タワービュー

朝はコンビニのサンドイッチ。昼はきつねそば。

夕刻、錦糸町からタワービュー通りをスカイツリーに向かって歩く。

いつもなら、このあたりを歩いてもスカイツリーを横目に通りすぎるばかりだが、今日はちょっと思うところがあって、ソラマチの中の墨田区の物産品を置いている店を覗く。が、これは、という品物は見当たらず、さんざん眺め回して、冷やかしただけで出る。

曳舟川通り沿いの店に入った。初めてではなく、去年の今時分に、人に連れられて一度来たことがある。年長のご夫婦で切り盛りされている店で、名前にはカフェとついているが、夜はお酒と食事が主でしょう。ポークジンジャーがお勧めらしいので生ビールと併せて注文。二杯目はハイボールにする。

ほろ酔いでぶらぶら歩き、もう少し飲みたい気分を抑えて帰宅。

スーパーに寄ったら、もうクリスマスツリーが出ている。まだ11月前半なのに、ずいぶん気忙しい。10,060歩。

熊手

リンゴと柿を朝飯代わりに。急いで柿を食べないとどんどん柔らかくなってしまう。

外出。ヒガムコでコーヒーとサンドイッチの早昼。コーヒーは、以前はプラージュブレンドにしていたが、最近はもっぱらメールブレンド。サンドイッチの具は地蔵坂のOTISのハム。

半蔵門へ。国立演芸場の11月上席、五代目金馬襲名披露興行に。

当席は11月1日の初日に続いて二度目の訪問。もともと今日行くつもりで予約していたのを忘れて、後から初日も予約してしまったのだった。いかにも迂闊だが、結果的にはそれでよかった。初日に出演していた金翁師が今日は出演がなかった。高齢の金翁師の出演はその日の体調次第だから、初日に姿を拝めたのは幸いだった。

開口一番 柳亭市松「小町」
前座噺のようだが私の耳には新しかった。この噺は、「道灌」の前段として口演されることがあるらしい。小野小町と深草少将の「百夜通い」の物語(小町は少将に百夜通えば恋を叶えると約束したが少将は九十九夜目の雪の夜に行き倒れた)が、尾籠な落ちになる。

柳亭市若「牛ほめ」
声が大きい。ということは前座さんが大人しかった?

三遊亭金也「たいこ腹」
金馬一門の噺家さんは、正直いって、新しい金馬、もとの金時さんくらいしか馴染みがなかった。金也さんは先代金馬、現金翁さんのお弟子さん。童顔のせいか、お坊ちゃんのような雰囲気の人だが、ご当人のブログを見ると、どうして弾けたところもありそうだ。この「たいこ腹」という演目は、若旦那がいくら退屈で仕方がなくても、急に鍼を打とうと思い立つのは唐突だと思わないでもなかった。金也さんの演じ方では、若旦那は、父親が横町の鍼医に行ったのを見て、鍼を打とうと思ったことになっている。なるほど。

マギー隆司
当席初日と同じネタ。すなわち、紅白のハンカチ、カード、三色のロープ。

春風亭小朝「新・袈裟御前」
夫のある袈裟御前に恋慕した遠藤盛遠、後に出家して文覚が、御前とその夫を取り違えて殺してしまうという物語に、小朝師の大河ドラマへの出演や、芸能界のゴシップ、世間の夫婦の浮気率等、下世話な小ネタを絡めていく。傷のあるなめくじを御前の生まれ変わりと飼っていた御前の母親だが、いつの間にか、なめくじが消えてしまった。娘だけに手塩にかけすぎたから、というサゲ。噺の導入で師が奇祭として紹介していた「なめくじ祭」は実在するらしい。
しかし、小朝さんが現代の客に降りていく時の言葉のセンスはどうなのだろう。正直、80年代的というか、今の空気からズレているように思えてならない。

