積み重ね

雨の朝。

近所の空き地に囲いができた、じゃない、分譲地の看板が立った。まとまった広さの土地をどうするのだろうと思っていたが、切り売りするのか。

雨の公園に人影はない。

急いで何か腹に入れたい。駅ナカのカフェと思ったが、思うところあって直前でパス(店の問題ではない)。錦糸町まで出ることにした。

駅前の喫茶店でモーニング。窓際の席に陣取る。

ひどく疲れが出て、身体がだるい。モーニング程度ではエネルギーを補充できそうにない。向こうの席の二人客が朝からカレーを頼んでいる。カレーもあるのか。私もそれにすればよかった。雨の中、お客が次々やって来たので退出。

実はこの後すぐにドトールでサンドイッチを腹に入れた。もう少し食べないとエネルギーが切れそうで仕方がなかった。なお、このひどい疲れの原因はコロナではないので、念のため書いておく。

5月8日のトリフォニーホールでの坂東玉三郎丈の会は延期になったんだな。できれば私も行きたかったが、先に予約していた地域寄席と時間が重なってしまって、先約を優先してこちらは見送っていたのだ。その地域寄席も中止になってしまった。

あまりにも疲労感がひどく、最初は午後の予定までコーヒーでも飲んで時間をつぶしていようかと思っていたのだが、それどころではない。まだ少し時間もあることだし、いっそマッサージにでも行こうかと、あれこれ近くのマッサージ店を検索していたが、やっぱりやめた。

錦糸町から総武線で東中野に。ポレポレ東中野へ。14時からの回を見るつもりで予約していたのだが、一本前の12時10分の回から見ることにした。映画には悪いが、半分寝るつもりで椅子に座っているほうが身体は楽だ。

ポレポレ東中野もずいぶん久し振りで、去年の1月に『さよならテレビ』を見に来て以来ではないかと思う。

毎年この時期、ポレポレ東中野では、原子力発電にまつわるドキュメンタリー映画を特集上映している。というのは、1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故があったから。私自身は原発問題に日頃思いを巡らしているわけではなく、人並み程度の関心しか持たない。ただ、今回の上映作品にも含まれている『ナージャの村』でのベラルーシの農村に生きる人々の暮らしぶりや、『原発切抜帖』での新聞の切り抜きのみで組み立てられた映像構成には感じ入った。そして、両作品とも、ナレーションは小沢昭一さんの至芸である。

一本目に見た『アンダーコントロール』は、ドイツ国内の原子力施設を記録したドキュメンタリーで、制作年は2011年というが、福島事故と関係はあるのか、知らない。少なくとも福島事故の前には着手されていたのだろう。人間は必ず失敗するからと徹底的に人間を疑い、さらに人間をカバーするために導入した機械を疑う。ドイツの原子力開発には、徹底した懐疑と、技術に対するペシミズムが根底にあるのだと思った。この強靭な思考力こそが、わが国に欠けているものではないのか。ドイツが原発の廃止に政策を転換できたのも、分かるような気がした。

前にも同じようなことを書いたかも知れないけど、人間の生は、数十年、長くてもせいぜい百年程度のことだが、原子力は数千年、数万年の世界で、時間の物差しが違う。

『アンダーコントロール』の中に、原発に一生を捧げた技術者や、原発で働く人を相手に生計を立てている商人の話が出ていて、ドイツにも原子力ムラ的なものがあるのかなと思った。原発の廃止は、そういった人たちには不本意だろうが、言ってみれば、どちらも数十年単位の話である。数万年単位の話が、数十年単位の話で動かされるべきではないと思う。

続けて見た『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』は、映画『ナージャの村』『アレクセイと泉』監督の本橋誠一氏と製作の神谷さだ子氏が、2019年に撮影地のベラルーシを再訪した旅の記録。映像の中で両氏は、撮影で出会ったベラルーシの人々と再会し、製作のきっかけとなった老人で、『ナージャの村』撮影の直前に世を去ったアルカジィ・ナボーキンの記憶を辿っていく。

『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』では、数十年の間の人々の出会いと別れが映像に映し出される。放射線は映像には映らない。

