが言っていたように、落語という稼業は、江戸時代に成立してから、現代に至るまで、ほとんど形を変えていない。その間、時代の流れの中で、当時は必要不可欠と見えた商売の多くが形を変え、姿を消していったことを思うと、落語のしぶとさは不要不急のしぶとさというべきか。

言い換えれば、落語や寄席演芸は、高座に上がる芸人たちはもちろん、一時の流行り廃りに関係なく寄席に通い続ける客にとっては、むしろ必要不可欠な商売なのだ。おそらく、他にも多くの種類の、一部の人たちにとって必要不可欠という商売があることだろうと思う。

さすがに今日はあんまり歩かなかったな。6,988歩。