濃厚接触者

天気予報は微妙だったが、夜降り出す前に帰れればいいだろうという希望的観測のもとに洗濯物を干して外出。

ドトールで朝刊を開いたら先日急逝した笑福亭鶴志さんの追悼文が出ていた。寄稿者は笑福亭仁智さん。仁智さんの師匠は仁鶴さん、亡くなった鶴志さんは仁鶴さんの弟弟子になるから、二人はいとこの関係ということになるのか。しかし、入門は仁智さんのほうが先である。

この訃報には本当に驚いた。というのも、亡くなる何日か前に、YouTubeの繁昌亭チャンネルの配信に鶴志さんがコメントで茶々を入れているのを見ていたから。まさに口は悪いが兄貴肌という感じだった。とはいえ私は鶴志さんの生の高座姿は拝めずじまい。ただただ、六代目松鶴一門については、昔読んだ笑福亭松枝さんの『ためいき坂くちぶえ坂』などからドガチャガぶりを想像するばかり。

昼は鯖塩焼き。一日でちゃんとした食事は昼ご飯だけなので、なるべく昼はしっかり食べたいのです。

駅前の昔ながらの喫茶店を覗いたら営業は19時までだって。前は20時まで開いていたと思ったのに。朝に寄ったドトールも夜は20時まで。夜ゆっくりできる喫茶店が少ないなあ。酔客が口角泡を飛ばす居酒屋よりは、黙ってコーヒーを飲んでいる喫茶店のほうが余程安全だと思うのだが。

いや、ここは単純に業態で切ってはいけないのだろう。居酒屋でもバーでも、カウンター席でひとり静かに、ツィー、とか言って飲んでいる分には何の問題があろうか(いやない)。

帰りは近所の猫をいじって遊ぶ。コロナ以降の濃厚接触者は今のところこの猫くらいである。

結局帰宅するまで雨は降らずじまい。洗濯物を取り込んでしばらくしたら雨音が聞こえてきた。7,953歩。

三分の一

梅雨の晴れ間を逃さず洗濯。次はいつ晴れるか、最近の天気予報は当てにならないからね。

池袋演芸場七月中席昼の部に。これでコロナ禍からの営業再開後、都内の主だった定席――上野鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホールと、この池袋演芸場――をひととおり回ったことになる。厳密にいえば国立演芸場はまだだが、いずれ訪れる機会もあるだろう。

前回池袋演芸場に来たのは今年の3月。しかしその時は中に入れなかった。三月上席の神田伯山の襲名披露を目当てに来たら、出遅れてしまい既に入口前には長蛇の列ができていた。それからまだ半年も経っていないのに、隔世の感がある。

開口一番 桃月庵あられ
落語 金原亭小駒「無精床」
落語 三遊亭ぐんま「銭湯最前線」
ぐんまさんは白鳥門下の新二ツ目。名前のとおり群馬県出身。東京の銭湯体験の驚きを噺に仕立てたような新作だ。
音楽漫談 のだゆき
落語 古今亭志ん陽「猫と金魚」
先に上がったぐんまさんが銭湯の情景を描写するのに、広げた扇を股間に当てて「モザイク」、これは古今亭には出来ないだろうとやったのを、古今亭を代表して「モザイク」。
落語 春風亭一之輔「手紙無筆」
漫才 ニックス
ニックスのお姉さんのほうが最近結婚したがまだ式を挙げていないということで、どんな結婚式に憧れるかという話など。
落語 林家正蔵「皿屋敷」
かつて先代正蔵、つまり彦六師が若手を集めて怪談噺を稽古していたという。幽霊とお化けの違いを問われた彦六師の答えは。池袋は演者との距離が近いせいか、正蔵師の面持ちから、かつての稚気が抜けて、ぐっと渋みが増しているように見える。どこか米朝師を髣髴とするような…というのは言い過ぎか。
落語 隅田川馬石「たらちね」
婚礼に当たって、隣のおばさんに「赤の御飯に尾頭付き」を用意してもらうというくだりを初めて聞いたように思う。それにしても、結婚式を夢見るニックスの漫才の後で、落語国のさっぱりとした婚礼であることよ。
浮世節 立花家橘之助
この人を襲名後聞くのは初めてかも。小円歌さんの頃によく永六輔さんのラジオに出られていたのを聞いた。「なすかぼ」。前座のあられさんを舞台に上げて太鼓を叩かせ、かつての名人の出囃子「野崎」(八代目文楽)、「一丁入り」(五代目志ん生)、「老松」(三代目志ん朝)。浮世節「たぬき」を時間まで。
落語 五街道雲助「夏どろ」
ここ一ヶ月ほどで三人の「夏どろ」を聞いた。それにしても演者によって違うものだと思う。雲助師は芝居の一幕を見るよう。
落語 林家木久蔵「後生鰻」
お父さんの前名を継いで顔の売れた人だが、この人の高座は前にいつ聞いたか思い出せない。まくらを話す様子が妙に力が入ったように見える。噺に入るとそうでもないのだが。
落語 柳家はん治「ぼやき酒屋」
はん治さんは桂文枝(三枝)作の創作落語をよく高座に掛けている。この演目もそう。
奇術 アサダ二世
落語 古今亭志ん輔「らくだ」
はん治さんの「ぼやき酒屋」で居酒屋の客が歌った「月の法善寺横丁」を、酔っ払った屑屋に「包丁一本~」と歌わせる。ぐんまさんと志ん陽さんの「モザイク」もそうだが、こういう演者間のリレーも寄席ならではの楽しみ。