映画が終わってもまだ15時前で、少し時間が中途半端である。同じビルの7階で写真展をやっているというので見に行った。本橋氏の2019年のベラルーシ再訪時に撮影された写真に加えて、本編でも引用されていた1995年の取材時の映像も見ることができた。

ポレポレから程近い銭湯のアクア東中野に行った。ここは二回目かな。前回はサウナも試したけど、今日はサウナは休止中。

15時開店からまだ20分程も経っていないけれど、すでにお客さんが一杯である。場所柄か、休日ということもあるのか。中高年に加えて、子供や若者の姿も目立つ。若者といっても、サウナブームに乗せられたような軽い感じではない。近くに学生寮でもあるのだろうか。

ここは、アクアと冠しているだけあって、水がいい。水風呂は深くてたっぷりしている。お湯につかりながら大型テレビが見られる(音声はなし)のは珍しいかも知れない。文庫本を持ち込んでいる人もいる。心置きなく長湯ができそうだ。

映画を見て、お湯に入って、身体もずいぶん楽になってきた。ポレポレに戻って、ポレポレ坐でキーマカレーとコーヒー。ここのキーマカレーはさっぱりした味。自分で作る時はスパイスたっぷりで油が浮く、こってり、ギラギラのキーマカレーになってしまうが、そうか、こういうのもありだなと思う。

コーヒーをお替りして、いい時間になった。錦糸町へ。駅ナカでラーメンも食ってしまった。今日は仕方ない。辛うじて所用を終えた。

オリナスは休館中だが、中の通り抜けはできる。また、地下1階のスーパーのカスミは営業している。地下駐車場経由でしか入れないのが少々分かりにくいが、ちょっと覗いてみた。

オリナスの中をうろうろしたのは、ここで歩数を稼ぎたいという魂胆からで、できれば今日も1万歩を目指したい。とは言え、雨なので外は歩きたくない。錦糸町駅で電車が来るまで構内を行ったり来たりして、曳舟駅でもホームを少し歩いた。変な人だと思われたことだろう。そんな積み重ねで、11,435歩。

青梅

寝坊。朝の散歩その他は省略。コーヒーを淹れて、有り合わせで済ます。

昼間、抜け出す。近所の梅の木が実をつけている。この木は春先に見事な花を咲かせていた。花が咲けば実がなるのは道理だが、立派な青梅がごろごろと枝からぶら下がっている眺めに感心する。

昼は二階の食堂の日替わり。今日は野菜の肉巻き。酸味の効いたソース。具だくさんの味噌汁。

新聞を整理していたら、月曜日の朝刊に掲載されていた全面広告に神田川俊郎氏が出ていた。

氏の訃報は火曜日の朝刊に掲載されていたが、死去したのは日曜日だったというから、この朝刊が出た時にはもう亡くなっていたわけだ。制作時点では、氏の訃報は伝わっていなかったのだろう。

夕刻、外出。諸事情で某所。

帰宅後、飯を済ませて、遅くなりすぎないうちに、夜の散歩に。雨が降りそう。レーダーの画像を見ると雨雲が近い。

猫が夜道を横切るのを見た。

いつもの銭湯に。あれ、今度の張り紙では、サウナは休止ではなく中止ですね。

こちらの銭湯にはしょっちゅう来ているから断言できるけれど、サウナが休止または中止になって、今日は水風呂に入る人が明らかに少ない。水風呂をひとり占めできるのは有難いけれど、この機会に、普段サウナに入らない人にも、水風呂の気持ちよさが知られるようになるといいのかも知れないね。

帰り道の途中で雨が降り出して、パーカーのフードを被った。傘が必要な程ではない。程なく上がった。

歩いているうちに日付が変わった。11,955歩。

中止

ゴミを出して外出。寄り道しつつ歩ける程度には早起きした。

弘福寺に寄った。境内の八重桜はとうに葉桜になった。特に参詣者が訪れる時期でもなく、私の他に境内に人影は見えない。朝の静かな古刹の雰囲気は好ましい。気まぐれに「咳の爺婆尊」にお参りした。滅多に親を顧みない私だが、多少は母親のことを思わなくもない。

前を行く女性の黒いパンツスーツと黒靴の間に覗く純白の靴下が眩しい。あれ、そういえば、女性はスーツの時に靴下を履きませんね。男性でスーツの時に靴下を履かないのは石田純一くらい。この女性のような人が増えるか、石田純一が増えるかすれば、スーツの着こなしはもっと自由になるのだろう。

