ドキュメンタリー

焼きそばは昨日のほうが上手く出来た気がする。洗濯一回。

有楽町に。木彫りの大黒様は前から駅構内にあったようだけど、まったく記憶にない。

よみうりホールの「柳家小三治 夏の会」昼の部に。ホール落語はコロナ後初、というか、落語に限らず、大ホールで何かを見聞きすること自体、コロナ初後。

ご多分に漏れず、検温、手指の消毒に加えて、氏名と連絡先の記録。結構な個人情報だと思うが、もしここでクラスターが発生したら、お前、小三治の落語聞いてたろ!と後から言われるわけだ。まあ小三治さんならいいか。

客席は一席ずつ空けて座ることになるが、二階から見渡すと、特にスカスカとは感じない。そういえば、大ホールというのは六、七割方入っていれば満員に見えるものだと昔どこかで読んだことがある。

柳家小はぜ「富士詣り」

江戸時代には娯楽やレクリエーションのための登山という考えはないから、当時の山登りは、講中が先達に導かれてのお詣りだったわけだ。先達と聞くと、今でも山岳信仰として残っている修験道の山伏を思うが、この噺の講中は、山の神の存在を畏れながらも、当時からすでにレクリエーションの性格があったのだろう、先達との関係も世話に砕けて、どうしても先達さんと言えなくて「へんだつさん」と言ってしまう者もいる。そんな楽しみ半分、畏れ半分の山登りの雰囲気がこの噺から伝わってくる。

柳家三三「金明竹」

小三治門下の高弟である三三師が、正調「金明竹」を通しで、たっぷりと聞かせる。上方言葉の言い立ても淀みなく、自然と客席から拍手が起こる。前半、お客が来たらおじさんを呼べと言いつかりながら、どうしても自分で応対しようとする小僧さんも小僧さんだが、三三さんの言うように、旦那さんのほうも、そんなに小僧さんのことが心配なら、いちいち奥に引っ込まなければいいものを。確かにあれでは間違いを誘発しているようなものだ。

柳家小八「夏どろ」

時節柄なのだろう、この噺を聞くのは、今回の小八さんでこの夏四人目になる。やはり演者によって印象が変わるものだと思う。長屋の一軒に入り込んだ泥棒が、中で寝ていた大工に出くわす。前に聞いた一之輔さんは、この大工を、いかにも世を拗ねた、人を食ったような態度で演じていて、「殺せ」の台詞に泥棒が怯むのもさもありなんと思われたが、今回の小八さんの、気が弱そうな大工の口から「殺せ」の台詞が出るのは、ややしっくりこない感じも受けた。

柳家小三治「小言念仏」

生の高座を見ながら、まるで現在進行形のドキュメンタリーを見ているような感じがしたのは、初めての体験だった。

さあ、どれくらいぶりになるだろう、小三治さんの高座を見るのは。いずれにせよ、私は小三治さんを追っかけているようなマニアックな落語ファンではない。

小三治さんは、自分は台詞を覚えるタイプの噺家にはなれなかったと言う。そして、自身のことを情熱で演じる噺家だと言ったのは、かつて先代小さん師が言ったという「狸は狸の了見で演れ」という態度と通じるのだろうが、もう緻密な台詞の落語は、三三師ら自らの高弟たちに任せたという境地でもあるのか。

コロナ禍で数ヶ月間ほとんど口を動かしていなかったという小三治さんは、思うように台詞が出ない様子で、今回選んだ「小言念仏」についても、いつものやり方とはまったく違うやり方になってしまったと言うが、聞きなれない私にはよく分からない。ただ、「小言念仏」は、なんて融通無碍な、容器みたいな噺なんだろうと思った。木魚の撥代わりに扇子でリズムを刻んで、自由自在に言葉を乗せていく。これはもうラップやヒップホップみたいなものではないか。

私は、文楽、志ん生、円生といった昭和の名人たちには間に合っていない。志ん朝師は、老いを晒す前に亡くなってしまった。ここに至って、初めて、いわば老いる名人の姿を目撃することができるのだと思った。

最後はこれをやろうと決めていたという、舞台上から観客とともに、医療関係者に拍手を贈って幕。

有楽町から地下鉄に乗って東池袋に。タイムズ スパ・レスタで休日の残りを過ごす。

近所の猫が外で涼んでいたので、ちょっかいを出そうとしたらそっぽを向かれてしまった。

ずっと屋内にいた割には捗った。8,749歩。どこでそんなに歩いたかな?