柳亭市馬「がまの油」
市馬師のがまの油の啖呵売の口上が聞きもの。胸がすく。

口上
舞台下手から金也(司会)、小朝、五代目金馬、小さん、市馬の順。小朝師は、自身の師匠である先代柳朝師が倒れた後、金翁師が毎年見舞いを送っていたというエピソードを紹介。今回の金馬の襲名は、ただ金翁師の倅だからではなく、かくも律儀で芸にも真摯な金翁師が認めたのだから間違いないと、近年の木久蔵、三平の襲名を当てこすりつつ挨拶。この小朝師の口上を、やはり実父の名跡を襲った小さん師はどう聞いたか。ある意味、小朝師が小さん師に宛てたネタ振りと言うこともできるのに、小さん師は特に反応せず。

柳家小さん「豆屋」
この噺も私の耳には新しかった。貧乏長屋に入りこんだ豆売りが、「らくだ」に出てくるような粗暴な住人に翻弄される噺。

すず風にゃん子・金魚
柳家小菊さんの代演。おなじみトレーニングバスツアーでのアニマルエクササイズのネタ。金魚さんの頭には酉の市の熊手。

三遊亭金馬「ねずみ穴」
しっかり聞かせた。初日に聞いた「柳田格之進」もよかったが、武士と町人とが交わったために翻弄される人々の悲劇であり、やや肩が凝る。今日のネタは町人の物語だが、兄弟の生きざまの違いが根底にある。兄が弟に商売の元手として貸した額が三文だとか、弟は所帯を構えて幼い娘がいるのに対して、兄は食い扶持がかかるだけだと妻子を持たないというのは、物語上の実話なのだろう。結果的には弟の身代は無事で何よりなのだが、この生きざまの違いは残る。

一旦帰宅して、日が落ちきる前に散歩に。

金美館通りに入って程なく左に折れて、歩いていると、合羽橋通りに出た。日が暮れて、ほとんどの店はすでに店を閉めている。西浅草から六区に。

千束通りまで戻って、喫茶店で休憩。初めて入る店。店先に浅草界隈の食べ歩き地図が置いてあった。この辺りの通人が作ったものなのだろう。この店はオムマキ(卵で焼きそばを巻いたものとか)が旨いらしい。今日のところはコーヒーだけでお許し願う。

脱衣麻雀ゲームが置いてあった。動くんだろうか。

いつもの銭湯へ。変わり湯はゆず湯。

帰り道で雨に降られた。濡れながら歩ける程度の小雨だったけど、寄り道せず帰宅。夜は家にあるもので済ます。18,017歩。

空き缶を出す日。リンゴと柿を朝飯にする。荷物が早めに届いたので、午前のうちに出かける。と言っても、行先はサウナ。土曜日だが、さすがにこの時間は空いている、人気のない朝のサウナはいい、と思っていたら、サウナ室からどんどん人が出てきた。単にロウリュ中でサウナ室に人が集まっていただけだった。

GO TOナントカの類は未だによくわからない。安く旅行に行った、安く飯が食えた、という話をちらほら聞かないでもないのだけど、どうすれば適用されるのか、どこで申し込めばいいのか、等。このGO TOサウナは便乗企画でしょうが。

昼間からビール、ではなくオールフリー。氷なしでコップに注ぐと、ビールと見分けはつかないね。

夜は三軒茶屋へ。シアタートラムで、康本雅子さんの『全自動煩悩ずいずい図』を見る。ダンスの公演(歌舞伎舞踊は別にして)を見るのは、コロナ後初。

シアタートラムでの康本雅子さんの公演は、2012年に『絶交わる子、ポンッ』を見た。もう8年も経つのか。まだ震災が生々しい時期で、原発事故と結び付けて見たことを思い出す。私の見方なので、そういう制作意図だったのかは分からないけれど。

そして、今回の公演は、図らずもコロナ禍の中で行われることになった。まったくの新作ではなく、今年2月の京都での公演のリクリエーション版とのことだが、どうしても現下の状況に引きずられて見てしまう。

出演者は康本さんを含めて8人。もう少し前だったら、この形の公演は難しかったかも知れない。というのも、舞台上では8人が濃厚接触するから。おそらく、練習中や公演中は、関係者以外との接触を避けるよう律しているのだろう。