通り道の喫茶店でモーニング。フルーツサラダが嬉しい。ベーコンエッグとハムエッグが選べるのも、ささやかな朝の楽しみという感じがする。客は私だけ。BGMはFMラジオ。

夕刻、歩いて帰宅。先に飯を済ませてから、所用。

所用が終わって、遅くならないうちに出た。火曜日はいつもの銭湯が定休日なので、久し振りの湯どんぶり栄湯に。

こちらは本日からサウナ中止。昨日の銭湯はサウナ休止で、こちらは中止。細かいですが。

遅い時間のわりに、心なしか空いているようにも思うが、たまにしか来ないので、普段と比べてどうなのかは分からない。

湯上がりは千束通りからいつもの散歩道に。少し遠回りして帰った。18,257歩。

休止

寒くて布団から出られない。布団をかけ直して、しばらく寝床で半睡。
辛うじてまずまずの時間に起き出した。朝の散歩に。

身体に当たる風が冷たい。日曜は昼間歩いていて汗ばむ陽気で、Tシャツ姿でもいいくらいだったのに、まだしばらくは肌寒い日もあるのかな。陽当たりのいい場所を探すように歩く。


桜橋を渡って台東区側に出た。そうか、ここで隅田川テラスに降りずに、堤防の上を白鬚橋のほうに歩くと、浅草病院の裏手のデッキに出るのか。芝生の斜面に寝転がったら気持ちよさそうだ。

台東区側は陽当たりがいい。墨田区側は首都高の高架が日射しを遮る。その日陰が有難くなる時期ももうすぐだが、今のところは、まだ朝の光を浴びていたい。

白鬚橋を渡って、墨堤通りを歩いて帰った。

昼は二階の食堂のカレー弁当。菜の花のおひたしを付けた。

注文する時、「菜の花」のアクセントに迷った。長年東京に住み暮らしているけれど、まだまだだなと思う。アクセントの正解は、「ナ」が高い頭高型。

夕刻。今日はひとつ魂胆があって、これからユニクロに夏物の服を見に行こうと思う。

この近くでは、アルカキットの中のユニクロも、ソラマチの中のユニクロも休業中である。というか、アルカキットやソラマチ自体が休業している。が、浅草ROXの中のユニクロは営業しているらしい。要は、大家の判断に従うということなのだろう。商業施設の中に入居していない、単独店舗のユニクロは営業しているようだ。

歩いて浅草へ。

浅草寺や仲見世は閑散としているが、そもそも夜が早い街なので、もともとこの時間の浅草はこんなものだったか、そうでもないのか、よくわからない。

確かにROXは営業中である。店を開けても密になるほど客は来ないという判断なのだろうか。それもひとつの考え方ではある。ただし、まつり湯は休業していた。

あれこれ買い物をして、普段の散歩ルートに戻る。

いつもの銭湯に。買い物した荷物がかさばるので、番台で預かってもらう。帰りに忘れないように、下駄箱の鍵を一緒に預かると言われた。

緊急事態宣言に伴ってサウナのみ休止になるとのことだが、もともと私は銭湯のサウナには入らないから、特に困らない。もし水風呂が休止するようなことになったら困る。

今日も電気風呂に少しだけ入ってみた。

15,449歩。昼間弁当を買いに出る時、スマホを持っていくのを忘れたから、これに1,000歩程プラスか。

変容

午前中は怠惰に過ごす。ラジオで桂南天さんの「一文笛」など聞きつつ、インスタントラーメンを作って食べるなど。

行きつけの楽天地スパもタイムズ スパ・レスタも、今日からしばらく休み。寄席はやっているらしいが、今日はいいや、という気分。いつもの銭湯が3時に開くから行こうと思うが、それまで特段予定もない。

昼過ぎに出た。アジサイが花の季節の準備を始めている。

隅田川沿いの首都高の高架下をぶらぶらと歩いて、言問橋で台東区側に渡った。

「戦災により亡くなられた方々の碑」とある。隅田公園のこのあたりは、東京大空襲等で失くなった人々の遺体を仮埋葬した場所であったらしい。

「アリの街」というのは聞いたことがある。何年か前に、かつて江戸・東京にあった芸人街に興味を持った。芸人街は貧民街と重なる。その頃に読んだ本の中に、アリの街について触れたくだりがあった。当時は特に注意を払うこともなかったが、そうか、ここにあったのか。