大厄災

遅く起きてから洗濯二回。朝は焼きそば。有り合わせの野菜を炒めて家にあった小型のUFOを投入。昼はミニトマトに静岡で買ったオリーブ油漬けのツナ缶を合わせて。

午後から外出。用賀に。プロムナードを歩けば多少涼しいかと思ったけど大差ない。もっと緑が濃いかと思っていた。水路に水を流せば涼しげでいいのに。

砧公園の中に入ると木陰があって暑さも幾分和らぐ。しかし家族連れの人たちが多い。

世田谷美術館に来たのもムナーリ展以来か。しばらく間があいた。

入口で入念にコロナ対応をやっている。ひとりひとりの検温と手指の消毒に加えて、氏名と連絡先を紙に書かされたのは、美術館では私は初めて。

「作品のない展示室」という企画をやっている。コロナ禍の影響で本館の一階展示室が空いてしまったことを逆手に取って、美術館の建築やその周囲の環境に目を向けてもらおうというもの。併せて、1986年の開館以来、この建物の中で行われてきた、演奏やダンスなどのパフォーマンスを回顧する小展示もあった。こちらのほうは、私自身居合わせたイベントの記録もいくつかあって懐かしい。

ところで、本展の挨拶文の冒頭に掲げられた「私たちは、これまで経験したことのない大厄災の時を迎えています」という一文は、やや大げさなように思えた(併記の英文ではこの「大厄災」の訳語は「catastrophe」とあった)。というのも、このようなパンデミックが少なくとも百年単位で繰り返されてきたことを、私たちはすでに知っているから。

ただし、この主語の「私たち」は、この世田谷美術館、あるいはもう少し広く、日本の公立美術館のことを指すというなら、そうなのだろうなとも思う。

美術館が直面している現下の苦境を敢えてさらけ出すという、自虐的と見えなくもない趣向は興味深いが、それによって、日本の公立美術館における企画展の比重の大きさも再認識させられたからだ。

二階展示室のコレクション展を見て、その思いが強まった。この展示では、最近6年間で本館に新たに収蔵された作品を、その制作や所有にまつわるエピソードとともに紹介している。

日頃、美術展を見て、展示作品ひとつひとつの由緒伝来に思いを致すことは少ない。歴史の浅い近現代美術の展示では特にそうだろうし、またそのような見方が適当なのかも分からない。が、美術館の本旨が美術品の収集と保管、研究にあるなら、このような一見地味な展示こそ重要なはずだ。そんなことを一階の空っぽな展示室と対比させながら思った。

用賀から電車に乗ってそのまま曳舟に。何度か途中下車しようか迷いつつ、立ち上がるタイミングを逸した。コーヒーを飲みたくなって、ヨーカドーのドトールで休憩。

帰宅してから、遅くなったけど、夜の散歩がてら銭湯に。この時間になっても暑さが濃厚に残っている。いつもよりしっかり目に水風呂で身体を冷やす。

帰り道を歩いているうちに日付が変わった。17,754歩。

ひとり

前夜しっかり歩いたから、朝の散歩はいいでしょう。ゆっくり寝て、空き缶を出し、朝は適当に済ます。

昼前に外出。財布を忘れたことに気づいて出戻り。辛うじて駅に着く前だったので影響は軽微。

銀座に。

森岡書店に、立花文穂さんによる写真集『傘下』の出版記念展を見に。

原爆死没者名簿に死没者の名前を記帳する人の存在に思いを致したことがなかった。というより、死没者名簿というものがあるらしいということくらいは、ニュースなどで耳に入ってきていただろうが、それをモノとして、どこまで意識できていただろうか?