これも私の見方だが、この出演者たちを家族と見立てた。舞台上は疑似的な家庭ということになる。コロナ禍では家族間以外の濃厚接触は禁じられたが、それを逆に考えて、濃厚接触を行う者同士を家族と言うこともできるんじゃないか。

康本さん含め出演者たちは、ひとりを除いて、寝間着とも体操着とも見えるような衣装を身に着けていた。

コロナ禍ではスポーツも禁じられた。やはり濃厚接触を伴うから。寝間着を着て行われること(セックス)と、体操着を着て行われること(スポーツ)が重なる。

舞台に畳が敷かれていることに最初は気がつかなかった。照明の加減で途中から気づいた。

畳の上ではセックスも行われれば、スポーツも行われる。もちろん食事もする。

性と暴力を内包する関係性としての家族、そしてスポーツ。性や暴力は美名のもとに隠蔽され、時に露呈する。家族の中で関係が重なり、時に関係からはじき出される。そんなことを思いながら見ていた。

フェイスシールドが配られたけど、結局着けなかった(F列=事実上の最前列だけだろうか?)。終演は21時近くになった。大人しくそのまま帰った。5,726歩。

声にならない声

巣ごもり日。最近朝の散歩に出られていない。この季節は日が短いのだから、朝外に出ないと、一日太陽の光に当たらないことになる。気が滅入るのもそのせいだろうか。辛うじてゴミ出しだけする。

朝昼は食事とも言えないもので済ませる。暗くなってから散歩に。Tシャツの上にパーカーだけではさすがに寒そうなので、その間に長袖のTシャツを着た。今シーズン初。

桜橋の上で撮影をしていた。足早に通り過ぎたので何の撮影か、誰かタレントでもいたのかなどはよくわからない。

隅田川を渡って、待乳山あたり。散歩の途中に寄っていける喫茶店等があるといいなと思うけれど、18時台でも、すでに閉めている店が多い。モーニングとランチで商売をしているのだろう。

結局言問通りのほうまで歩いて、初めての喫茶店に入った。遅くまで開けている店らしい。スマホの画面で米大統領選挙の得票グラフを表示させていたら、店員のお兄さんに、ずっとこのグラフ動かないですね、と声をかけられた。食後のコーヒーを飲み終わって、日刊ゲンダイを読みふけっていたら、お兄さんからマスクをつけるように言われた。それをしおに、店を出ることにした。

浅草界隈をぶらぶら歩いて、西浅草あたりまで足を延ばした。

結局いつもの銭湯に。変わり湯はゆず湯。湯舟に浸かって、ふー、とか、あー、とか、ひたすら声にならない声を出す。

散歩道沿いの店先に猫が座っている。

ポテトサラダでビールを飲んでいたら、革細工の体験をさせてくれた。この店のおかみさんのお父さんが革細工の職人さんと聞いたことがある。その関係なのだろう、A-roundに参加しているらしい。トンカチを握って名前のイニシャルを打った。

さすがに週末の夜で、結構客が入っている。カウンター席ならマスターが話し相手になってくれるのだろうが、テーブル席に深く腰を下ろして、生ハイボールの杯を重ねる。店内のテレビでNetflixの世界の食のドキュメンタリーみたいな番組を流していて、ぶつぶつと画面を話し相手にする。こういうおじさんになってきた。

お酒が回るにつれて、少しずつ気持ちがほぐれていくようだ。コロナ以降、ただでさえお酒を飲む機会が減ったうえに、なるべく一人ではお酒を飲まないようにしていた。それも少しずつ解禁してもいいかなという気分。

1万歩歩いたらお酒を飲んでいいことにしよう。12,952歩。

頭がパーになる薬が欲しい

地下鉄の駅を降りて、いつもだったらそこからバスに乗り換えるところ、今日は気が向いて駅から歩くことにした。天気もいいし。

バスに乗ると言っても次の次の停留所までだし、それほど時間を節約できるわけじゃないんだけど、夏場なるべく外を歩きたくなくてバスに乗る習慣になったのが、惰性で続いていた。