「この地に戦災で家や家族を失った人々が廃品回収を生業に働き共同生活する場が誕生しました」とある。

廃品回収を生業にしている人なら、「アリのように勤勉に働」いているかどうかはわからないが、今でも橋のたもとに住み着いているようだ。

待乳山聖天に寄ったら、参詣客の姿がちらほら見える。人力車夫に案内されてここまで来ているようだ。観光ルートに入っているんだなと思う。人出が緊急事態宣言に影響されているかどうかは知らない。

馴染みの店に来た。今日からしばらくはランチ営業に限って、アルコールも出ない。しょうが焼きがランチメニューにあるのは珍しい。ご飯はもう少し柔らかいほうが有難い。

コーヒーでしばらく過ごして、いい時間になった。昨夜の分のお代も合わせてお勘定してもらいながら、これから銭湯に行くと言ったら、電気風呂に入るよう勧められた。

電気風呂はあちこちの銭湯にあるが、私はまず入らない。どちらかというと苦手である。まあでも、勧められたことでもあるし、意を決して、入ってみた。

最初、壁に掛かった注意書きを読みながら、壁に向かう姿勢で、左右の電極の間に恐る恐る身体を沈めた。案外、刺激を感じない。こんなものかと思って、壁を背に向き直ったら、ずん、と重い刺激が腰に来た。結構来ますね。

まずは程々にして、電気風呂の隣の変わり湯(今日はラベンダー湯)に移った。言うまでもなく、こちらの浴槽には電気刺激はない。これまで何度となく変わり湯に入っているが、電気刺激がないという、いわば不在の感覚を覚えたのは初めての体験だった。電気風呂に入ることで、電気風呂でない風呂の入浴体験まで変容するのだと感じ入った。

銭湯から出たら、まだ外が明るい。日が長くなったこともあるだろう。今日はあまり長く歩くつもりはなかったけれど、歩いているうちに足がどんどん前に進む気がしてくる。

ヒルガオの花が咲くのを今年初めて見たと思った。14,180歩。

鯨を捕る船

昨夜遅くまでだらだらとYouTubeなど見ていて、朝早く起きられず。それでも7時前には起き出したが、本当はもう一時間、できれば二時間早く起きたかった。

資源ごみの日だが、ペットボトルを出すのは少々迷った。というのも、以前、玄関前に資源ごみを各種出して、ペットボトルだけ回収されなかったことがあったので。お向かいさんに聞くと、ペットボトルも普通に持っていってくれるよ、とのことだったのだが、もし持っていってくれなくて、ペットボトルだけ玄関に置きっぱなしというのも格好悪いし。とはいえ、さすがに溜まってきたので、思い切ってペットボトルも出して外出。帰宅時どうなっているでしょうか。

鳩の街通りでドラマか何かの撮影をしていた。朝早くからご苦労なことだと思う。この時間にカメラを回しているということは、出演者やスタッフは何時起き、何時出なんだろうか。もっとも、当節はすっかり日の出が早くなったから、人が少ない早朝のうちに撮影を行うのには好都合だろう。

水戸街道、そして曳舟川通りを越えて、高木神社、飛木稲荷を横目に歩く。

壁に張り紙を見つけた。最初は言わんとすることがよく分からなかったが、以下のような経緯だろう。

○この通りから入る狭い道に自転車が置かれていて、それにぶつかった子供がケガをした。その子の親Aが「ここに自転車を置かないでください」云々と赤字で書いた紙を置いた。

○その狭い道は実は私道で、かつて自動車が入り込んで事故があったため、自動車が入らないよう自転車をバリケード代わりに置いていた。Aの紙を見た私道の所有者Bが紙の余白に追記し、左記の状況を訴えて自転車を置くことへの理解を求めた。