立花文穂氏のご実家は広島で製本業を営んでいて、ご亡父は原爆死没者名簿の製本にも携わっていたという。ここでもまた、モノとしての名簿が、それを綴じる手のイメージとともに浮かび上がる。立花氏のご亡父の名前もまた、数年前に名簿に記されたのだという。

例えば私がほとんど意識していなかった、原爆死没者名簿のことも、広島の人にとっては、もっと身近で、痛切なものとして捉えられているのだろうか。そんな認識の距離は私たちのまわりのあちこちにあるのだろう。

その後、銀座の画廊を冷やかす。「新世代への視点2020」という企画をこの界隈の八つの画廊が共同で開催していて、先週からの行き掛かり上、すべてを覗くことになった。

私のような一見の客にも懇切に対応してくれるところもあれば、放りっぱなしというところもある。作家本人が在廊していて説明してくれたところもあったが、海外作家が現下のコロナ禍のため来日できなくなったという話も聞いた。

両国に。

アートトレイスギャラリーで木曜日から始まった展示のアーティストトークがあるということだったが、無観客配信に変更になったという。ネットには情報が上がっていたらしいが、見逃していた。

そこで予定を変更し、錦糸町まで歩いて、楽天地スパに向かう。というか、もともとアーティストトークの後はサウナというつもりだったので、むしろ早くサウナに入れて有難いと考えることにする。

ところで、サウナで喋る客のことは、これまでも何度か書いてきたが、今日になって、彼らについて思い違いをしていたことに気づいた。

彼らは必ずしもマナーやモラルが欠けているから喋るわけじゃない。サウナに複数で連れだって来ているから喋るのである。逆に、サウナにひとりで来て喋っている客はまず見ない(ごくまれには見る)。

私だって、隣に仲間がいれば喋りたいと思うだろう。ただ、誰かとつるんでサウナに行こうなどとは思わないだけである。

そう考えると、事はサウナに限らない。飲食店が営業時間の短縮を迫られているようだが、もし客同士の会話が問題だというなら、複数客を断って、ひとり客だけを受け入れるようにすればいい。

ひとり客がひとりで黙って飲み食いしている分には、夜中の1時だろうが2時だろうが、関係なく店を開けていいのではないか。

散歩らしい散歩はしなかったつもりだが、案外捗った。12,742歩。

墓参

朝の散歩に。一昨日より多少は早く出られたが、すでに日射しは強い。

この時間に外を出歩いているのは、例外なく散歩の中高年である。むろん私も。

すぐには川辺に出ないで、しばらく街を歩く。

弘福寺に。久しぶりに小沢昭一さんのお墓に参る。

時期外れの墓所には花がほとんど見えない。もっとも、この暑さではすぐに駄目になってしまうだろうけど。

今年の夏は自分の家の墓参りができるかも怪しいのに、先に小沢さんの墓参りというのも、いかがなものかと思うが、これもある種のリモート墓参りということにしておく。

日陰を探すように歩く。このあたりは高速の高架があるし、木陰も多い。日陰を歩いている分には暑さは耐え難いほどではない。

隅田川の川辺に。日射しは強いが、川風があるのは有難い。

巣ごもりの後、再び散歩に。

隅田川沿いを歩いて白鬚橋を渡り、汐入公園に。普段なら適当なところで川辺を引き返すが、今日は団地の中の道に入って、都立高専、さらに隅田川貨物駅と東京ガスの巨大な建物を横目に通り過ぎる。

このあたりを歩くのは初めて。かなりの規模の団地なのに、びっくりするくらい人影を見ない。まだ隅田川沿いを散歩しているほうがランニングやウォーキングの人と出くわすくらいだ。夜でもあり、少々怖くないこともない。