芝居がはねて、近くの立ち食い蕎麦屋に。この店は志ん輔師のブログで見て、池袋に行ったら入ってみようと思っていた。まあ、特にどうということもない立ち食い蕎麦屋だが、こういう食い物は、そのどうということもなさに味わいがあると言うべきだろう。

コロナ対応の例に漏れず、池袋演芸場でも最前列は使用せず、二列目以降も一席ずつ空けて着席することになっている。もともと90席余りとそう広くない寄席だが、今は最大でも39席しか使えないのだそうだ。

が、池袋演芸場といえば、寄席の中でも客入りが薄いことで演者からいじられるのが定番になっている(プロ野球でいえば、ロッテオリオンズ時代の川崎球場のようなものだ)。この日一之輔さんも言っていたが、39席にしたといっても普段と変わらないんじゃないかと。

しかし考えてみれば、キャパシティーの三分の一程の客入りで営業が続けられるというのも大したものだと思う。逆に言えば、三分の一を常態にしているということだよね。そりゃあ、時には伯山襲名のように満員札止めになることもあるけれど、そちらのほうに基準を持っていくことはしない。

今、コロナ禍で多くのホールが観客間の距離を空けることを強いられて、以前より客数を入れられなくて苦労していることと思うが、お客が三分の一入れば御の字、満員の客はあぶくのようなものと考えて長らく続いてきた寄席のあり方というのは示唆的なんじゃないかと思う。

夜の散歩から銭湯に。日曜夜10時、閉店一時間前の銭湯は賑やか。露天風呂で喋っている若いやつらもいるが、まあ仕方ないか。夜の街角にひまわりが咲くのを今年初めて見た。14,608歩。

パラレルワールド

昼過ぎ、雨の合間に外出。鳩の街通りを駅に向かっているうちに雨粒がまた大きくなってきた。まず四谷三丁目に向かう。

TS4312で、田中偉一郎氏の展示「芸術の果て ノンパワースポット」を見る。今回の展示にあたり、田中氏はその場所がパワースポットならぬ「ノンパワースポット」であることを示す小さな銘板を全国あちこちに設置してきたのだとか(もちろんその設置はコロナ以前の2919年に行われた)。会場ではその銘板と、現地で拾ってきた石(ノンパワーストーン)等が展示されている。

窓から新国立競技場が見える

設置場所のリストを見ると、なるほどノンパワーなのだろうなという場所、パワースポットと言ってもよさそうな場所、むしろネガティブパワースポットではないかという場所など、様々である。またその様々さを、等しくノンパワーに還元してしまうところに、この小さな銘板の意図があるのだろう(ミニマムでミニマル)。

また、この企画は最終的に作家と鑑賞者が銘板が設置されている現地に出掛けることまで想定しているらしい。ギャラリーオーナーの沢登氏に「鑑賞旅行ですね」と言ったら、センチメンタル・ジャーニーの感傷旅行と重なったようで笑われてしまった。

新宿駅のベルクで休憩。ここに来るのもコロナ以後初か。立ち席がアクリル板で仕切られている。そして4月から全席禁煙になったとのことで、店内ではベルク副店長でもある迫川尚子さんによる喫煙する人々をモデルにした写真が展示されていた。

