土左衛門

諸事情でお休み日。雨音で目を覚ました。ようやく梅雨がやる気を出したよう。だらだらして遅く起き出して外出。

そういえば水死体のことを土左衛門と言うよなと思ってWikipediaを見たら、語源となった江戸時代の力士、成瀬川土左衛門の墓が深川の霊巌寺にあるというので見に行く。が、墓域が入りにくい雰囲気で確認できず。

東京都現代美術館に。雨の平日でさすがに空いている。まず週末までのドローイング展を見て、サンドイッチで昼食。午後はオラファー・エリアソン展、コレクション展を見る。

具がぽろぽろこぼれて食べづらかったです

ドローイング展。マティスの『ジャズ』を、絵巻物のように平面に並べて展示するのと、ページ別にフレームに収めて展示するのとでは、ずいぶん見え方が違うものだと思う。最初ハサミで紙を切るのをドローイングに含めるのは無理があるように思ったけど、ふと寄席の紙切り芸の情景が思い浮かんで、急に合点がいった。

オラファー展。例えば色が青く見えるというのは、知覚なのか物理現象なのか。普段考えないそんなことを考えてしまう。テクノロジー、アート、環境、実験というキーワードを並べていくと、先年物故した山口勝弘さんの系統に連なる人なのかも知れない。展示も面白かったが、売店の奥で上映していたフィヨルドハウスの実物を見てみたいと思った。

コレクション展。秀島由己男の版画に添えられた石牟礼道子の詩文に揺さぶられる。『彼岸花』という詩画集、どこかで見られるだろうか。岡本信治郎の作品群にも圧倒される。

錦糸町で所用を済ませてから帰宅。14,965歩。雨で散歩はできなかったけど、美術館の中で歩いた分捗った。

背中流し

曇天。近所の猫が道の真ん中に座っている。朝は家で食べる気がしなくてドトール。昼の魚はシャケにする。

代わり映えのしない写真

夕方6時頃から雨が降り出した。今日はハーブティー。Summer’s Bloomという名前のハイビスカスのお茶。

雨が降ると夜の散歩に出る気が失せる。自ずと銭湯からも足が遠ざかる。そこで楽天地スパに。雨の夜はサウナの夜。

今日はひとつ魂胆がありまして、久し振りに背中流しをお願いしようと思う。楽天地名物、ピンク色のコスチュームに身を包んだ妙齢のおねえさんが客の上半身(だけ)を洗ってくれるサービスです。スタッフのおねえさんは、皆さん私より年長、いやひょっとすると私の母親くらいかと思われるベテラン揃い。そんな方から昔の楽天地やサウナの思い出話を聞き出すのも一興と思ったのです。

ところが話題は予想外の方向に進みまして、今回背中流しをお願いしたおねえさんは、映画鑑賞、それも劇場で見るのがご趣味ということで、コロナ禍で007の新作の公開が延期になったという話から、ダニエル・クレイグ、ブラッド・ピット、ジェイソン・ステイサム…と次々に外国人俳優の名前が飛び出す。映画趣味の希薄な私はこの展開に付いていけず、目論見は失敗に終わったのでした。7,381歩。

新しいシャツ

というわけで今朝もカレー。コーヒーを淹れるのはパス。

ふと思い立って新しいワイシャツをおろす。こんなことでも、ほんの少し気分が浮き立つのは不思議。

昼間外に出ると日差しは強いが風が気持ちいい。まだ真夏の殺人的な暑さでないのは有難い。昼飯は鯖の麹漬け焼きというのにしてみた。正解。

夕方、錦糸町で時間調整がてら喫茶店に。昨日からの惰性でアイスカフェオレを頼んだら、この店のは生クリームが乗っかっていた。なくもがな。

所用を済ませて帰宅後、夜の散歩からの銭湯に。水風呂にうつぶせになって入っている人がいた。まるで溺死体のよう。ここまでずっぽり水中に没入している人も珍しい。16,188歩。往復とも電車に乗った割には進んだ。晩飯を食うのは忘れた。

ドア越しに見つめてきた猫

ステテコ

ちょいと寝坊してしまって慌てて洗濯機を回す間、コーヒーを淹れてカレーを温める朝。気分に余裕があるからコーヒーを淹れるのか、コーヒーを淹れるとそんな気分になるのか。