○AとBの紙上でのやり取りを見た第三者Cが、危険が遍在していることを子供に教えれば教訓(「一生の宝物」)となる旨を別の紙に書いて貼った。

Cはお節介というか、余計なお世話だと思うが、この論戦(?)が今後どう展開するのか、さらに第四、第五の参加者が現れるのか。

押上から錦糸町へ、そして楽天地スパに。

楽天地の一階に行列ができている。もしやサウナ待ちかと思うと、そんなわけはなく、映画の入場待ちなのであった。しかし、楽天地スパと映画館は同じエレベーターで行くから、行列と関係なくエレベーターに乗った私が、まるで行列を無視したように見られたようで、決まりが悪い。

朝の空いたサウナは気持ちいいが、ご承知のように楽天地スパは朝8時半から清掃になる。もう一時間、二時間早く起きたかったのはそのため。

楽天地スパ11周年記念クイズに応募しようと、ロッカーキーを外して書いていたら、ロッカーキーが行方不明になって焦る(無事出てきました)。

13時前に退館。というのも、13時から錦糸町で所用の予定と勘違いしていた。さっきのロッカーキーもそうだし、何だか昨日から間が悪いことが続く。

ともあれ、一時間ぽかっと空いたので、歩いて一旦帰宅。

少々休んで、古靴を持って、さあ出掛けよう。墨堤通りから明治通り、白鬚橋を渡って、玉姫稲荷神社に。

こんこん靴市というのは初めて来たが、境内や外にも出店があって、普段静かな神社が賑やかである。おそらく、コロナ禍でなければ、もっと人が集まっているのだろう。

まずは持ってきた古靴を納めようと、社殿脇の会場に行くと、すでに古靴がうず高く積まれている。

古靴を納めると、火焚串(と言うらしい。護摩木のような細い板)に名前を書くように促されて、何かこれから行われる神事に参加しなければならないような雰囲気である。そこで用意されていたパイプ椅子に座った。参加者は20人程か。

程なく神官が現れた。頭を下げるよう言われてお祓いされる。その後、靴を納めた人に火焚串の束が神官から渡されて、順に火にくべていった。私も諾々と従う。参加者全員がくべ終わると、記念品(スリッパ)を貰って解散。

会場に掲げられていた次第には、一同起立だの、祝詞奏上だのと延々と行事が書いてあったので、これに参加させられるのかと思ったが、違ったようだ。

二足古靴を納めて、二足新しい靴を買った。むろん分相応な値段のものだが、市価よりも安いのだろう。

玉姫稲荷を出て、日本堤から浅草警察署の前を通って、馴染みの店に。荷物のせいか、案外遠く感じた。少々早いが、昼を飛ばしているし、始めた。おそらく、次にこの店で飲めるのも、しばらく先になるだろう。

しばらくして、マスターのお義父さんがやって来て、これから浅草の某有名な、鯨を捕る船の名前の店に行くという。私も誘われて行くことになった。

この某有名店は、浅草の芸人が来る店として知られていて、私も一度だけ、10年ではきかないくらいの昔に入ったことがあるが、それ以来である。思いの外、カウンターの中は若い女性で切り盛りしている様子。元芸人という店主は、今は仕込みだけで、お店には出ていないのだとか。

お義父さんの口から悠玄亭玉介の名前が出たのは、どんな流れだったか。何かの機会に幇間芸を見たという話だっけ。朦朧としてはっきりしない。

8時終了。この人はまた来るよ、などといじられつつ退出。

浅草から東武線に乗った。曳舟で降りて帰宅。そうそう、ペットボトルは回収されていました。

楽天地スパも日曜日から休業だとか。22,071歩。

体毛

ゴミ出し。洗濯機を回して朝の散歩に。隅田川テラスを歩く。

白鬚橋を渡って台東区に入る。橋場、清川。アサヒ会通りを歩く。ガスタンクの見える街。

玉姫稲荷神社に寄ったら、「靴まつり市」の看板が出ている。明日、明後日じゃないか。

安い革靴で、がしがし歩けて、くたびれたら履きつぶせるようなのが欲しいと思っていた。先月Amazonで買った安靴は大きくて足にフィットしない。やっぱり実際に履いて試したい。いい機会だから、明日来ようかな。