途中の自家製サンドイッチの店に立ち寄って朝飯を買う。ここに寄るのは久し振り。

昼はラーメン。その後、河岸を変えてコーヒー。

夕方、月に一度の診察。もう一種類薬を飲まなければいけないことになった。予想外のことにショック。年を取るというのは薬が増えることなのか。このまま死ぬまで薬の種類が減ることはないのかと思うと、気が重くて、すてばちになりたくなる。

薬局に寄って薬をもらって、そのまま歩いて帰る。ひたすら気が重い。医者にさえ行かなければこんな気分にならなかったのに、むしろこういうのが健康によくないのではないか。頭がパーになる薬が欲しい。

いっそ猫でも飼って毎日写真を撮ってSNSに上げるか。

まっすぐ帰りたくなくて、途中初めての喫茶店に寄り道。先客は老婦人がひとり、今時珍しいテーブルゲームに興じていた。明るい店内に似つかわしくない電子音に交じって、時折硬貨がコトリと落ちる音がする。

コーヒーとタマゴサンドを頼んだ。いわゆるサンドイッチの形ではなく、オープンサンドをオーブンで焼いたようなものが出てきた。

ゲームに飽きた先客が帰って程なく、私も帰った。

10,159歩。割合捗ったので、帰宅後の夜の散歩はパス。

カレンダー

巣ごもり日。前日よく歩いたし、早起きもできなかったので朝の散歩はパス。朝も昼も有り合わせで済ます。午後は大家さんの屋根の修理と宅配便の受け取り。修理に出していたプロジェクターが戻った。

夜の散歩に。桜橋から山谷堀公園、千束通りといういつものコース。今日は国際通りに出て浅草近くまで行ってみる。

何気ないタバコ屋の店先の看板だが、カレンダーの日付と曜日の対応から推察するに、おそらく1985年のものと思う。写真のフォーミュラーカーは星野一義の操る1984年の全日本F2選手権出場車両ではないか(といって、モータースポーツにはさして明るくないので、違っていたら失礼)。35年前のカレンダーを堂々と掲げているのも浅草的な大らかさか。

ひさご通りから千束通りに入って、いつもの銭湯に。

湯上りは散歩道から少し入ったバーに寄った。コールスローサラダのサンドイッチとビール、その後生ハイボールを2杯。サンドイッチのパンは田原町のペリカン。コールスローサラダもどこぞのものだというが忘れた。

先週顔を出した時に居合わせた若い客が、バイトの店員になっていた。確か、俳優志望で浅草の人力車を曳いているということだった。通称、生ハイのかずき。まだ二十歳だって。夢があっていいね。

彼から好きな映画を聞かれたが、まさかテレクラキャノンボールと答えるわけにもいかず、適当にお茶を濁して、強引に話題を落語や歌舞伎のほうに持っていったら、マスターのおかみさんのほうが、さすが浅草出身だからか、落語ファンではないようだけど時々聞く機会もあるようで、三遊亭円歌さん(多分当代)や柳亭芝楽さんの名前を挙げておられたのには驚いた。

遅くならないうちに、ほろ酔いで隅田川を渡って帰る。9,416歩。

和合

昨夜は寝床につくのが遅くなってしまった。今日は特段の予定はないけれど、適当なところで起き出して、外出。曇り空。天気予報を見て、傘は持たずに出たけれど、少々怪しい。

桜橋を渡ると、準備中の太鼓祭に出くわす。浅草界隈を歩いていて、時々ポスターを見かけたのはこれだったか。思っていたより大掛かりである。もっと地味なイベントかと思っていた。