お昼は某レストランの持ち帰り弁当。おかずは島根県浜田港で上がったという鮮魚の焼き物揚げ物等。旨いねえ。

錦糸町まわりで帰る途中、アイスカフェオレで休憩。所用を済ませてから、雨雲に背中を押されるように帰宅。雨が落ちてくる前に洗濯物を取り込めた。適当に晩飯を食ってだらだらしていたら時間が怪しくなって銭湯はパス。久しぶりに某浴場に行こうかとも思ったけど、短縮営業を続けているのか、コロナ以前の営業時間に戻ったのか分からない。墨田区・台東区あたりの銭湯の最新の営業状況をまとめたサイトなどないのかね、と局地的時限的な要望をつぶやいたりする夜。8,683歩。

先日末廣亭で聞いた昔昔亭昇さんの新作落語は、ある男が浴衣の下に穿いているものを巡って、それはステテコではなくパンツだ、いや短いステテコだと友人同士が言い合いになるところから始まり、次第に二人の奇想天外な素性が明らかになっていく。

ところでこの噺は二人の間のいくつかの了解を前提としているのですね。第一に、浴衣の下にはステテコを穿くものだという点。第二に、ステテコの下にはパンツを穿くものだという点。この二点について二人に争いはない。

しかしこの前提は、そんなに自明なことなのか。噺家さんなら浴衣は着慣れたものだろうけども、私の場合、何年前だったか、直やさんに初めて浴衣を作ってもらった時、浴衣の下に何を着るのか(あるいは着ないのか)、本当に迷った。その時は正直ステテコという頭はなかった。浴衣の下がパンツだったこともあるように思う。

ステテコについて言うと、2~3年前から、夏場、家の中ではユニクロのステテコを愛用している。パジャマ代わりにして寝てしまうこともある。その時、下にパンツを穿いているか、甚だ怪しい。

ステテコという言葉は、どこから来たのか、ユーモラスな語感で、妙な哀感もある。

そうそう、ステテコというと思い出すことがある。小学生の頃、給食の時間、牛乳を飲んでいるやつの前で面白いことを言って、牛乳を飲めなくさせるということが流行った(多くの人が同様の記憶を持っていることだろう)。

当時、テレビの意見広告で「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」というコピーが頻繁に流れていた。誰かが「覚せい剤やめますか、それともステテコ穿きますか」と言ったら、ある友達が本当に牛乳を吹いてしまった。それからしばらく、ステテコという言葉がわれわれの間で流行った。

ビハインド・ザ・マスク

これから数日は天気がいいらしいから、抜かりなく洗濯物を片付けなければならない。朝飯は前夜に作ったカレー。大量に作ってしまったので当分カレーの朝になりそう。

ぶらぶら歩いて帰宅。適当に晩飯を済ませて、夜の散歩がてら川向こうの銭湯に行く。以前より水風呂が混むようになった気がするのは、先週からサウナ営業を再開したからだろう。しかし銭湯では湯舟と水風呂に入れればそれで十分、サウナはサウナ施設で入りたいというのが今の私の気分。14,873歩。

最近街に美人が増えたという話を聞いた。そのことは私も薄々感づいていた。おそらくマスク効果だと思う。どうしても視線が目に向かいますからね。人間の目はもともとチャームポイントということもあろうし、目元を念入りに化粧する人が増えたということもあるかも知れない。一方で口紅はあまり塗らなくなったという話も聞いた。私が無精髭を気にしなくなったのと同じですね。

多くの人が四六時中マスクをつけているようになると、逆に、マスクを外すということが、これまでになかった意味を持つようになるのではないかと思う。誰かの前でマスクを外す行為が、それこそ、誰かの前でパンツを脱ぐみたいな、親密な関係を表すようなことになって、しまいにマスクの隙間から口元が見えるだけで、みんな過剰に興奮したりするようになるかも知れない。

ケンタウロスの馬肉

久し振りに自宅でコーヒーを淹れた。在宅していた時は毎日淹れていたのにね。コーヒーメーカーのスイッチを入れるだけで大した手間じゃないんだけど、やっぱり休日の朝は気分に余裕がある。