お参りしようとしたら、お社の中から猫が出てきた。この猫は何度か境内で見たことがあるが、こうやって自由に建物の中まで行き来しているのはいいなあ。

同じ境内にある口入稲荷にもお参り。今戸焼のおきつねさまに書かれている文字は入口じゃなくて口入。

ちょうど捨てようと思っていた古靴があるので、明日持ってこよう。

ハイヒールのお神輿が鎮座していた。かなまら祭りのエリザベス神輿に匹敵する衝撃感である。これを担ぐ様子を見てみたいが、今年は期待薄かな。

昼は二階の食堂に。毎週金曜日の日替わりはスパゲッティ。今日はたらこスパゲッティ。

さすがにこれだけでは物足りなかった。

夕刻、所用の後、夜の散歩に。行き先はいつもの銭湯。

両肩から腕にかけて立派な彫り物を入れた人がいて、感心して眺める。そして、肌がもち肌でつるつるとしている。

一体に、刺青を入れた人で、毛深い人を見たことがない(和柄の彫り物に限るかも知れない)。体毛が濃くては、せっかくの絵柄も映えないだろうし、彫り込む時も面倒だろうと思う。

ここで仮説を二つ挙げてみる。

仮説1 刺青を入れる人は、もともと体毛が薄い。

仮説2 刺青を入れる人は、体毛を剃毛あるいは脱毛している。

もし仮説1が正しかったら、面白いだろうと思う。頭髪を除く体毛の濃さは、男性ホルモンが影響していると言われる。体毛が薄い人は、男性ホルモンの濃度が薄いということになるが、同時に男性ホルモンは、いわゆる「男らしい」体格や性格にまで影響を及ぼしているらしい(Web情報なので真偽の程は各自確認されたい)。

身体に刺青を入れる人は、一般に「男らしい」人と見られていると思うが、体毛の濃さに現れる男性ホルモンの濃度の観点でいうと、実は「男らしい」人ではないのかも知れない。

逆に仮説2が正しいとすると、目の前のいかつい人たちが、ムダ毛のお手入れに気を使っている様子が想像されて、それはそれで興趣深い。

20,103歩。

小さな花

洗濯機を回して、朝の散歩に出た。そんなに早い時間ではない。3、40分も歩ければいいかなという程度。

すずらんの花が咲いていた。小さな花が。

墨堤通りはすずらん通りでもあったかと思う。

このくだりは、喜美正二郎『すずらん通り』という曲を知らないと、何のことか分からないと思うが、ご容赦願いたい。

https://livedoor.blogimg.jp/kirimaru555/imgs/f/5/f50bfc04.jpg

ちょっと検索してみると、すずらん通りと名のついた通りは全国あちこちにあるようで、都内のすずらん通りのうち六つが加盟した「東京すずらん通り連合会」という組織もあった。

あまたある花の中で、なぜすずらんを商店街の名前に取ったのか。これも少し調べると、鈴蘭灯という街路灯が大正から昭和のはじめにかけて各地の商店街に設置されたところから来ているらしい。街に歴史ありという感がある。

隅田川の堤防が山谷掘広場と接するあたりに、コンクリート製の武骨な門柱のような柱が二本ずつ二ヶ所に立っている。もとは何か用途があったのだろうが、今では無用物化してしまっている。

言問橋を渡って墨田区側に戻った。

コンビニでサンドイッチとアイスコーヒーを買って帰宅。

昼間抜け出す。

水戸街道と明治通りの交差点あたりにある、まだ入ったことのない喫茶店。いつか入ってみたいが、とりあえず今日はパス。

昼はパンにした。このパン屋さんで買い物するのは初めて。前に一度、夕方遅い時間に来た時は、売り切れたのかもう店を閉めていた。案外庶民的な値段と品揃えのパン屋だった。

元の毎日新聞専売店。中はすっかり片付いている。

今日二杯目のアイスコーヒーを購入。ここ数日ですっかりアイスコーヒーの気候になったが、ホットコーヒーを注文する時の習慣が抜けない。レジでアイスコーヒーを注文して、カップはアイスボックスから持ってきてください、と言われる。今朝に続いて、二日連続三回目。

夕刻、外出。歩いて錦糸町へ向かう。

所用の後、寄り道せず同じ道を引き返して帰宅。急に冷えて風が肌寒い。昼間の暑さに油断して軽装で出てきてしまったが、もう一枚着てくればよかった。一日のうちで気温が変わりやすいのもこの季節か。急ぎ足で歩いて帰る。