玉姫稲荷神社の前に出た。このあたりまで来れば、コロナ後の日常の散歩の範囲内である。銭湯で休憩。

水風呂と外気浴を繰り返しているうちに、閉店時刻近くまで長居してしまった。21,853歩。久しぶりの二万歩超え。

マリナーラ

やっぱり今朝も寝坊気味。朝はドトールのテイクアウトで。

昼はピザ。マリナーラというトマトソースを使ったピザで、チーズはトッピングされていない。シンプルなだけに生地の存在感が際立つ。この店の他のピザと同じ生地を使っているというけど、厚みのせいか、しっかりした食べ応えがあった。サイズ以上に腹にたまる感じ。

マリナーラという言葉が耳慣れなかったので、Wikipediaで調べてみると、マリナーラソースを使ったピザは、16世紀にトマトがイタリアに持ち込まれた頃に発明されたという説があるらしいから、現在のピザの原形と言ってもよさそう。

言われてみれば、トマトは新世界の原産だから、コロンブス交換以前は、トマトを使ったイタリア料理というのはなかったわけだ。もしインドカレーにトマトと唐辛子がなかったら、というのと同様の歴史のifが、一枚のピザの上にも存在している。

現下のパンデミックも、どうせなら未知の病原体でなく、未知の美味しい野菜が世界中に広まってくれたらよかったのに。

バスで錦糸町に移動。

所用の後、オリナスのスタバで時間調整。先日の当たりのスクラッチカードを有り難く使わせてもらう。

某所でもう一件所用を済ませてから帰宅。少し風が出ていたので夜の散歩もいいかなと思ったけど、軽く食事をしてぼけっとしていたらいい時間になってしまって、就寝。6,870歩。

終着点

前夜のお酒のせいで寝坊したが、辛うじて午前中に一時間だけ散歩。

しかし暑い。日射しはそれほど強くないのに、湿気のせいか、ただ歩いているだけで身体がだるくなってくる。川風もほとんど吹かない。それでも高速の高架の日陰に入ると、いくらか楽。

植え込みの下草を刈って丸裸になった木の根元に、猫が所在なさげに座っていた。蝉も脱皮する場所を追われて困っているようだ。

散歩から戻った後は巣ごもりの一日。昼も外に出ず有り合わせで済ます。

諸々の所用を終えて、夜の散歩に。さすがに日射しがない分、歩くのにはまだマシ。

今度は隅田川沿いを下流方向に歩いて、言問橋を渡って裏浅草に。

浅草寺の寺域に裏側から入り、六区を冷やかして、ひさご通りから千束通りに。

結局いつもの銭湯が終着点。

いつものように番台で検温されないので、規則が変わったのかなと思うと、体温計が急に故障したのだとか。

水風呂とシャワーでしっかり身体を冷やして、汗にならないうちに帰宅。17,562歩。

マイブーム2

朝から暑いですね。

よし、朝サウナに行こう!

公園でラジオ体操をする老人たちを横目に見ながら駅に、そしてサウナに向かう。夏は朝サウナ。今年もまたこの季節がやって来た。

楽天地スパでは、抹茶水風呂のイベントをやっていた。冷水に浸かっている時のほのかなお茶の香りは悪くないが、バスクリンを入れすぎたような濃い緑色はあまり好みではない。水の色は透明なまま、お茶のエッセンスだけを加えるようにすればいいのに。

ともあれ抹茶水風呂で身体をしっかり冷やして、再び朝の街に飛び出す。冷えた身体が外の生ぬるい空気に次第に包まれていく感覚が堪らない。

ドトールで朝飯。

昼はパスタ。島根県浜田港で上がった魚介のラグーのスパゲッティー。

夜は急遽差しでお酒を飲むことになった。残念ながら色っぽい飲みじゃない。とはいえ、久しぶりに外でたくさんお酒を飲んで、ずいぶん回った。

実をいうと、この二ヶ月余りの間は、お酒をほとんど飲んでいない。誰かと外で飲むような人付き合いの機会自体が限られているし、少々思うところがあって、外でも家でもひとり飲みするのを控えている。