なんとなく待乳山聖天に来た。せっかくなので大根を供えてお参りしていくことにする。

大根をお供えすることで、心身健康、良縁成就、夫婦和合のご利益があるらしい。昔からこの和合という言葉には惹かれるものがある。

待乳山聖天を出て、いつもの散歩道に戻る。

こんな場所にカフェがあったかなと思うと、平日は18時、今日のような休日は17時で閉店してしまうのだとか。道理で夜の散歩では気がつかなかったわけだ。コーヒーと自家製コンビーフのサンドイッチで遅い朝飯にする。

カフェの向かいのパン屋は、散歩の途中、ずっと気になっていた。やはり夜間は店を閉めているが、一度か二度、片付け中の店の前を通りがかったことがある。それほど広くない店内には食パンやクロワッサンもあるが、焼き菓子の類も多い。パン屋と言うよりパティスリーと言うのが適当か。

前の客につられて、写真の食パンを1斤買ってしまった。食パンは11時の開店時刻に合わせて焼き、それがなくなったら二回目を焼いて、二回目も売り切れたらその日は終わりらしい。焼きたてなので、パンから出た湯気がビニール袋に水滴となってついてしまい、それがカビの元になるから、帰宅したらもう一枚のビニール袋に移し替えるように、とのこと。

食パンが予定外の荷物になってしまった。早めに袋を移したほうがよさそうでもあるし、一旦帰宅。この食パンを昼飯代わりにして、余った分は指示どおり袋を移し替えた。

パンを食べたらコーヒーを飲みたくなって、ヒガムコへ。その後、再び先程の散歩道に戻る。

桜橋を渡っていると、太鼓の音が聞こえてくる。太鼓祭の会場に着くと、最後の一組の演奏というところまで進行していた。しかし演奏する側も聞きに来る側も、太鼓というのがこんなに人を集めるとはね。

一葉桜・小松橋通りから、金美館通りへ。

金美館通り沿いのこの喫茶店も、一度入ってみたいと思っていたが、ようやく営業時間中に来られた。

コーヒーを飲んでいるうちに急に気が変わって、両国に向かうことにする。金美館通りを左衛門橋通りに折れて、ひたすら南下。それにしても、台東区は味のある名前の通りが多い。

途中、銭湯に立ち寄り。番台に座っているおばあちゃんの耳が遠い。

お庭の池が見事だが、流し場から見える大きな水槽も壮観である。身体を洗いながら目の前に金魚が泳ぐのを見ることができる。よくこんなの作ったなと思う。ここの銭湯には水風呂はないが、金魚は水風呂に入っている。

浅草橋から両国橋を渡って、両国門天ホールへ。

桂小すみさんの会に。共演は、小すみさんとサマスモというユニット?を組んでいるらしい、桂夏丸さんと、柳橋門下の前座、春風亭かけ橋さん。かけ橋さんは「羽織の遊び」、夏丸さんは「城木屋」。普段芸協の番組を聞くことが少ないせいだろうか、どの演目も新鮮に聞いた。

小すみさんはまず三味線。邦楽と洋楽を自在に行き来する。続いてピアノの前に座り、夏丸さんがフルートでドレミファソラシド、ドシラソファミレドと吹くのに合わせて伴奏。『天城越え』、『はじめてのチュウ(英語バージョン)』の弾き語り。音楽の多才ぶりに加えて、もと天文部という理系的かつロマンティックな感覚を併せ持っておられることに感嘆。

もともとクラシック畑の小すみさんは、今でこそ寄席の音曲にジャズやボサノバなどの洋楽を取り入れているが、かつては意識的に洋楽と邦楽を切り分けようとされていたようだ。三味線の修行に入った時のことを「江戸に留学した」と表現されていたのが印象に残った。

両国から北斎通りを歩いて錦糸町、そしてそのまま歩き続けて帰宅。28,868歩。

ケツ

半蔵門駅上のサンマルクカフェで遅朝、いや昼飯かな、を済ませて、国立演芸場へ。11月上席「三遊亭金時改メ五代目三遊亭金馬襲名披露公演」の初日に。

9月下席の鈴本演芸場から始まった五代目金馬、そして四代目金馬改メ金翁の披露目も、定席での興行は当席まで。ずっと見逃してしまっていて、ようやく来られた。

緞帳が上がると、後幕は金地に大きく「五」の威勢のいい筆文字。

開口一番 三遊亭歌つを「やかん」
この人は初めて見るが、調べると歌奴さんのお弟子さんで、高知出身とか。わかりやすい名付けですね。活舌のよい声がはきはきと出ていて好ましい。若々しく、それでいて若すぎない、つまり若手落語家に好適な雰囲気。