新宿末廣亭六月中席昼の部に。久し振りの寄席。コロナ対策で、入場時に手を消毒、客席は一席ずつ空けて座り、仲入りを二回取って場内を換気するという配慮。

開口一番 桂南太郎「狸の札」
落語 春風亭昇りん「真田小僧」
昇りんさんは昇太師の弟子だそう。この後出てくる昔昔亭昇さん、夜の部に出演の三遊亭仁馬さんと共にこの芝居から二ツ目昇進とか。
曲芸 できたくん
いわば紙切り芸の発泡スチロール版か。猫、チコちゃん、客席の求めに応えて「梅雨」(という文字)を電熱カッターで切り抜く。
落語 昔昔亭昇
桃太郎師の弟子とか。SF的な趣向の新作だが、何気に差別や経済格差のモチーフを入れてきて油断できない。手拭いを使って宅配ピザを食べる所作に感心。ケンタウロスの馬肉。
講談 日向ひまわり「笹野名槍伝~海賊退治」
コント 青年団
往年のゆーとぴあを彷彿とする教師と高校生のコント。平田オリザとは関係ない。
落語 春風亭愛橋
マスクをして高座に登場、外すとビックリ、という寸法なのだが、思いの外ウケない。噺はネット経由でナレーションの仕事を取ろうとする自身の体験談?を新作仕立てにした不思議系。
落語 瀧川鯉朝「荒茶」
奇術 北見伸・スティファニー
変わらぬ華麗な手さばきを堪能。ハプニングだったのかな、ガラスの器が割れてびっくり。
落語 桂右團治
大阪出身の男と結婚することになった東京娘が、大阪の両親に挨拶に行くにあたり、スマホの大阪弁養成アプリで完璧な大阪弁を身につけるという新作。
落語 桂伸治「あくび指南」
漫謡 東京ボーイズ
落語 笑福亭鶴光「甚五郎の首」(かな?)
甚五郎物だが初めて聞いた。甚五郎が小塚原の死人を参考に本物そっくりの生首を彫って上野広小路の見世物に出すという筋。
落語 桂鷹治「寿限無」
当代文治門下の二ツ目。和尚さんに書いてもらった名付け案をそのまま読んでいるはずなのに、寿限無を2回言うのは私も怪しく思っていた。
紙切り 林家今丸
「夕涼み」、以下客席から募って「麒麟が来る」「川開き」「ビアホール」の四題。
落語 笑福亭福笑
私、福笑さんの高座は初めてだと思う。長年噂には聞いておりました。六代目笑福亭松鶴門下で、入門順に仁鶴、鶴光、福笑…と続く。さらに分かりやすく言うと鶴瓶さんの兄弟子。末廣亭で六代目の高弟を二人見られるんだから有難い。落語は架空の安倍産業株式会社を舞台にした新作。というか、新作落語の形を借りて安倍首相周辺の人々をこれでもかといじり倒す。
落語 瀧川鯉昇「馬のす」
この噺も初めて聞いた。
曲芸 ボンボンブラザース
主任 桂文治「源平盛衰記」

この妙なご時世、寄席の中くらいは馬鹿馬鹿しい笑いに興じたい。それには今日みたいな芸協の芝居がいいのかも。

蛍石

急に梅雨が本気を出したみたいな雨で、外に出る切っ先が鈍る。家でだらだらしていたらもう午後。基本私は毎朝髭を剃ってから家を出るけど、この時間になると、今髭を剃って翌朝また剃るのがもったいない気がして迷う。

ところでコロナ以降、マスクをするようになった利点のひとつは、外出する時に無精髭が伸びていても気にしなくなったことですね。ということで、雨脚が多少弱まったところで、思い切って出掛けることにします。

恵比寿のLIBRAIRIE6に、10周年記念展示の第2部「日本のアーティストたち」を見に。

一枚だけ写真を撮らせてもらった。内林武史さんという方の作品。標本瓶の中に封じられた蛍石(という鉱物があるそうだ)の結晶が、瓶の下からの光を受けて、呼吸をするように青白く明滅する。写真はその瓶ごと専用の箱に収められたもの。側面のレンズ越しに覗く光は思いの外様相を変える。氏は他にも何点か繊細な光を扱った作品を出展していて、ギャラリーオーナーの佐々木さんが部屋の照明を落としてくれた。