思えば、二十代の頃は毎晩のように当時の仲間や同僚と飲みに行っていたし、三十近くなると、居酒屋でひとりで飲むことを覚えた。といって、大してお酒が強いわけでもないんだけど、大人になってから、何日もお酒を飲まない期間が続くことはなかった。

それが、ここしばらく、お酒をほとんど飲まずに過ごしているというのは、私にとって驚天動地の出来事で、これもコロナ禍での生活の変化ということになるかも知れない。

そして、お酒を飲まなくなった代わりに、毎晩飲むようになったのが、これです。

オールフリー。近頃のもうひとつのマイブームと言ってもいいでしょうね。

思っていた以上にいけるし、家で飯を食いながら何か飲むにはこれで十分だと思った。アルコールが入っていないから、酒税がかからない分、安いし。近所のスーパーだと、350ml缶がひと缶百円。酒飲みからは軽蔑されるかな?

さて、久しぶりに酔って帰って、夜の散歩やら銭湯やらは面倒くさくなってパス。やっぱりお酒は人心を惑わすね。6,263歩。

マイブーム

あ、猫。

目が合ったらダッシュで逃げられた。

いい天気。芙蓉の花がきれい。

昼はさんま開き。思うところあって定番の鯖塩焼きは回避。

この前鈴本で志ん輔さんが演ってた、缶詰の鯖水煮に醤油を垂らして旨そうに食べる様が目の奥にずっと残って、家で時々鯖缶食べちゃうんですよ。ま、実際の鯖缶は志ん輔さんが演ってた程旨くはないけど(近所のスーパーで特売してた安物だからかな)。

この白い花はムクゲで合ってる?ムクゲと芙蓉の違いが分かったようで分かっていない。

今日は特に書くこともないので、コロナ以後の私のマイブーム(頭痛が痛い)でも披露しましょうか。

黒ごませんべいです。

写真は近所のスーパーに置いてあるもの。埼玉県川越市の丸福米菓製。最近はこれをご飯代わりに食べているといっても過言ではない。

こちらはセブンイレブンで扱っているもの。私の黒ごませんべいブームは、ここから始まりました。

もともと、誰かが買ってきてくれたのがずっと家に残っていたんですよね。それをなんとなく食べてみたら、なかなかいけるではないですかと。同じ商品をセブンで見つけて買うようになって、その後、近所のスーパーでも黒ごませんべいを置いているのを知ってからは、そちらのほうを常用するようになっています。

ありふれたお菓子のようで、セブンと近所のスーパー以外で見かけなかったんだけど、先日、出先で入ったファミリーマートでみつけたのがこちらです。

実はセブンに置いてあるのと同じ、埼玉県比企郡川島町のカネフク製菓製。しかし、せんべいの大きさも一袋あたりの容量も微妙に異なる。売り先毎に作り分けているものなんですね。

三点を並べてみましょうか。丸福米菓製のせんべいが明らかに大きいですね。味は違うといえば違うけど、取り立てて言う程ではないです。

というわけで、他に黒ごませんべいを見かけたとか、旨い黒ごませんべいを知っているとかいう方がいらっしゃいましたら、ご一報いただけると幸いです。

あ、7,330歩。

初ライブ

気がついたら9時半。寝坊した。目覚まし時計が鳴ったのに目が覚めなかった、ということはよく眠れているのか。慌てて洗濯機を回す。

駅までの道すがらにトンボが低く飛ぶのを見かけた。今シーズン初。梅雨が明けて夏が来たばかりで、秋の気配を感じるのも可笑しい。

浅草演芸ホール八月上席昼の部に。この席は落語芸術協会の番組。そして、大喜利として芸人によるデキシーバンド「にゅうおいらんず」のライブがある。「にゅうおいらんず」のライブを見るのは私は今回が初めてのはず。もう十何年も続いている毎年恒例の興行なのに、どうしてこれまで見逃してきたかねえ。そして、バンドの生演奏を聞くのは今日がコロナ後初めて。図らずも、音楽家の演奏より先に、落語家の演奏を聞くこととなった。