JR新宿駅自体が久し振りで、改札の内側の風景がずいぶん変わっていて戸惑う。

所用で高田馬場に。駅周辺の風景はなかなかしぶといと思っていたが、かつてレコード店のムトウやレンタルショップの45°の入っていたビルが取り壊されてしまった。地下鉄入口の奥にあった本屋にもよく行ったものだが。ということは喫茶店の白ゆりももうないのか。

新井薬師前のギャラリー、スタジオ35分で駒井哲郎の版画展を開催しているというので、出掛けようと思う。この場所は初めてだが、雨も上がったし、暑くもないので、思い切って高田馬場から新井薬師前まで歩いて行ってみることにする。

さかえ通りは歯抜けのように更地が増えている。見慣れない店も増えた。昔何度か行った新宿区立中央図書館は移転したのか。下落合図書館となって小洒落た建物に建て替わっている。

妙正寺川沿いを歩き、途中から中井通りに入った。

中井駅近くで銭湯を見つけたので、少し汗になってきたし、入っていくことにした。貸しタオルをお願いしたら、番台のおばちゃんが「レンタルですか?」と英語で聞き直すのが、にわかに理解できず何度も聞き返してしまったが、よいお湯とたっぷりとして程よく冷えたかけ流しの水風呂に満足。湯上がりは愛想のいいおばちゃんだった。

西武新宿線沿いのこのあたりは、昔から何かしら縁のある場所だし、短期間だが住んだ時期もある。が、この距離を歩くのはさすがに初めて。もしあの頃別の選択をしていたら、このあたりの街ともっと深く関わることもあったのだろうか、と思いながら歩いていると、自分が今、パラレルワールドの中にいるような気分になってくる。

というわけで、寄り道したせいですっかり日も落ちたが、無事スタジオ35分に到着。今回の展示は1970年代の版画家の晩年の作品が多いようだ。併設のバーでビールを飲んだら、うっかり溢してしまって恥ずかしい。その一杯だけで失礼した。

帰りは新井薬師前から中野まで歩いた。ブロードウェイと平行している飲食店街を歩いたら、コロナ騒ぎなど別世界のような人の多さと賑わいぶりに気圧されてしまった。16,671歩。

私は若者が嫌いだ

雨が屋根を打つ音を寝床で聞いた。朝は家で適当に済ませて、ゴミ出し。

昼はパスタ。勧められるままにズッキーニのスパゲッティーにしたけど、前にもこの味食べたな。鮮魚のペンネというのにしてもよかった。

アートトレイスギャラリーを覗く。清水梨沙さんという方の展示。小品から大作まで。大作のほうはストライプの描かれたキャンバスが切り裂かれたり、重ねられたり、ハトメが打たれたりしている。ジャスパー・ジョーンズやフランク・ステラを連想するようでもある。

キャンバスの木枠や切り抜かれた木の板が彩色されて組み合わされた作品の前でしばし足を止めた。

錦糸町まで歩く。

今日は気温も高くないし、空調の効いた部屋に朝からずっといたから、身体が冷えきってしまった。どこかで身体を暖めたい。となるとサウナ。

楽天地スパは、営業再開したばかりの頃に比べると、明らかに客足が戻ってきている。

いかにも学生気分が抜けないといったふうの若者の四人連れが、サウナ室や浴室でおしゃべりを止めないのが耳に障る。

不特定多数の集まる場所で声高に会話するのは控えるべきだろうし、会話するなら、サウナ室だろうが浴室だろうがマスクを着けてほしい。

新型コロナによる発症リスクが高い低いで人口を二分したら、私などはそろそろ高いほうに区分されかねないだろう。だから無自覚な若者の態度が余計に気にかかる。

サウナ室内のテレビが若者の団体旅行を控えるよう伝えても、彼らは他人事のように意に介さないようだ。

スタッフの方は、こんな客にはきっぱり注意を与えるべきではないか。最低限、毎回のロウリュ前に会話を控えるよう促すことはできるだろう。

コロナ云々以前に、静寂を旨とすべきサウナには、集団で来て会話を止めない客は相応しくない。

それにしても、若者というのはえてして思慮が浅く、個が確立されていない。近年、選挙権年齢が18歳に引き下げられたのは愚策だった。むしろ30歳以上に引き上げてもいいくらいだった。