春風亭一花「花色木綿」
一花さんは、一朝一門の師弟が喋っているインターネット番組でちらりと姿を見た程度で、落語を聞くのは初めてだと思う。泥棒が出てくる噺は縁起がいいということで、浅草寺の賽銭泥棒の「におうか?」の小噺からの「花色木綿」。

三遊亭金朝「初天神」
金朝さんは金翁さんの孫弟子にあたるのだとか。先年亡くなった三遊亭小金馬さん(正直記憶になかったけれど)のお弟子さんになるらしい。入門した頃が新金馬、当時の金時さんの真打昇進の時期だったそう。「小児は白き糸のごとし…」から「初天神」に。台詞の語尾を伸ばしたり、繰り返したりするのが効いて、まるで歌うように、流れるような「初天神」。

マギー隆司
紅白のハンカチや大きなトランプを使ったマジック。

柳家小さん「親子酒」
小朝さんの代演。

柳亭市馬「時そば」
さすがの安定感だが、二番目に出てくる男があまり間抜けな感じがしない。上方の「時うどん」だと、粗忽を超えてエキセントリックだったりするが、この「時そば」では、一文だまし取った最初の男も、それを真似しようとして失敗する二番目の男も、キャラクターの造形はさして違わず、もっぱらシチュエーションの違いが齟齬を生むようになっている。ミニマルということもできるか。

口上
下手から、金朝(司会)、小さん、金馬、金翁、市馬の順。金朝師が、金翁は今91歳だが100歳まで喋りたいと言っている、新金馬も100歳になるまで、ここにいるお客様は一人も欠けることなく応援してほしい、というようなことを言ったら、次の小さん師が金朝の言うことはよく分からないと突っ込むが、正直小さん師の言っていることのほうがよく分からなかった。この人らしい苦味のある挨拶だったが、祝いの場にはどうなのか。
通例、口上では当人は喋らないということだが、金翁師が挨拶。やや色が白くなってふっくらとされたように見えたが、口跡はしっかりしていて安心。
市馬師の音頭で三本締め。三本目は世界平和のために。

三遊亭金翁「ねぎまの殿様」
釈台を置いて喋る。まくらで、二年前に脳梗塞で倒れた後のリハビリテーションの体験を漫談風に。手足を動かすのに不自由な時期もあったようだが、笑いをまぶしつつ、結構色気のあるところも見せて、若々しいし、何よりセンスが現代的だと思う。枯淡という境地にはならない。こういう年の取り方もあるんだなと思う。
「ねぎまの殿様」は、殿様がお忍びで町に出て、庶民の食べ物の味が忘れられず…という「目黒のさんま」みたいな噺。本郷のお屋敷から向島に雪見に出かける途中、上野広小路に出ていた屋台の匂いにつられて、ねぎま鍋で一杯。結局向島には行かずじまい。
ところで、金翁さんの高座を見たのは、2018年6月30日に、当時の金馬さんと川柳川柳さんの二人会を聞きに行った時以来だと思う。倒れられたのはその年の7月というから、二人会からひと月も経たない時期だったのか。川柳さんはお元気なんだろうか。

柳家小菊
「並木駒形」やどどいつはお馴染みだが、「せつほんかいな」という端唄は初めて聞いたように思った。ぞろりやぞろりやぞんぞろり、目出度いな目出度いな。

三遊亭金馬「柳田格之進」
金時改メ金馬さんは、若い時から名前も顔も売れた人だし、寄席の高座でも見たことはあるはずだが、どんな落語をされていたか、これといった記憶がない。ご本人のニンは、いかにも二代目らしい、屈託のない、明るいキャラクターだ。だから、「柳田格之進」が始まって、この演目をかけるのかと驚いた。重たい噺である。「誇り高い武士の生きざまを描いた…」などというと聞こえはいいが、私はこの噺を聞くと、やるせなくて、胸がもやもやする。そんな本寸法の人情噺を、30分余りかけて、しっかりと聞かせた。正直、噺の出だしは、やや軽いように感じた。でも、物語が進むにつれて、締まってきたように思う。