開口一番
桂壱福「狸札」
神田子太郎「越ノ海勇蔵」
前座さんが二人続けて口演。壱福さんは米福門下、いかにも前座さんらしい訥々とした語り口に却って好感が持てる。講談の子太郎さんは陽子門下。
落語 三遊亭遊かり「寄合酒」
漫才 母心
ボケ役(嶋川武秀さん)が着たスーツが、赤銀色?の生地で鮭の皮みたいだと突っ込まれる。またこの人が歌舞伎好きが高じて日本舞踊の名取を取ったということで、日常のシチュエーションに義太夫と歌舞伎ふうの所作を持ち込んで笑わす。
落語 立川吉幸「真田小僧」
寄席の客は口が固いらしい。こまっしゃくれた子供が書いた学校寄席の感想文からの「真田小僧」の前半まで。
落語 橘ノ圓満「金明竹」
何と言うか、独特な髪形の人。「金明竹」は前半まで。「どうしておじさんと猫を一緒にするんだ」「だっておじさんいつも猫かぶってるんだもん」でサゲ。
漫談 ナオユキ
庶民のささやかな生活の一幕を哀感を込めて語る。密かに人間観察をしているのだろうか。
落語 桂米福「ぜんざい公社」
田舎町に滝を見に行った男が、帰りの電車の時間待ちに「町営ぜんざい会館」に入ったところから物語が始まる。
落語 三遊亭遊之介「浮世床」
与太郎の蝋燭の火を消す戦争ごっこ、王様のいない将棋。
音曲 桂小すみ
端唄「さわぎ」「さつまさ」に続いて、ジョビンのボサノバ曲「ウェーブ」とは寄席らしからぬ選曲だが、この人はもともと東京学芸大学音楽科出身の洋楽畑とか。
落語 瀧川鯉昇「蛇含草」
座布団に座ってから、口を開くまでが鯉昇さんの間。時節柄の扇風機やかち割り氷のまくらを振ってからの「蛇含草」。餅の食い方で鯉の滝登りの芸当。食いすぎで下を向けず、下駄が見えなくなった男に隠居「履き物はここにあるよ」、男が胸のあたりを指して「吐くものはここにもあります」でサゲ。蛇含草は食べない。
落語 古今亭寿輔「猫と金魚」
寿輔さんを聞くのもずいぶん久しぶり。派手な黄色い着物姿はお馴染み寿輔さんなのだが、こんなに客席をいじる人だったかなあ?たまたま三列目の真ん中の席に熟睡している客がいたということもあるけど、その客をネタに高座から他の客に話しかける。大ベテランの噺家さんに失礼ながら、かつての高座からは神経質な印象も受けたものだが、ずいぶん肩の力が抜けたように見えた。「猫と金魚」は、金魚をすっかり食べてしまって金魚鉢の中に入った猫に、内視鏡で猫の腹の中の金魚を見ればいいという奇想天外なサゲ。

落語 三遊亭遊馬「たがや」
たがやを無礼討ちにしようという馬上のお侍に対して、居直ったたがやの啖呵に胸がすく。
漫才 宮田陽・昇
落語 春風亭柳橋「やかん」
落語 春風亭昇太「短命」
曲芸 ボンボンブラザース
客席から飛ばしてもらう帽子がなかなか頭の上に乗らない。また見当違いの方向にばかり飛んで行って笑いを誘う。まさか仕込みってことはないよね。
落語 三遊亭小遊三「野ざらし」
笑点の元色男キャラ、現泥棒キャラの小遊三さんには、この下心丸出しの能天気な男がはまっているかも。
大喜利 「にゅうおいらんず」