私は若者が嫌いだ(女子は除く。女子はサウナにいないから評価できない)。

7,758歩。実際はもう少し多いか。途中でスマホの電池が切れたので測定不能。

君が犬好き

朝はドトールのテイクアウト。昼は魚、今日は甘塩シャケにしてみる。

夕方錦糸町で用を済ませた後、ぶらぶら歩いて帰宅。

どこかこのあたりで小一時間でもコーヒーを飲んでから帰りたいと思うが、これといったカフェや喫茶店と巡り会わない。チェーン店でもいいのだけど、できれば個人店で居心地のいい場所を探したい。

何をもって居心地がいいとするかは人それぞれだろうけど、店の人から適度にほっておかれるのがいい。あまりべたべたされるのもよくない。静かに新聞や本が読めるくらいがいい。

店によってはカフェという名前がついていても、夜は食事やお酒が中心だったりするから要注意。それから営業時間。コロナ以後は短縮営業したままという場合も多い。

今日も一軒、ずいぶん前に一度だけ入ったことのある店に寄ってみたら、ネット情報では夜10時までやっていると書いてあったのに8時で閉店とか。30分程しか居られないけど、せっかくなのでアイスコーヒーと、勧められるままフードも頼んだ。

店の人が飼っているらしい犬が一匹いたのだけど、8時が近づくにつれて、常連らしい犬連れのヤングミセス(死語か)ふうの女性が次々集まってきて、店の人も交えて飼い犬の鑑評会みたいな様相になった。

犬は嫌いじゃないけど、これはこれで居づらいものです。私も犬を飼ったら仲間に入れてもらえるかな。まあでも、ヤングミセスじゃないからなあ。

近所の駐車場で猫にちょっかいをかけてもつれない態度。犬にも手を出していたのが感づかれたか。やっぱり犬かな。君が犬好き、あの海辺よりも、などと歌っていたら銭湯に行くタイミングを逸した。8,720歩。

雨の街

今日は一日家の中にいる日だから、その前に朝の散歩に出ようと思った。雨とも言えないくらいの細かな雨が降っていたが、身体に当たる感じが気持ちいいし、高速の高架の下を歩く分には雨は気にならない。向島の高速入口のあたりから白鬚橋の手前まで数往復。家に戻る頃には雨足が強くなっていた。

諸々の所用を済ませて、夜の散歩がてら銭湯に。今度は傘をさして出掛ける。

雨の街を撮るのも面白い。何年か前に少しだけ写真学校に通った時、最初の屋外撮影の実習が上野であったが、その日は生憎の雨模様だった。残念そうな顔をしていたら、先生のひとりが、雨でよかった、雨の日は面白い写真が撮れるんだよ、というようなことを言っていたのを、そういうものなのかなとぼんやり聞いていたのを思い出す。

長湯をしすぎたか、少しのぼせてしまった。16,851歩。

白いつぼみ

雨とゴミ出しの日。行き掛かり上、朝は抜き。昼は朝食べるつもりでコンビニで買ったサンドイッチ等。

夕刻、錦糸町まで歩いて、オリナスのスタバで休憩。所用を済ませた後、そのままぶらぶらと歩いて帰宅。今日くらいの気温ならそれほど汗にはならない。9,510歩。

だいたい花や木の名前に疎いたちだ。駅への行き帰りにいつも前を通る家の門口に、大きな白い花を何輪も咲かせた木が植わっていて、名前と花の姿が結びつかないまま、ただただ綺麗だなと思いながら見ていた。

今朝もその花を横目に駅に向かって歩いていた時、前から来て植木と私の間を通り過ぎようとした女性の体が枝に当たって、その拍子に大きな白いつぼみがひとつ地面に落ちた。ぼとりと音がしそうに思われた。

帰宅する時も、つぼみはそのまま地面に落ちていた。後からそれがムクゲの花だということを知った。

毎朝毎夕

やや寝坊気味。朝はコンビニ。昼はベーグルとコーヒーのセットで済ましたら、さすがにこれだけでは後でお腹がすいた。

ちなみにベーグルにはクリームチーズが挟んであります

所用で日本橋に行ったついでに、とやま館に寄ったら、リンというのかな?仏壇の脇に置いて鳴らすやつ。大から小まで並んでいて壮観。

雨だし帰宅後はどこにも出掛けず、新聞の整理などして過ごす。

そういえば、自宅で新聞を取るようになったのも、コロナ後のささやかな変化のひとつ。在宅する時間が長くなって、それまで外で読めていた新聞が読めなくなったから。思えば新聞を取るなんて何年ぶりだろう。今さら紙の新聞の購読を始めるというのも反時代的なのかも知れないけど。