朝刊に渡邊守章さんの訃報が出ていた。フランス文学の泰斗だが、私には演劇の仕事の印象が強い。渡辺保さんとWワタナベのひとりでもあった。

氏が翻訳・構成・演出したポール・クローデルの『繻子の靴』を静岡芸術劇場で観劇した時、矍鑠とした氏の姿を見かけたのを思い出す。2018年というから、もう三年前になるのか。

静岡もしばらく行ってないな。

飯を食ってそのまま在宅。17,201歩。

一周

そう早起きはできなかったけど、朝の散歩に。

桜は散り、ツツジもだいぶくたびれてきたけれど、名前も知らない草花が鮮やかな花を咲かせている。

件の元日経専売店。カーテンの隙間から覗く店内はあまり片付いていない様子。閉店は急な話だったのだろうか。

白鬚橋を渡って荒川区側に出た。明るいうちにこのあたりを歩くのは久し振りかも知れない。

一時間程歩くと背中に汗がにじんでくる。もう少し早く出られたらよかった。あとひと月もしないうちに、日陰を探して歩くようになるだろう。

去年の4月、最初の緊急事態宣言が出た後、近所の買い物程度しか極力外に出ないようにしていたら、身体を動かさないせいか調子が悪い。適度な運動なら外に出てもいいというから、隅田川あたりを歩くのを始めた。

その頃から、ほぼ季節が一周したと思う。

昼は二階の食堂の日替わり。今日はトンテキ。たまったポイントを使って、アイスコーヒーを付けてもらった。

ツツジの白い花弁の中にピンクの筋が走るのが見える。このような現象はトランスポゾンという遺伝子の一種が関係しているらしいが、よく知らない。

夜の散歩に。桜橋を渡って裏浅草あたりを歩いた。

いつもの銭湯に来たら菖蒲湯の案内が出ていた。来られるかな。

16,534歩。朝晩でそれぞれ7千歩ずつ歩いて、残りは昼間という計算になるか。1日1万歩程度にしておこうと思うが、歩き出すと、ちょうどいいところでは止まらない。

二回目

郵便受けの扉が開いている。新聞配達の際に開けているのか、勢いで開いてしまうのか。

以前はこういうことはなかった。郵便受けが開けっ放しになっているのを度々見るようになったのは、ここ二ヶ月くらいだろうか。

自宅で新聞を取るようになって、まだ一年程しか経っていない。最初の緊急事態宣言が発令されて、家にこもるようになったので、出先で取っている新聞を読むのが難しくなったのがきっかけということになる。

私は毎日新聞を取っている。理由はいくつかあるが、ここでは触れない。

最初は、近所の毎日新聞の専売店に出向いて、配達をお願いした。

秋になって、その専売店が店を閉じることになり、日本経済新聞の系列の専売店から毎日新聞が届くようになった。

年が明けて、その日経の専売店も営業をやめることになり、さらに別の系列の専売店に替わった。今の専売店は、三つの系列の新聞を取り扱っているらしい。

郵便受けの扉を開けっ放しにするのは、今年から配達を始めた専売店である。

しかし、短期間で次々に専売店が替わったことからも、新聞販売店の営業が厳しい状況が推察できる。配達員に郵便受けの扉を閉めていくだけの気持ちの余裕がないのだろう。

今朝も早起きできた。ゴミを出して朝の散歩に。鳩の街から押上、錦糸町までは、ほぼ昨日と同じ道のりである。

楽天地スパに60分コースで入館、朝サウナ。

やはり60分は短い。

駅前の喫茶店でモーニング。

夜も楽天地スパに来た。今日二回目。アホかと思うが、やむを得ない。

比較的空いていて宜しい。

サウナ室で二人組の若い客が顔を近づけて互いの耳にささやくように何やら話している。サウナ室内は会話厳禁となっているので、憚って小声で話しているのだろうが、まるで恋人のようである。あるいはそうなのか。もちろんそうであっても構わない。

日付が変わる前に帰れるよう、ほどほどで切り上げて退館した。

帰宅したら郵便受けの扉が開いていた。今日二回目。12,834歩。