今回の「にゅうおいらんず」のメンバーは以下のとおり。
トランペット:三遊亭小遊三
トロンボーン:春風亭昇太
ギターバンジョー・司会:春風亭柳橋
ピアノ:桂小すみ
ベース:ベン片岡
ドラムス:高橋徹
アルトサックス:金子礼
ちなみにベン片岡さんは芸協事務員。高橋徹さんは本職のジャズミュージシャン。金子礼さんは若干19歳、親子二代のジャズミュージシャンとか。
もともとサックスはミーカチントさん(浅草ジンタにいた人らしい)が演奏する予定だったのが、コロナ禍で実家の富山から出てこれなくなったため、急遽この金子礼さんが参加することになったそう。確かに表の看板はミーカチントさんの名前のままになっている。金子礼さんが19歳の紅顔の青年ということで、小遊三師がこの場にいない桂文治師をネタにいじることいじること。

しかし今日の出演者は富山づいている。桂米福師は富山市出身、母心の嶋川氏は高岡出身らしい。そしてこのミーカチントさんも。

本日の演目は以下のとおり。
「タイガー・ラグ」
「私の青空」は、昇太師が歌唱。
「初恋によろしく」は、オリジナルは西郷輝彦が歌ったらしいが、小遊三師が歌唱。
「セントルイス・ブルース」
「聖者の行進」

都合6時間近く、浅草演芸ホールの椅子に座っていたらお尻が痛くなった。

寄席ではどうしても落語協会の番組を聞く機会が多く、落語芸術協会の噺家さんは正直馴染みが薄い。でも、今日昼席を通しで聞いてみて、「猫の金魚」「ぜんざい公社」などはいかにも芸協らしい演目と感じたし、同じ演目でも落語協会の噺家さんとは違う型で演じていることが分かる。

浅草を出て、曳舟経由で錦糸町に。楽天地スパで疲れを癒す。そのままラストまで。7,522歩。

本日初日

8月になった。空き缶を出し、洗濯物を干す。ラジオから本日梅雨明けの知らせ。冬物のスーツをクリーニングに出すのを忘れていたことに今さら気づいてクリーニング屋に持ち込むなど。

午後は銀座に。銀座もコロナ以来初かも。東銀座の駅で降りたら歌舞伎座に本日初日の垂れ幕が。そうか、歌舞伎公演も今日から再開だったか。何かと難しいことも多いだろうが、とにかく恙無きことを願う。

久し振りに森岡書店に顔を出した。茅場町に店舗があった頃からたびたび伺っていたが、銀座に移転した後は数える程しか来られていない。といっても、銀座に店が移ってもう5年になるのだとか。早いなと思うばかり。

石原稔久さんの名前は初めて知った。福岡で活動されている陶芸作家とか。本展では、自作の陶製の人形やオブジェと、それらを表紙にあしらった絵本が展示されている。つまり、人形を作るだけではなく、それを絵本の体裁に仕上げるまでが作品制作なのだ。

絵本の帯には、著名人らしい人からの推薦の言葉が記されている。どこかで聞いたことがあるようなないような名前。手に取って開くと、あれ、中のページはすべて真っ白。これは見本か何かなのかなと、いぶかしげに見ていたら、あえてこのような白いページにしているのだと森岡さんが教えてくれた。手にした人が自分なりのイメージを広げたり、家族で話し合ったりしてくれることを作家は期待しているのだという。ちなみに、その帯の文句もすべて作家が書いたのだとか。

どの絵本も、ページを開かない限り、実際にこのまま書店に並んでいてもおかしくない程に作り込まれている(いや、ここは確かに書店なのだが)。徹底しているというか、一杯食わされたというか。実に手の込んだユーモアなのだ。

その後、銀座界隈を歩いて、何ヵ所かギャラリーを回っているうちに時間切れ。

夜は楽天地スパに。9,396歩。