想定外だったのは、毎朝毎夕届く新聞が結構な分量になることですね。今までも土日だけは買ってたんだけど、溜まり方が全然違う。

というわけで、7,354歩。なぜか遅くまで眠れなかった。

カレーとサウナだけの日

いい天気。気温も30℃を超えるらしいし、こんな日は昼間の散歩には適当でないので、サウナの日にします。

まず駒沢大学駅近くのピキヌーに寄って、チキンカリーを。

コロナ後初訪問。カウンター席は一人ずつ透明アクリル板で仕切られている。

卓上の青唐辛子がたっぷり入ったナンプラーをかけると、辛さは増すが爽やかさも増す。夏の風が口中を通りすぎるよう。

東池袋のタイムズ スパ・レスタに。ここもコロナ後初。検温と手指消毒をして入館。

現在沖縄フェア実施中とのことで、簡単なクイズに答えて応募。何が当たるんだっけ。

浴室に入ると、あれ、前からこんなに明るかったかなと思う。換気のためか浴室と外の露天風呂のエリアを仕切るドアが開け放たれているお蔭で、外の明るい光が浴室に射し込んで、開放感があって、以前より余計に南国リゾート気分が増す。

サウナマットは少し間隔を空けて敷かれている。ソーシャルディスタンスへの配慮だろうが、これくらい隣と離れているほうが有難い。コロナ以前の話だけど、レスタは週末のアウフグースの時は、ぎゅうぎゅうになるくらいサウナ室に人が入っていたからね(ちなみに現在はアウフグースは休止中)。

ひたすらサウナと水風呂に入って、デッキチェアでウトウトの繰り返し。

というわけで今日はカレーとサウナだけの日でした。6,255歩。

ARMY

家を出てもうすぐ駅というところで雨粒が落ちてきた。洗濯物をたっぷり干してきたのにこのタイミングで雨かよ、と思うが、しゃーない。

恵比寿の東京都写真美術館に。7月19日までの「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展に。

当方、ファッションなんて柄じゃないが、まさに90年代はテレビの「ファッション通信」をよく見ていたし、スタジオボイス誌のそれ系の記事も目にしていたから、興味がないわけじゃない。

アンダース・エドストロームのキャプションにあるように、ファッション写真が「印画紙だけではなく、実際に写真が掲載された雑誌の誌面も切り取られてレイアウトされ」るのは、まさにファッションらしいと思う。時代や都市の表層を写し取るのには相応しいやり方だし、ファッションに印刷物が絡んでくると、今度はグラフィック・デザイナーの仕事が浮かび上がってくる。最早ノスタルジーか。

この写真からはひりひりとした痛々しさが伝わってくるようだ。

かつて都市の先端でモードに携わった人が、今は都市から離れた自然豊かな土地に居場所を見つけている例。先端を極めるとそんな境地に至るのか。90年代からだらだらと東京に居続けている自分を顧みるが、今の墨田区暮らしというのも、ある種のレイドバックなのか。

ホンマタカシさんの、ミリタリーウェアを着た若い男女の写真は沖縄で撮られたようだ。ミリタリーウェアを身につけることについて、本土とはどのような意味のズレを孕むのか。

しかし、ミリタリーウェアと言うけれど、要は軍服であって、カタカナやアルファベットにした途端に言葉の生々しさが失われるのはどうしたことか。「ARMY」ではなく「陸軍」と胸に大書きされたTシャツを着てはどうか。

PUGMENTの展示のチャートの中にさらりと埋め込まれた「今もどこかで起こっている戦争は、ミリタリーウェアがかっこいいことと関係があるのでしょうか。」というストレートな問いに、またそれがファッションの当事者から発せられていることに唸る。

Tシャツにプリントされた文字を抜き出す彼らのプロジェクトは、見えているのに見えていない文字を再可視化することで、元々の意味を発見するのだろうか。先程の「ARMY」のように。

夜はLIBRAIRIE6に。展示中の有持有百(ありもち・ありも)さんの制作したアニメーション作品『開かれた遊び、忘れる眼』の上映とトーク。

このタイトルの「開かれた遊び」というのは、シュヴァンクマイエルが出していた雑誌の名前なのだとか。そして「忘れる眼」というのは、まさに作家のドローイングの制作手法を表した言葉で、謎めいていた「甘美な死骸」の過程を垣間見ることができた。

作品集にサインとドローイングを加筆してもらった。6,127歩。