かけがえの有無

外に出ると、前日の梅雨入りが拍子抜けするようないい天気。これなら洗濯物を干してくればよかったな。

朝飯はコンビニ、昼はきのこのクリームソースのペンネ。夕方は錦糸町から総武線快速に乗って東京駅に。JR線に乗るのも3月以来かも。

東京ステーションギャラリーで神田日勝展を見る。これが緊急事態解除後初めての美術展鑑賞となった。事前にコンビニで入場時間帯を指定して前売券を買う方式。そのせいか、入場後しばらくは展示室をひとり占めするように作品を見ることができた。最初は面倒かなと思っていたけど、これはこれで悪くないかな。

神田日勝は、北海道の十勝地方で家業の農耕に従事しながら絵画制作に打ち込み、1970年に32歳で早世した人。厳しい北の土地や共に暮らす人や牛馬のかけがえのなさと、ペインティングナイフで刻むように塗り重ねられた絵具の物質性が響いて、強い現実感に打たれる。1950年代後半から60年代にわたる画業は、端的に言えば日本の高度成長の時期と重なる。また、美術史上も新しいスタイルが次々に現れた時期。後期の画風の変化からは、自給自足の農耕生活に訪れつつある商品経済の気配の中で、同時代の美術に意識を向けながら自分のスタイルを模索する画家の姿が垣間見えるようだった。直接描かれない東京という不在の項目が現れてくるようにも感じた。

夜になって梅雨入りを思い出したように雨が降り出した。10,088歩。

十三年目

東京も梅雨入り。昼飯を食べに外に出た時はまだ日射しが強かったのに、午後のうちに雨が降り出した。オリナスの前を歩いたら、ビル風のせいもあるのか、突風と言っていいくらいの、傘を飛ばされそうな風。おちょこになったビニール傘を持った人を何人か見た。

昼飯は安定の鯖の塩焼き

雨模様で風が強いのは散歩には適当でない天気、というわけで、今日は楽天地スパにイン。サウナ→水風呂→小休憩を2回の後、半ば放心状態で休憩室に向かっていると、足つぼマッサージのブースのおねえさんから声をかけられた。私ははっきりとは覚えていなかったが、前回来館した際に施術してもらった人らしい。お願いされると弱いので(気が小さいとも言う)今回も施術してもらうことにした。

おねえさんの問わず語りの話を聞くでもなく聞いていると、楽天地でマッサージの仕事をするようになって13年になるとか。道理でさっきから何人も通りすがりの客と親しげに挨拶しているわけだ。他のスタッフもここが長い人が多いという。なるほど、背中流しのおねえさん方など、長年の風雪を経て、もはや風格を感じるような人たち揃いだ。そういう考え方の会社なのだろうし、サービス業というのはそういうものなのかも知れない。

足つぼのスタッフ同士で話す時の言葉は、多分中国語だろう。サウナにはいろんな物語があるなあと思う。9,605歩。

足つぼマッサージのブース。いかがわしい施設ではない
結局楽天地スパで晩飯を済ませた

あじさいの季節

なぜか朝から眠くて仕方ない。昼間飯を食いに外に出たら、初夏を越えて真夏のような空と暑さ。というわけでもないけど、きょうは今シーズン初の冷やしたぬきそば、そして親子丼のセット。夕方になると風が出て過ごしやすくなっていたので、錦糸町経由、ぶらぶらと歩きながら帰宅。夜は昨日定休日だった某銭湯に行く。背中いっぱいの彫り物の人と、三人兄弟?の子供たちといっしょに水風呂に入る。隅田川をわたる夜風が気持ちいい。11,740歩。

あじさいの美しい季節になった。散歩の道すがら、色や形のさまざまなあじさいを目にするのは楽しい。公園や街路樹の植え込み、民家の庭先など、町のあちこちにあじさいを見かける。こんなにたくさん植えられていたのかと驚く。あじさいが美しいのは、初夏から梅雨時までの2ヶ月程か。それを過ぎてしまえば、次の季節まで顧みられないのも悲しい。

下町であじさいをよく見かけるのは、江戸時代の園芸ブームの名残りなのかなと思うと、必ずしもそうではないようで、当時あじさいはそれほど人気ではなかったそうだ。少々意外に思う。