国立演芸場を出て、永田町駅から有楽町線に乗って、東池袋へ。

サンシャインシティで園芸の屋台が出ていた。生花はすぐに枯らしてしまうけど、ドライフラワーならいいだろうと思って、自宅用に少し買った。

タイムズ スパ・レスタへ。ちょうど今日からフィンランドフェアが始まったらしい。

タイ健式マッサージを90分。前回と同じセラピストを頼んだが、こんなによく笑う人だったかな。それとも私が可笑しいということ?

マットの上に座った姿勢になっている時、少し前に出るように言われて、上半身を前傾しようとしたら、腰から動かすようにという趣旨だったのだろう、「ケツを」と言われたのが可笑しかった。若い女性が、それも客に向かって「ケツ」とは、あまり言わないだろうが、不意に出るざっかけない言葉遣いは嫌いじゃない。

前回より強めに施術してもらって放心。施術後はルイボスティーとフィンランドのクッキーで休憩。

11時前に出て、帰宅したら日付が変わっていた。6,581歩。

ヨガとコルトレーン

駅に着いたら、ホームで待っている電車は浅草行きだった。うっかり乗らなくてよかった。普段このホームから出るのは半蔵門線直通の電車で、浅草行きの電車は反対側のホームなんだけど、こちら側のホームから出ることもあるんだ。

朝は錦糸町に着いてからドトールで。ホットの豆乳ラテとミラノサンドで、少し遅い朝飯。
昼は某所のルノアール。時間調整がてら、少し早い昼飯。ぎりぎりモーニングセットが頼める時間だった。ゆで卵を食べようとして黄身をゴロッと落としてしまって恥ずかしい。
夕方、両国の文殊で春菊天そばを食べてから、少々事後整理。

アートトレイスギャラリーへ。永瀬恭一氏による連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」の第四回に。このシリーズは、なんとなく第二回、第三回と続けて聞いてしまい、せっかく両国の近くにいることもあるし、今回も聞きに行くことにした。

今回の対談相手の戸塚伸也さんという人は、失礼ながらまったく知らなかった。

戸塚氏の制作の源泉にヨガとコルトレーンがあるという話は、後から考えてみれば示唆的だった。画家の精神世界に到来するビジョンがあって、それが制作のスタート地点となっている一方で、その大きなビジョンを一度に再現するのではなく、ジャズのアドリブのように、タッチに呼応して次のタッチを繰り返していくといった方法的な制作をしている。画家はその二つが矛盾していると発言していた。

戸塚氏はアーシル・ゴーキーの名前を挙げていたが、確かにシュルレアリスムの「窓ガラスを叩くような」ビジョンの到来と、オートマティックな方法論が画家の中に併存しているようだ。記号的なキャラクターが登場する画面やその物語性からも、シュルレアリスムの絵画を思い浮かべることができる。

永瀬氏はこの対談シリーズの戸塚氏以前の対談相手はいずれも戦後美術史の延長線上にあると言っていたが、それはグリーンバーグ流のモダニズムに依拠しているということだろうけれど、まさにゴーキーからポロックへの流れに戦後美術史の分岐点があるとすれば、戸塚氏の仕事に、ありえたかも知れない、もうひとつの戦後美術を見ることができるのかも知れない。

全然名前も知らなかったと書いているくせに、われながら適当なことを言ってますが。

イベント終了後、錦糸町まで歩いて、楽天地スパに寄っていくか迷ったけど、サウナは翌日に取っておいて、錦糸町から夜の街をふらふら歩いて帰る。15,841歩。